淫獣下半身の帝王が教祖になると資産・女喰い尽くし子供は翻弄され、さらに金で人間を釣り利権を得る

決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語] 

米本さん記事転載加工あり。コメント欄も併せてお読みいただけると現信者・元信者、関係者様方の意見を知ることが出来ると思います。

文鮮明とSEX(1)
 

 2014年7月ワシントンDCで開かれた、国際カルト研究学会(ICSA=International Cultic Studies Association)主催の講演会で、文鮮明氏の実子である朴サムエル氏がスピーチした。
 この講演録は何人かのブロガーが翻訳していたが、失礼ながらこなれたものではなく、私にとっては理解できないことが少なくなかった。
 そこで、翻訳力では定評ある暗在さんに講演(動画)の書き起こし文の翻訳をお願いした。原文は、http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/125456761968/transcript-of-sam-park-video 
   
動画のURL: https://youtu.be/xPwJYC9h93M

 掲載するにあたって、一言述べておく。サムエル氏の英文スピーチを掲載したサイトには被告・家庭連合等からの訂正・削除要求は行なわれていない。よって、スピーチの内容は事実と判断してよいだろう。
 統一教会に批判的であっても、文鮮明氏を尊敬、崇拝している食口は少なくない。そうした人たちに言いたいのは、読みたくないものは読まないという「バカの壁」にならず、熟読してもらいたい。また、記事を読んで、認知的不協和に陥り、「これには何か深い訳がある」と思考を停止したり、我流的解釈によって不協和を低減ないし除去しないでもらいたい。

 人間関係が複雑であり、かつ長文なので、29日までは更新しない。
 次は、暗在さんの断り書きである。
「適宜、小見出しを付け、動画の時間を入れました。 補足、注釈、感想、写真などを途中に挿入しました。一部に敬称略があります。よろしくお願いします」
 暗在さんの「補足、注釈、感想」によって、スピーチの内容は実にわかりやすくなった。感謝である。


(ハイ、翻訳スタート)

 

プロローグ

 お読みになった方がおられるか分かりませんが、私に関して書かれた記事がすでにあります。マライア・ブレイクという名の記者による記事で、雑誌「ニューリパブリック」‘The New Republic’ と「マザージョーンズ」 ‘Mother Jones’に掲載されました。ですから今回の話のある部分は既出かもしれませんが、それらの記事に載っていない新出情報がまだまだあります。同様に関心をもっていただければ幸いです。
 私はこういう場が初めての初心者ですし、伝えるべきことがたくさんあるので、書いたものを読むのがいいと思います。そうしないで(ドナ・コリンズの方を指して)あなたの時間を全部食ってしまっても困るでしょうから。
 ドナ:そうよ、そのとおり。
 サム:いえいえ、そんなことにしたくはありませんが(会場、笑い)。ではここから始めたいと思います。

(注釈) ドナ・コリンズは、イギリスの初代統一教会長の娘(祝福2世)で、サムエル氏の親しい友人。


00:48
韓国メロドラマのような人生

 私は、億万長者で統一教会の創設者であり人類の救世主だと宣言した文鮮明牧師の隠し子(あるいは最近の記事の表現によれば「私生児」)です。私の母親、崔淳華(チェ・スンファ Soon W.Choi)は有力な億万長者である崔氏一族の子孫でした。
 崔一族は韓国で2番目に大きな保険会社・大韓生命の前所有者で、ソウルにある伝説的な63階建て黄金の本部ビルで知られていましたが、それは今でも世界で最大級の金箔建造物です。


<崔家元所有の大韓生命63ビル。黄金に輝くソウル(ヨイド島)のランドマークタワーとして有名>

 私は莫大な富と狂信と偽善の世界に生まれました。私の人生はまるで、お金、セックス、権力、陰謀に満ちた韓国ドラマのようです。権力がいかに腐敗するか、いかに絶対権力が絶対的に堕落するか、目の当たりにしてきました。地獄への道がどのように善意で敷き詰められるかを目撃しました。
 それは常に目的が手段を正当化する、狂信的な正義感に歪められた善意でした。
 最後には、私の出生を取り巻く状況を拒絶し秘密にする心理が、私の人生の大部分を影の中で隠れて生きざるを得ないようにしたことを理解するようになりました。
 私はジョージワシントン大学で、歴史学専攻、哲学・心理学副専攻で学士号を取得し、同大学で金融の経営学修士課程を終了しました。1999年の父と統一教会運動との秘密保持契約に起因して、過去十年間、様々な形で訴訟に関係してきました。

 母のように、私はかつて、私の父である文鮮明牧師は人類のメシアだと信じるよう教育されました。
 しかし、母がその母(私の祖母)によって統一教会へ連れて来られたのとは異なり、私はその中に生まれました。私は「改宗体験」を経験してないし、家族や元の生活様式を放棄する必要もありませんでした。教会が私の生活様式でした。が、私に関して何か違うものがあることを感じ取っていました。
 12歳から13歳になったばかりの頃、私の実の両親は、実は文鮮明牧師と崔淳華だと気付いた時、その「違い」は自ずと明らかになりました。
 私が自分の両親や兄弟姉妹だと思っていた人達(朴普熙-パク・ポヒと妻の尹基淑-ユンギスク、そしてその子供たち)は、私の本当の両親の正体を隠して私を生後直後から育てるよう文牧師から命じられていたのです。
 私たち(訳注:サムエルとその母のこと)の統一教会運動に対する訴訟の核心には、まさにこうした強制的な偽りや、父が母に約束しては守られなかったたくさんの約束があります。

 
<戸籍上の両親・朴夫妻とその5人の子供たちとサムエル君(左端)>


4:48
父は17歳の母をレイプ 

 母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。
 その時、私の父が言うには、私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、元返すために・・・すみません、統一教会用語を使わせていただきます。教会に関心があるみなさんの一部はそれをご存知かもしれませんが、多くの方々は知らないでしょう。このビデオを見るかもしれない統一教会員が大勢いて、彼らの助けになるかもしれないので、ちょっと大目に見てください。
 父は母にこう言いました ―基本的に父は母をレイプしました― 天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。それが統一教会信者の理解する人類の堕落です。

(注釈)
サムエル氏は、「レイプ」という言葉を使ったことに関して、以下のように根拠を述べている。動画公表後に寄せられた多くの質問やコメントへの応答記事:「質問に応じて:朴サムエル」より 一部翻訳はじめ)
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/126101550516/sam-park-in-response-to-the-feedback-i-have 
 ウィキペディア(英文)によれば、「レイプは、同意していない人に対して行なわれる、通常、性交を含む性的暴力の一種である。その行為は、腕力、強制、職権乱用によって、または意識不明の人、精神障害のある人、法定承諾年齢以下の人のような有効な同意ができない人に対して行なわれる。」
 母は、性が全く議論されない風潮の当時の良家の出身で、そういう事柄に関してとても純真(ナイーブ)だった。教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた。
 また身長わずか150cmの母に比べ、父ははるかに大きく力も強かった。韓国では承諾年齢は19歳。父は母とセックスをした後、私がしたことは誰にも言うな、特にお母さん(サムの祖母)には言わないようにと母に言った。
 時とともに、また宗教的な条件付けで、母は起こったことを「摂理」として受け入れるようになったが、その時のトラウマの記憶は今日までまだ残っている。
(「質問に応じて:朴サムエル」からの翻訳ここまで)(注終わり)


<文鮮明教祖と卒業式の崔淳華さん>

<主な登場人物関係表>

朴サムエル          :本人、語り手
文鮮明(ムン・ソンミョン):父
崔淳華(チェ・スンファ) :母
李得三(イ・ドゥクサム) :祖母―母の母
崔聖模(チェ・ソンモ)   :祖父―母の父
崔淳実(チェ・スンシル) :伯母―母の姉

朴普熙(パク・ポヒ)   :養父、文鮮明の側近
尹基淑(ユン・キスク)  :養母、朴普熙の妻

韓鶴子(ハン・ハクジャ) :文鮮明の妻、文夫人
韓鶴子の母親      :洪順愛(ホン・スネ)
韓鶴子の父親       :韓承運?既婚男性? 


6:16
祖母は教会草創期の篤志家

 まず、母の家族(崔家)が文鮮明牧師の初期の宗教運動の始まりから果たした中心的な役割を知らずして、父と統一教会運動に私どもが関与する背景を理解することができません。統一教会の信者にとってもそうでない人にとっても、崔一族のこの「隠れた歴史」の含意は無視出来ない重要なものです。
 父は1953年に初めて私の祖母に会った時、彼女が父にとって非常に重要な人になることを彼女の名前から知っていました。
 祖母の名前は李得三(イ・ドゥクサム)といい、文字通り「3つを得る」という意味で、韓国の尺度からしてもかなりめずらしい名前です。しかし統一教会信者にとって、祖母の名前は、創世記1章28節に書かれた3大祝福(「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」)を表し、『原理講論』(統一教会の信仰体系)における中心的な御言を示すので重要だったのです。

 崔家が裕福だったため、私の祖母は、50年代から60年代を通して何度も何百万ドルもの寄付をした、草創期の統一教会運動の主要な財政後援者でした。教会の初期の時代に彼女が援助しなかった人はたぶん1人もいなかったし、そのため彼女は教会内で大変愛される人物でした。
 1950年代中頃の100万ドルは、今日の価値換算でおよそ850万ドル(訳注:約10億円)に相当します。彼女は50年代の初めに100万ドルの大邸宅を売って、その収益を教会へ献金しただけでなく、1973年に亡くなるまで、何十年にもわたって絶えず莫大な金額を献金し続けました。


(注釈)
 文牧師が李得三女史に会った時、文教祖直々の「賛美のシャワー/愛の爆弾」が彼女に激しく降り注いだろうことは想像に難くない。「大変すばらしいお名前をお持ちですね。あなたは神の御言葉の核心を成就する鍵となるべき女性、天に予定された非常に重要な人物です。しかし・・・」。印鑑販売などにおける姓名判断の導入トークとそっくりだが、当然あちらの方が元祖である。日本の霊感商法のキャッチ・トークも、教祖から弟子へ、海を渡って弟子から弟子へと組織体質的に伝わっていると考えられる。

 当時の原理は今とは違ったと言われるが(後述)、3大祝福の教義は六マリアの時代にも変わらずあったことがわかる。
(参照) 現在の『原理講論』から三大祝福の教義を引用:
「神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。」(『原理講論』第1章 第3節(1)「被造世界を創造された目的」より引用ここまで)

 祖母の李得三は、書籍『六マリアの悲劇』の中で、6人のマリアの筆頭の1人として名前(仮名)があがっている。著者の朴正華氏も得三女史の支援を受けたと書いてある。
「辛貞順(李得三の仮名)は、六マリアになれたことで、文鮮明のそばで永遠に平和な生活ができると思っていた。それで、釜山草梁洞にあった家を売り、文鮮明に捧げた。私が釜山で縄の商売を始めたとき、その資金を用意してくれたのも、やはり辛貞順だった。」(『六マリアの悲劇』P152より) 
*ここでいう「マリア」とは:文教祖と性関係を持った人妻。教義的にいうと、メシアによってサタン世界から‘復帰されたエバ’。
(注終わり)


8:40
祖父は韓国の新興大富豪

 私の祖父、崔聖模(チェ・ソンモ)はその時代の実績ある実業家でした。彼は26歳時に自力で成功した億万長者で(100万ドルが本当に意味を持っていた時代に)、富を得てまた失うことを3回繰り返したにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年代初頭までには、新東亜グループ(崔家が所有する大複合企業)が数十億ドル(訳注:約数千億円)規模の企業になるための堅固な基盤を築いていました。
 祖父の事業が発展するに連れて、彼の影響力はソウル(韓国)の政治権力の中枢に達しました。彼はたびたび、当時の朴正煕大統領の要請を受けて、ワシントンD.C.で米国との貿易交渉を主導するために派遣されました。朴正煕大統領の時代に、祖父はホットラインと呼ばれる青瓦台への直通電話を持っていて、米国の経済諮問委員会と同様の団体の長で、経済政策について頻繁に大統領に助言していました。

 祖父は一流企業グループを築き、納税額で見た時、サムスン・グループの創設者で彼の親友である李ビョンチョルに次いで、韓国で2番目に金持ちになりました。韓国で最も裕福なこの2人が昼食のために会って話すことは、意外にも、ビジネスに関することでなく、ほとんど家族と子どもたちのことになるのでした。
 いくつかの点で、これは私の祖父がどういうタイプの人間かよく表しています。 その成功と権力にもかかわらず、彼にとって最も重要だったのは彼の子どもたちと従業員の幸福でした。
 本質的に彼は謙虚で高潔な人物で、当時におけるもっとも道徳的な実業家とみなされていました。特に当時は腐敗があり今も基本的にそうである韓国にあって、そのことは母と私が最も誇りに思う事実です。

(注釈)
堂々の大富豪アナウンスが続く。信者に商品をむりやり高く買わせて暴利を貪る統一産業系の企業などとは違い、また日本の信者の献金を横領して擬似富豪状態になったような人たちとは違って、崔聖模氏は実力と人格と実績のある、正真正銘の大成功した実業家であったようだ。
(注終わり)


10:44
姉妹2人と結婚する“崔家の摂理”計画

 崔家の名声を知れば、私の父がなぜ崔一族の支援を手に入れることに釘づけになったかを見抜くのは簡単です。私の祖父の支援があれば、政治権力の中枢(つまり青瓦台)と財源が、父の初期の運動に対して広く開かれたかもしれないのです。きちんとした後ろ盾があれば彼がどれくらい高くまで上れるか予測できません。父にとって崔一家は、救世主としての夢を叶えるための王冠の宝石でした。

 非信者にとって次の言葉はナンセンスですが、再び我慢して聞いてください。
 私の父(文鮮明)は、神が崔家を通して人類の歴史の全てを完成させようとしていると私の母に繰り返し語りました。私の祖父は歴史的に天使長の位置に立っており、2人の叔父(私の母の弟たち)は歴史的カインとアベルの位置、私の母とその姉(2人とも私の祖母が1953年に入教したすぐ後に入教)は歴史的レアとラケルの立場にある、と父は信じていました。
 父は、2人の姉妹と結婚することによって聖書のヤコブの生涯と同じ道を行き、実の姉妹と彼女らの侍女によって12人の息子をもうけなければならないと思っていました。
 ヤコブのように、父はまず1960年に姉の方(私の伯母)と結婚し、7年後に離婚して、より若く個人的に好きな妹の方(私の母)と結婚する計画でした。1960年までは、教会内のほとんど誰もが、私の伯母と母の両方と結婚しようとする父の結婚計画のことを知っており、母を統一教会の将来の「真の母」と認めていました。
 父によると、彼の使命を正しく遂行しようとするなら、聖書のヤコブの路程を同じように辿って、崔家の家族の中でこのような重要な関係をきちんと行なう必要がありました。


(注釈)
  旧約聖書に出てくるヤコブは、姉妹2人と結婚したといっても、創世記の記述によれば、好き好んでしたのでも計画的にしたのでもない。叔父ラバンの土地で働いていたヤコブは、ラバンの娘の妹の方のラケルを好み妻に望んだ。だが約束の7年の労働期間が過ぎた婚宴の日の夜、新床に入って来たのはラケルではなく姉のレアだった、と朝になって初めて分かったという次第。ヤコブが姉妹の父親のラバンに抗議すると、伯父でもある彼が超軽くいうことには、「レアとの結婚、おつかれーサン。姉の方を先に嫁がせないとこちとら世間体が悪いからメンゴねー。あともう7年、うちトコでタダ働きの約束してくれたら、妹の方もおまえの嫁にやるからさー、いいじゃんねえ」 と暖簾に腕押し状態。断ろうにも寝所の夜闇の中でラケルだと思ってレアとことを成してしまった後なのでもう遅い。こうして彼は伯父ラバンの策略に騙されて、姉妹2人と結婚するはめになった。文牧師のように、最初に姉の方と結婚して、離婚して、それから妹の方と― などと目論むのとは全く違う状況なのだが―。
 真面目で働き者のヤコブは21年間の苦役の果てに天の智恵を使い、伯父ラバンの財産の大部分を手に入れ、妻子たち一族と共に故郷に帰って錦を飾る。兄のエソウに礼をし豊富な財物を捧げることで、かつてヤコブに長子権を奪われたことで殺意を抱いていたエソウも刃を収め、仲直りしてヤコブに‘自然屈服’する。文牧師は「聖書のヤコブの路程を同じように辿って」大富豪の崔家の財産を自分のものにし、それらを使って「兄エソウ」が象徴するこの世の政治権力や宗教権力を手中に収めようとしたのだろう。
(参考)ヤコブの結婚の話:創世記29章14節~30節。聖書本文検索ページ http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
(注終わり)


13:03
 遺憾ながら、父の活発な性的衝動ゆえに、他の女性何人かに意図しない妊娠を引き起こしたので、父に対する私の伯母の信仰は欠けていき、最終的に1959年後半の公式婚約後すぐに統一教会を去るに至りました。
 このようなことは他の人がほとんど知らないことです。これらは都合が悪いゆえに教会が口外しなかった隠れた歴史です、なぜなら… それは全く忌み嫌われるもので、1960年から教会が人々に教えていたことと矛盾するからです。

 私の伯母が婚約を破談にしたあと、父は急激に失速しました。 彼の使命の中心だった、7年間にわたって築いてきた関係は、あっけなく蒸発しました。
 彼は自分の責任を認めることはせず、彼を失望させた私の伯母と崔一族を非難しました。それは責任転嫁して自分を除いた他すべてを非難する文牧師の典型的なやり方です。
 しかし、彼はジレンマに陥りました。「天の計画」を守らなければならず、彼が40歳になる1960年の春には結婚しなければならないのです。統一教会信者は40という数に重要な天宙的意味があると信じるので、彼は約4か月という短期間のうちに急いで花嫁を見つける必要がありました。


(注釈)
 伯母が教会を去った1959年といえば、文牧師の2人目の息子に当たる文喜進を産んだ金明煕女史が日本から帰国した年でもある。金明煕は55年の梨花女子大事件の直前、当局の調査から妊娠を隠すために日本に送られ、その直後出産、苦労して4年後に3歳の息子を連れて帰国したが、失敗した扱いになり、息子とも引き離された。周囲の状況から、文牧師は庶子認知せざるを得なかったという。それはサムエル伯母が文牧師との婚約を破棄し教会を去った一つの原因だったろう。

 金明煕さんは、日本教会では“2番目のお母様”と言われているが、崔姉妹と同じく、文氏とは結婚していない関係だった。「金明煕の証し」によれば、彼女と崔姉妹は教会の三位基台(文教祖と性関係がある処女代表3人グループ)で、とりわけ年齢の近い姉の方とは大の仲良しだった。仲良し過ぎると文氏に注意されたこともあり、互いに嫉妬しないように訓練されたともある。サムエル伯母は、かつての大親友の末路を見て胸中複雑だったに違いない。
 ――以前はあんなに明るく朗らかだった彼女が今は見る影もなく憔悴して・・・。会いに行ってゆっくり話をしたと考えても突飛な想像ではあるまい。単なる嫉妬ではなかっただろう。

 サムエル伯母の脱会については、最古参女性信者の1人「呉永春の証し」(英語版)の中でも触れられている。それによると、順哲(6マリアの1人)の夫が教会に激しく反対し、激怒して呉永春(順哲の霊の親)にピストルを付きつけ、呉永春と淳実(サムエル伯母の名前)の住処を突き止めたので、淳実も順哲の夫から散々被害を受けることになり、教会を去らざるを得なかった、とある。(日本語版では、教会を去る部分がカットされている)
 また、正式な婚約だの将来の真のお母様だのとおだてられても、自分は姉のレア格で、結局文先生は妹のラケルの方を好むことになるのだと、隠されていたとしても何となく女の直感で感じることもあるだろう。いい気持がするはずがない。いろいろな事情が重なっていたのではないか。
「金明煕の証し―精誠の道、原理の道」ファミリー2005.06 http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/kim_myong.html
Yeong Choon Oh(呉永春)の証し(英語版) http://www.tparents.org/Library/Unification/Talks/Oh/Oh-130501.htm
「呉永春の証し(日本語版)―主の受難の道に同伴者となって」.ファミリー1992.01 http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/004.html
(注終わり)


14:40
父は大急ぎで新しい花嫁を探す

 反動の状況について話しましょう。つまり父が韓鶴子(現在の文夫人)を妻に選ぶとき何が起こったか。
 父は私の伯母が裏切ったと思い、自分の威信と希望が個人的に侮辱されたと捉え、崔一家に拒絶されたと感じて結局、現在の文夫人である韓鶴子を選ぶことになりました。
 彼が新しい花嫁を見つけるにあたって設けた唯一の基準は、親の承認が不必要な「誰でもない無名の」女の子ということでした。十代の頃の韓鶴子は賢く、勤勉で、可愛らしかったが、彼女には残念なことに、無知で薄情な母親(訳注:洪順愛のこと)がいました。
 多くの点で韓鶴子は環境の犠牲者でした。
 彼女は未婚の母親が統一教会に入る前に同じセックスカルト教団に入っていた既婚男性との間に生まれた私生児(*1)で、母親はその後賄い婦として統一教会の台所で働くことになりました。実の父親は韓鶴子を自分の娘だと思わなかったので、親の許可は問題ではありませんでした。

 話は1964年に飛びますが、私の父とその途方もない世界支配の計画はうまくいっていませんでした。1960年にメシアである私の父と申し分ない花嫁・韓鶴子が聖婚して4年が経っても、世界はほとんど見向きもしませんでした。
 ここで1960年当時の統一教会員の一般的な信仰を理解する必要があります。
 当時の統一教会信者は実際、私の父と韓鶴子が結婚すれば天が開け、世界が奇跡のようにひざまずいて、彼がメシアでその妻は全人類の真の母だと認めるだろうと信じ考えていました。それはカルトの中で蔓延しがちな呪術思考(*2)の症状です。
 しかし現実は大きな失望でした。
 彼らの長子は「天の王子」になると最初に宣言されていましたが、誉進は生まれてみると女の子でした。
 3番目の子供、恵進は生後まもなく死亡しました。
 信者数は停滞して伸び悩み、教会はまだ財政的に厳しい状況でした。
 これは私の祖父と全く対照的で、祖父の富と影響力はその期間に拡大し成功し続けました。
 父は韓鶴子と結婚したのは間違いだった、軌道修正して崔一族との当初の計画(父が「崔家の摂理」と呼んだもの)に戻ることが必要だと結論を出しました。


(注釈)
(*1)「韓鶴子の父親は既婚男性」という情報はネット界(日本語)で初出ではないか。公に父とされている韓承運氏は当時既婚者ではなかったはずだ。しかし元々教会が表に出している情報はつじつまが合わず、当事者は他界し事が事だけに確定が難しくなぞがなぞを呼んでいる状態なので、この情報も、当時の教会内外ではそんな噂も流れていたのだなくらいの感覚に留めておいた方が無難なようだ。そうでないと頭がクラクラする。この件に関しての考察は「ちゃぬの裏韓国日記」に詳しい。記事タイトル「クイズ!父親は誰だ!」「騙されるな!洪順愛大母様の証は教会の都合のいいように書き換えられている」など、関心のある方は検索してみてください。
(*2)呪術思考とは、ここの例でいえば「教祖が結婚すれば、天が開け全世界が跪(ひざまず)く」と魔法のようなことを信じてしまうお花畑脳。正確には「ある事象について、理性と観察においては因果関係が正当化できない物事に原因を求める思考」

 姉の淳実氏が脱会しても文牧師は妹の崔淳華氏と結婚できないわけではなかったろうに、そうしないで全くの新人(韓鶴子)を探し結婚したのには釈然としないものが残る。
「蕩減復帰」などの後付け“摂理”的屁理屈以外に何か事情があるのかないのか。
 可愛がっていた淳実氏が去ったことで、裏切られた!と感情的になり、激昂して火病発症。まだ自分に対して従順な信仰を持っていた崔淳華氏が目に入らなくなり、崔家への当てつけに全てが対照的な韓鶴子を花嫁に即決し、崔家を貶めた(つもりになった)ということだろうか。
 後で冷静になってみると、やっぱり自分を一途に慕ってくれる崔淳華がかわいい、発展している崔家の莫大な財産も惜しい、無学で貧乏人の小娘(韓鶴子)と結婚していてもいいことはない、つきましては、ご破算で願いましては・・・ と、そろばんで新しい計算に移るようにやり直そうとしたのか。双方に対して失礼な、何とも虫がいい話だ。それに1960年代前半は、韓国教会はいざ知らず、日本やアメリカで初期の開拓伝道が急速に進み運動が広がりつつあった、教会にとっていい時代ではなかったか。
(注終わり)


17:40
私が生れる前後の隠された事情

 1964年春に母がジョージタウン大学の大学院課程で学ぶため渡米すると決めたことで、父は計画を実行に移しました。基本的に母は、韓国のソウルにいる私の父から逃れて、文夫人にいくらかでも息をつく余地を与えたかったのです。
 1960年に韓鶴子が私の父と結婚して以来ずっと、教会内の全ての人は韓鶴子が彼女には決して予定されていなかった位置を占領していると知っていたので、韓鶴子とその母親は非常に居心地が悪かったことを知ってください(*1)。これが韓鶴子の母親が自分の娘にできるだけ多くの息子を産むようけしかけた理由です。母親は娘が男の子を1人産むごとに娘の文鮮明に対する権限が増すことを知っていました。

 それでも父は心を決めました。自分の計画を確実にして私の母を失わないために、1964年ソウル青坡洞教会の本部で、内密に統一教会の公認のセレモニーをして母と結婚しました。
 父にとって何が重大だったのかご理解ください。
 父は、母がアメリカへ発ってしまえば彼女を失い、崔家の富に繋がる可能性がなくなってしまうことを恐れました。
 また、私の祖父の報復(*2)から父と教会を守ってくれる唯一のものが、私の母の父と教会への忠誠心と献身でした。ですから父にとって、母を失うことは存在自体の危機だったのです。

(注釈)
(*1)文鮮明自叙伝にもこれに関係すると思われる表現がある。「教会の中でさえ私の結婚をめぐってさまざまな声があり、妻をねたみ、怨んで、あらゆることを言って騒ぎたてました。」(『平和を愛する世界人として』P206より)
(*2)サムエルの祖父・崔聖模氏の報復に関して。実際、崔聖模氏は55年の梨花女子大事件の告訴に関わり、また文牧師と第1夫人との離婚にも関わった。
 「文師が収監された背景には、この韓景職牧師ともう一人、崔先吉女史の叔父である崔聖模氏(1909-1976)がかかわっていた。」 (『受難の源流』より武田吉郎著 光言社)
 サムエルの祖父の崔聖模氏は、文牧師の最初の妻・崔先吉女史の叔父にもあたる人物。崔聖模氏から見れば、妻(李得三)と娘2人(崔淳実、崔淳華)と姪(崔先吉)が文牧師と性関係を持って不幸な目に合っている。文牧師が聖模氏の報復を恐れても不思議はない。http://ameblo.jp/chanu1/entry-11552019443.html
(注終わり)


18:50
 そして最も重要なのは、母と結婚して、彼女を通して子供を持つことによって、父はヤコブの生涯または統一教会信者が呼ぶところのヤコブ路程をモデルとして同じ道を辿ることに成功するのです。統一原理によれば、それは彼の最も重要な使命でした。
 統一原理はその時から変更されて、今日の原理講論は初期の頃のものとは大きく違っています。教会は現在の文夫人と結婚した後起こった事実関係に合わせるために原理の調整・手直しをしなければなりませんでした。

 父は母の渡米後まもなく、1965年に彼女の後を追いました。母は米国に1964年に来て、父は1965年に来ました。
 彼は基本的に“すべてを危険にさらして”(これは父自身の言葉です)私を作ったと語りました。父の唯一の目的は、米国に来て私の母を妊娠させることでした。父は母を失いたくありませんでした。父は母の妊娠の確証を得てからやっと母のそばを離れました。
 父は1965年に約3か月間滞在しました。私は翌年の1966年1月に生まれ、それ以降は知ってのとおりです。

 事の真実は、父が私を作って崔家の摂理に戻るという確固たる意志を明確にしたので、文夫人は私が生まれる頃までに退いて、私の母のために妻と真の母の地位を明け渡す覚悟をしている、と彼女は私の祖母に言いました。
 しかし、父が韓鶴子を外し、私の母を統一教会用語で「真の母」として正当な位置に就ける計画をやり通すのを妨げたのは、私の母の同情心でした。母は韓鶴子の可能性を信じたかったし、また1人の女性として、韓鶴子と4人の幼子たちを追い出すに忍びなかったのです。これは私が生まれたあと母が私を放棄しなければならなかった理由です。母はそれを知りました。
 後から考えると、もし母が今知っていることをその時知っていたら、全く違った態度をとっていたでしょう。私が生まれた後、父は母との間にもっと子どもを欲しがりましたが、母は拒否しました。祖父や世間から事を秘密にしておくため新たに生まれた子どもたちが母から取り上げられ別の家庭で育てられることを考えると、悲しみに耐えられなかったからです。


(注釈)
  当時の「原理」の最重要課題だったという、文鮮明牧師による「ヤコブ路程」だが、韓鶴子氏と聖婚してしまった後でも、路線変更して「崔家の摂理」に戻れるものなのだろうか。姉妹の姉の方はもう教会からいなくなって久しく、韓鶴子さんとの間にはすでに3,4人の子女が生まれている状態。ここで崔淳華さんと結婚して子供を持つことで、はたして姉妹2人と結婚するヤコブ路程のモデル化が成功したといえるのだろうか、そんなはずないだろうと不可解さに頭をひねっていたところ、ピンと来た。その場合、韓鶴子を姉のレアの立場(レア格)にしてしまえばいいのだと。そしてラケル格の「個人的に好きな」サムエル母と結婚 → 崔家の財産をゴッソリ手に入れる →文牧師ウハウハ で、ヤコブ路程完全勝利!・・・ という構図だ。(もちろんそううまくいくわけはないが。)

 しかし実際の姉妹でもないのに、それに鶴子さんの方が淳華さんより7つほど年下なのに、姉のレアと妹のラケルだなんて、こんな教学でいいのでしょうか、お父様? 
 いいんだよ(どうでも)。自分の欲望や野望にピッタリ沿って駆けるわが身の後ろめたさを、多少の智恵とハッタリで、原理や摂理の必然にすりかえる。これがお父様だ。いいんだよ、これで(どうでも)。おまえは立派な教学担当だ。
 ありがとうございます、お父様! 朝鮮シャーマニズムに影響された統一教会、擬人化された都合好い神観、それらを振り回しながら、文鮮明先生は、対象を変え品を変え、この後何十年も突っ走るのだ。♪ がんばれー がんばれー ぶん・せん・せい (/・ω・)/ ♪

 「真の母」の地位をめぐるレースは、それぞれが軋みとも悲鳴ともつかない鋭いブレーキ音を響かせてデッドヒートしていた。ヤコブの時代は一夫多妻制があったが、現代は法律上重婚できないから、崔淳華と結婚しようとすれば、韓鶴子とは離婚しなければならない。韓鶴子は一時、妻と真の母の地位を明け渡す覚悟をしていた、とサムエル氏は語っている。文牧師が韓鶴子にああだこうだと説教し無理やり納得させたのか。
「鶴子、おまえは歴史的にレアの立場に立っている。レアはラケルを広い心で包容しないといけない。これはエバの歴史的蕩減だ。レアはカイン、ラケルはアベルだ。わしの目を見なさい。間違ってもカインがアベルを殺すような人類史の過ちを繰り返してはならない。ラケルの淳華も子を産んで、わしはヤコブのように12人の息子をもたなければならない。アイゴー、全て御旨のためだ。たのむ、鶴子、離婚してくれ。だが遠くに行くな。生活の面倒は教会が見る。心配するな、アイゴーアイゴー」
 それとも何の説得も説明もせず、いきなり強圧的に宣言したのか。

 しかし間一髪のところで、崔淳華の同情心が、韓鶴子と4人の幼子を追い出すに忍びなかったと。もっとも「韓鶴子の可能性を信じたかった」とは具体的にどういうことなのか(どういう期待があったのか)理解に苦しむが、公にされない当人しか分からない内容がまだまだあるのだろう。
 ほんの少し何かが違っていれば、あなたが伝道された頃の教会の祭壇に飾ってある写真は、文鮮明教祖と崔淳華氏が写っていたかもしれない。チャーチマザーが写真を見てウットリして言う。「お父様、すてきね。お母様の御実家は韓国の財閥だったのよ。お母様とお父様、とってもお似合いね。」 まだ日の浅いあなたは「どこがすてきなんだ」と思いながら、所在なく教会の刊行物をパラパラとめくると、真の父母を中心に側近や子供たちが大勢でそぞろ歩きをしている見開きの写真、その御一行の後ろの方に伏せ目の寂しそうな顔の女性が1人ぽつねんと写っている。気になってマザーに尋ねると、「ああそれはレアのお母様の韓鶴子さんじゃないの。知らなかったの、あまり見かけないものね。お子様も何人かおられたはずよ。昔お父様が米を買いに出られた時、神様から『汝のラケルに会いに行け』と啓示を受けてね、お父様は啓示に従って妻子を残しそのままアメリカへ行ってそれっきり・・・ナンタラカンタラ・・・」 窓の外は日が暮れて、夜空には3つの月がゆっくりと昇っていく。多元宇宙の仮説だと、どこかにこんな風に枝分かれした別の宇宙(パラレルワールド)が存在するかもしれない。

 どちらにしてもあなたとは関係のない所でのお話。こういう摂理という名の虚偽にあなたの血(情やお金)を注ぎこむのはやめて、自分の力を取り戻してほしい、そうする勇気を持ってほしいとサムエル氏も講演の最後で訴えている。
(注終わり)

 

<文鮮明牧師から崔淳華に宛てたハガキ(1955年)>

<黄色部分の翻訳:1.孤独な復帰の道を歩む先生のために、私の心の灯になっておくれ。2.もし男の子なら「慶 Kyung」を、女の子なら「妍 Yeon」を1文字目に使い、文家の伝統に則って名付けるように、朴ポヒ夫婦に伝えておくれ>

訳注1.「先生」=「私」=文牧師のこと。先生、なかなかロマンティックな内容ですね。
訳注2.生まれる前から朴夫妻に養子に出すことが決められていたとわかる。朴夫妻はサムエル氏を実子と偽って出生届を出したが、それも文牧師の指示だったに違いない。出生証明書と朴氏の裁判証言記録(2010.07)などが前述の雑誌記事の資料としてネット上に公開されている。
 宣誓証言で朴氏は、「出生届には実子となっているが、実は自分は養父で、実の父親が誰なのか私は知らない」と陳述している。
 それに対してサムエル氏は「1965年に父は米国を訪れ、朴氏の家に滞在し、朴氏の部屋の隣の部屋で父により母が僕を身籠ったのだから、朴氏は僕の実の父親が誰か知らないはずはない。統一教会は大金をばらまき、偽証証言を通用させた」と書いている。


21:35
真実の教会史を伝えたい

 私が今説明したことは、統一教会の本当の隠された歴史です。
 歴史の記録を正すためこの演壇に着くのに長い時間がかかってしまいましたが、私はもうこれ以上この秘密を背負わなくてもよくなります、ついにこの日が来てホッとしています。
 統一教会に与える影響や「真の母」としての文夫人の正当性、統一原理に基づくその子孫の「真の子女」あるいは嫡子相続人としての正当性などを考えると、なぜ統一教会運動がこの情報を包み隠しておきたがったか、なぜ彼らが秘密を守るために極端な法的手段をも辞さなかったか、その理由を理解するのは簡単です。母が統一協会の正しい「真の母」であることの根拠を示すのは難しいことではありません。それは文夫人自身が、1966年~67年当時、私の母に彼女の位置を明け渡す準備をした時点ですでにそれを証明していたからです。

 しかし媚びへつらいに満ちた、莫大な富と特権と絶対権力の世界に包まれたまま時が経過して、韓鶴子はいかに若い時の良心を失ってしまったか一目瞭然です。
 それに彼女自身の母親に育てられ受けた教育の悲惨な現実を加味すると、韓鶴子は自分の子どもたちをちゃんと育てる技術を全く身に付けてこなかったことは―今日その子どもたちのほとんどが彼女を非難している―自明です。
 私の出生のタイミングと状況を見るならば、統一教会運動の「正当な相続人」としての私の主張の価値についての議論は非常に簡単です。
 もし韓鶴子が統一教会運動の予定された真の母だったとしたら、なぜ私の父はその「神聖で、聖なる」結婚から抜け出して私を作ったのでしょうか。
 またなぜ彼はその時、そうするために「すべてを危険にさらす」と私の母に言ったのでしょうか。
 まあ、私が見るには、このような状況は私をかなり重要な天宙的な人物にさせます、もちろん統一教会的な意味で。そういう理由もあって、半分血の繋がった私の兄弟の一部は私を嫌ったり、冷淡にあしらいます。これは私にとっていいことです。なぜなら文家には虐待の循環と親から受け継いだ自己愛性人格障害や妄想性絶対観念(たとえば、彼らは特別なのでメンバーや他の人々を酷使してもいいと信じているなど)への傾向があるからです。この種の考え方や態度は、彼らと分かち合えないものです。

 さてここで誤解しないでいただきたいのですが、私は次のメシアやそれに類する何かになろうとしてキャンペーンしているのではありません。率直に言って私には関心がないし、他の人を犠牲にして自分が特別だとか優れているように感じたい欲求に苦しめられたこともありません。
ドナ:「まあそれはあなたがそう言っているだけですが」(会場笑い)
サム:本当?! 私は痛いほど自分の限界を知っていて、誰かが神に近づくために私を必要とするなんて考えないくらいには賢いのですよ。神が何を望んでいるかが分かる本物の「特別な」洞察力を持っていると信じ、またそう主張することは、全くの自己陶酔に陥る危険な坂道です。

 母と私はほとんどの人が理解するのが難しいと思われる特異な人生を歩んできました。
 私たちにとってそれはこれまでに知っている唯一の人生なので、比較するものもないのですが、外から中を覗き見たとき私は今ではその異色さを感謝することができます。それでも回復への道のりは長くつらい闘いであり、この会場にいる多くの方々と同じように、愛する人々の支援と、本当に理解を越えた恵みと愛の普遍的な存在なしにやり遂げられませんでした。私たちの言葉や姿は普通に見えるかもしれませんが、私たちには永久に自分の存在に刻み込まれた傷跡があります。
 私の大好きな、ハリール・ジブラーン(Kahil Gibran) の詩から引用します:
「悲しみがあなたの存在を深くえぐればえぐるほど、その深みを満たすあなたの喜びは大きい」

 私たちは多くのことを通過してきましたが、それだけ多くを包含することができるので幸運だと思います。それは全ての経験から得られた祝福です。
 また、ICSA(国際カルト研究会)に来るという驚くべきことになりました。多くのSGA(成人した二世のこと)がここにいます。また多くの学者と一般人の方がここにいます。それは私が前に進むための非常に力強い励ましのサインになりました。望みがあります。人々が彼らの体験から癒され回復する方法があります。ありがとう、皆さん。(会場、立ち上がり拍手)

27:46
 母は17歳のときに私の父からの性的搾取に耐え、この同じ男のために当局に拘束され尋問され(*1)ました。
 同じく父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄(*2)し、秘密裏に父の息子を宿し、その後この同じ男のためにその子を強制的に放棄させられました。
 過去5年間、私たちは、父と統一教会運動が私たちに支払うべきものの支払いを執行するよう訴訟をしてきたので、他の多くの統一教会信者と同じように私たちは今2人とも差押えと破産の寸前で生活しています。
 自分としては、彼から認められるのを長い間望んできましたが、今は彼が自己陶酔に陥って感情的にあてにならなかったことを知っています。
 私自身に息子がいて、自分の息子を捨てることはいうまでもなく彼なしで生きることは想像すらできないので、父の人生の選択がどれほど悲惨なのか今は知ることができます。私の父は本当に残念で悲惨な人間です。
 そして彼に対する結論はこうです 
「自分は全人類のメシアだ・真の父だと主張して、自分の息子には父だといわない、ありえません。それは究極の偽善です」(拍手)


(注釈)
(*1)文牧師ゆえに「当局に拘束され尋問され」たのは、崔淳華氏ではなくお姉さんの崔淳実氏のことだと思われる。サムエル氏が語る教会の古い事情は母の崔淳華さんから聞いた内容だろうから混同があったのではなかろうか。 梨花女子大事件(’55)を報じる当時の京郷新聞記事に「▲崔淳実=(女信徒) 淫行媒介」とある。 http://ameblo.jp/chanu1/theme2-10031388309.html(他にも崔家についての文氏自身のみ言葉など興味深い内容がある)
 また、『六マリアの悲劇』P122には、「李聖花(崔淳実の仮名)はまだ若かったので、担当官の混淫関係の調べで誘導尋問にひっかかり、拘束されることになったが、起訴にはならず、1週間後には釈放された。」とある。
 ちなみに「混淫」という言葉は日本語にはない。「代身」「約婚」などと同様に韓国・朝鮮語らしい。1900年代前半から朝鮮に存在した血わけを行うキリスト教風シャーマニズム的霊的集団(講演録では「セックスカルト教団」)を「混淫派」と呼んだことからきていると思われる。『六マリアの悲劇』の中では「混淫関係」という表記に(姦通問題)(セックス関係)などとと加えて補足説明している。この時文牧師が無罪になったのは取り調べで食口たちが嘘をついたりしらばっくれたり必死になって文教祖を守ったからだとも書いている。今回のサムエル氏の証言を読めば、当時警察の嫌疑通り女性信者たちとの「混淫関係」が事実あったことがはっきり分かる。
(*2)「父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄し」について、「質問に応じて:朴サムエル」の中で以下のように詳しく説明している。
「私の祖父は、母が教会を去るならば、祖父が所有している企業集団の最も重要な大韓生命(数十億ドルの企業)を与える用意をしており、また朴家から私を連れ去って教会と離して韓国で育てる準備もしていた。祖父には、そうする権力と所有権があったが、母は父に献身的な愛を捧げ、教会を去ることはなかった。」
(注終わり)


29:38
父と教会を相手取った24億円裁判

 既に述べたように、過去5年間、母と私は、父と統一教運動が私たちに負った負債に対する訴訟に巻き込まれてきました。
 2千万ドル(私たちの法的請求金額)(訳注:約24億円)は誰にとっても大きな金額でしょう。日本で宗教的恐喝により強制的に奪われたお金を取り戻す、あるいは再請求するために統一教会を訴えた人々がいますが、原則として、私たちも同じことをしているのだと思います。私たちの訴訟は祖母と崔氏一族が1953年から20年以上にわたって教会に寄付してきた何百万ドルというお金に関してです。再び申しますが、当時の数百万ドルは今日では2千万ドルを優に超える価値になるので、統一教会運動は実際かなり大きな割引を受け取っています。
 再度申し上げますが、結論はこうです。
 私の祖母と母は、今の統一教会運動がなってしまったものに支援したのではありません。彼女らは、個人崇拝をして信者たちを精神的・経済的に奴隷状態にする(特に日本では大多数が貧困者になった)狂信団体に支援したのではなく、文氏家庭が生きている媚びへつらいに満ちた小世界を維持・強化してきた韓国人中心の支配エリート層を形成するために支援したのでもありませんでした。
 もし統一教会が存続可能な正当な団体になりたいのであれば、その名の「統一」という部分に回帰する必要があります。
 大多数の信者が乏しく生きているのを尻目に、文家族が海外の銀行口座に大枚何十億ものお金を積んでおかなければならない理由は、貪欲と腐敗以外にはありません。
 慈愛は我が家から始まるとことわざにもあるように、今こそ統一教会運動が一つの世界家族を作るという創造委任に従って、単に口先だけで同意するのでなく、実践をする時です。 今日前に進み出る私たちの望みは、実際に他の人々が力を取り戻し、また残念なことに統一教会運動がそうなってしまった虚偽に参加するのをやめるために勇気を持つよう励ますことです。


(注釈)
「こういう統一教会に支援したのではない」―多くの人が自分のこととして共感するだろう。
 数十年以上前の寄付は莫大でも、法的には時効の問題もあるから困難が想像されるが、2千万ドル(24億円)という金額は、当初文氏の個人秘書ピーターキム(金孝律)が≪文教祖の引退時にサムエル氏が文家の企業帝国で指導的地位を与えられなかった場合には支払う≫と約束したとされる金額と同額である。教会の約束不履行に対する請求の訴えは2010年に却下されたとのことだが、その後も名目を変えて訴えているのだろう。もともとは実の息子としての相続に関する金額だった。裁判の経緯については、マザージョーンズ誌の記事「独占:ムン・ソンミョン師が必死に隠そうとした私生児と会見」の後半以降に詳しい。
マザージョーンズ記事(翻訳:暗在)http://www.geocities.jp/yyjapanjp/pa.html
 もうひとつ裁判の話題として、≪文氏の認知がないならDNA鑑定をして親子関係の証拠を出せ≫とのコメントに対して、「質問に応じて:朴サムエル」には、「私は訴訟の期間中に、統一教会の弁護士から、親子関係を確定するためのDNA鑑定を求められたことは一度もない。そこが争点ではないと関係者全員が分かっていたからだ。」とある。
(注終わり)


32:13
最後に:表に出るのが遅れた理由

 人々が疑問に思っているかもしれないので、ドナに場を譲る前にもう一点だけお話します。私が人前に出るのになぜそんなに時間がかかったのか、またなぜ私はナンスク(洪蘭淑)とドナ(Donna Orme-Collins) を支持して進み出なかったのか。
 その理由は、単に私が素朴で鈍かったからだと今は理解しています。
 当時私は父と何らかの和解を望んでいました。
 教会のことを別にして、最終的には彼は私の実の父親であり、私は息子として本当に彼の善意を信じたかったし、父が私のことを本当に心配して気にかけてくれると信じていたかったのです。その思いは結局、手放すのが最も辛いものでした。
 特に訴訟中に、彼らが基本的に訴訟の価値よりもっと多くの金額を弁護士費用に費やすのを見るとき、これらの人々の本性が分かるというものです。血筋をこのように扱うとは、特に私の母が払ってきた数々の犠牲をこのように扱うとは。それは私を本当に大きく変えましたが、ある時期までそれを経験しなかったので、私の方向転換が起こった時が遅くなりました。
 これが今日いる場所へ到達するのにこれほど長い時間がかかってしまった理由です。しかし、少なくとも、私は本日ここに辿りついた、そのことが最も重要なことです。
皆さん、ありがとう。(拍手)

<翻訳終わり>

             *** 

 最後に、米本さんから「記事中、レアとラケルの関係の意味が分かりにくいので、根拠を添えて説明をつけてほしい」との要請があったので書いてみます。
 まず旧約聖書(新共同訳)からレアとラケルに関する部分を少しだけ抜粋:
「ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。」(創世記29章16,17)(懐かしの口語訳では「レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。」
 さきの注釈で書いたような次第で、この2人の姉妹がヤコブと結婚した後は、
「ヤコブはレアよりもラケルを愛した。主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。」(同29章30,31)
 その後ラケルとレアは張り合って、それぞれ自分の女召使をヤコブにさしだし、姉妹両陣営で召使による子作り大合戦が繰り広げられる。最後にラケル自身も2人の息子を授かるが、2人目の出産時の難産で彼女は死ぬ。
 ヤコブの11番目と12番目の息子はラケルが産んだヨセフとベニヤミン。その他、レアが7人、レアの召使が2人、ラケルの召使が2人産んで、この12人の息子からイスラエルの12支族が形成されてゆく。足し算すると13人になっているのは、レアが女の子を1人産んだから。(これこそ1人娘、独生女と言うんじゃねえのか)
 聖書にはこれらのことが出来事として書いてあるだけで、それがどうこうと教訓じみたことは何も書いてない。
 では『原理講論』ではどうかというと、ヤコブについては後編の歴史論で何度も出てくるが、どこにもレアとラケルに関する記述はない。(もしあったら教えてください)
 統一教会独特の「レアとラケル観」は、ひとえに文鮮明牧師が語った「み言葉」から発せられている。「文鮮明 レア ラケル」で検索すればたくさん見つかる。文牧師は、聖書中の女性たちや実際に関わった様々な女性たちをそこら中で(刑務所でも)レアとラケルに当てはめて語っている。それらは巨大な蟹がブクブクと出し続ける泡のように増殖してとりとめがない。

その中のほんの一部引用はじめ:
「レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。」(「真の御父母様の生涯路程10」)
「レアは何かというとエバの洗礼ヨハネ形、ラケルはエバ。それを基準として勝利圏を作っていかなければならない。(「第二次七年路程」)
「マリアはレアの代身であり、イエスの新婦はラケルの代身でなければなりません。母がレアの立場で、ラケルを捜してあげなければならないのです。」(「根本復帰」)
http://ameblo.jp/unrestorable/entry-11497136800.html
(引用ここまで)

 ということで、レアとラケルは女のカインとアベルのような関係で、一体化が必要、だそうです、米本さん。これでよろしいでしょうか? なに、全然分からない? 伝わらない?
 では、聖書の話と総合してみるとつまり、レアは順番・形式としては先なので正妻の立場、二番目のラケルは後妻、妾の立場になるが内容としてはラケルの方がより神に適う基準を備えている(またはヤコブが好んでいる)という説明ができそうです。が、現実への当てはめ方は多分に恣意的なようです。
 たとえば一般社会でいえば、お局様と新入女子社員とか、老妻と若い愛人、嫁姑など適当に当てはめようとすれば何にでも当てはめられるでしょう。結局のところ、わしはより若くてきれいな新しい女(ラケル)が好きでそっちにいくが、レアよ、それを許して受け入れて、ラケルとわしがうまくいくようにいろいろ世話をやいてくれよ。気が向いたらたまには関係しようぜ♡、かわいいラケルよ、すまんがわしにレアがいることは事実でな、だからレア先輩のいうことをよく聞いてな、よく学び、これからは毎日わしを悦ばせておくれ♥女召使たちもいるでよ by文鮮明、といったところでしょう(どちらにしても誰が関係するか。一切ごめんだね)。
 文先生はストライクゾーンが広いですから。意外に年増がOKで、若くて美形なのはもちろん好き、知的な年上がイケル、幼女はぜひ、ばあさんも外せない、従順な金持ちカモーン、気の強いおきゃんがこれまた♡、ストライクゾーンは、ああ、遥かユーラシア、モンゴルの大草原の如し。(゚д゚) 

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~~~~~~~~~転載終わり。
 
原理信奉者たちは、現実とかけ離れた内容が正しいとしていた。組織の終盤に出て来た「本体論」をなんとか上層部は信者に浸透させようとしたようだけど、それは教祖の下半身使い放題を正当化する内容でしかなく。つまり~~、混イン宗教のパクリの正当化にしかならず、原理だなんて言葉で科学的に立証されるかのような文言を使って、人間を翻弄させて行く。簡単に言えばイン乱を正当化して人間を愚弄する宗教だったってことじゃないかなぁ。
「本体論」は「詭弁」でしかない。最初から言えよ~イン乱ク*組織!
最初から西川氏はすべて知っていながら、現実を隠して日本に入り込んだ。初期信者は一生懸命に広めたのかもしれないけど、現実を知っていたら日本人は引っかからなかったと思う・・・。腹に抱えたまま逝ってしまった大幹部たちも、途中から気づいたのかもしれないけど、変われず、組織に留まった・・・。なにせ、人生全て掛けてそこに利権も絡んでいたから早々簡単に抜け出せない。しかし、息子教にちゃっかり鞍替えしてその立場を維持する責任逃れの離教した元幹部もいる。キッタネェ~ぞ!暴露している古参元信者たちより、肝っ玉ちっちぇ~人間だったということなのかもしれないね。文鮮明に従うことでより多くの人間たちを苦しめた幹部たちだったとも考えられる。 byナツミカン