記事全部消されていたので、ちゃぬさんの記事をまた転載加工いたします。

文鮮明教祖がか語った言葉を、ぜひみなさん訓読してみてください。

 

「借金をしてでも献金しなさい」と言ったのは文教祖です


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■「借金をしてでも献金しなさい」と言って、統一教会の信者が自己破産するようになった原因を作ったのは文教祖です。

文教祖「十分の一献金なんて足りなさ過ぎる! 給料を100%捧げなさい! 足りなければ借金しろ! さらに足りなければ体を売ってでも! 」


『統一教会の会員は必ず万物復帰をしなければなりません。万物復帰をすることによって、皆さんは神に万物を献祭するのです。サタン世界の人々は自分を中心にして自分の利益を求めますが、私たちは神のみ旨のため、世界のために生きるのです。ここが違うのです。この世の人々は十一条(十分の一)捧げればよいと言っていますが、私たちは十一条でなく百パーセント捧げます。それを三年間しなくてはならないのです。たとえ非難され、反対され、ムーニーと言われ、唾を吐きかけられても、どのようなことがあっても行くのです。
イエス様の時代に、アナニヤという人がいました。彼は資産を売った代金の全部を捧げなければなりませんでしたが、それをごまかし、隠しておいたために不運を招いて打たれて死んでしまったのです。同じように、皆さんも万物復帰をするとき、自分勝手に使ってはいけないのです。自分のために使ってはいけません。かえって、万物復帰したものに、自分のものを少しでもプラスして捧げるのです。それが私たちの精神なのです。
 このような原則を中心として生活しなければならないのです。この道を行くには、
借りてでも天に捧げようとする心がなくてはなりません。精誠の限りを尽くしたにもかかわらず、それでも不足している場合には借りてでも補うような気持ちが大切なのです。誰でも先生の所へ来る時にはこうして(堂々と胸を張った格好で)来るのですが、帰る時はこうして(下を向いて小さくなる格好で)帰るのです。(笑い) そして、ほめることは殆どありません。ほめてあげないのです。もしほめると、サタンが讒訴するからです。そうすることによって、サタンが認定し、ほめるようになって、祝福を受けるのです。』 
(み旨の道 1982年5月30日)


『あなた、このごろ、何をしていますか? (「はい」)。何をしているのかと尋ねているではないですか? (笑い)(「経済の一翼を担当しています」)。経済? (「一和に勤めています」)。一和に勤めるのが経済ですか、あなたが生きるためにするのでしょう? (笑い)月給をもらっていますか、もらっていませんか? (「もらっています」)。それが何の経済ですか? (月給を)もらえば教会にすべて献金しますか? (「十一条をしています」)。十一条が何ですか、こいつ! それは国のためにするのですか、自分のためにするのですか? 

自分の体を売ってしても、負債を負いながらしても不足であるはずなのに……。 』
(六五〇〇家庭の約婚式のときに語られたみ言1988年10月23日龍仁メッコール工場)


<文総裁を韓国と日本の王として仕えれば平和の王権時代になる> 
『日本の国がこの大会をするのですが母(※エバ国家(母の国=日本))の乳まで切って売ってもしなければなりません。その次は一度妾の位置に立ったので、二回、三回行ってでも、

自分の体を売ってでも韓国を助けなければなりません。
・・・皆さんを中心として、日本政府が韓国人を尊敬しなければなりません。ですから皆さんを動かすことを見て、文総裁を韓国の王であると同時に、日本の王として仕えることができるその日になれば、地上天上解放圏、平和の国連を越えて平和の王権時代に移るのです。』

(「文鮮明先生み言葉選集」421巻より) 


文教祖は徹底して献金は煽りますが、責任をとるつもりは微塵もありません。
その言い訳がこれです。「神が責任を取る」・・・・・。

文教祖「でも借金しても大丈夫! 神様がついているから神風が吹いて借金取りを追い払うよ(^^) それに奇跡がおきて借金を代わりに返してくれる人が現れたりするよ(^^) だからがんがん借金しろ~!」

『今日、神のみ旨を中心として、このような死の谷を埋めるにおいて、自分のすべてを投入するのです。借金してでも投入するのです。借金をして、倒れるようになったのです。破れるようになったので、神が台風を呼び寄せて、借金を取りにきた人をみな去らすのです。そうでなければ素早く他の所から持ってきてくれる、そのような役事がいくらでも統一教会においてはあります。あなたたちは知らないでしょう。先生においてはそのような生々しい役事がいくらでもあります。それを語らないだけです。それを、あなたたちが信じないからです。イエス様が言ったように、地上のことを話しても信じなかった、そのような道を行ったのです。』
(天国創建の意義 1986年1月1日 ソウル本部教会)

でも奇跡も神風も吹かず、残ったのは大量に自己破産した信者だけが残った・・・・・。
あまりの献金ノルマの重さに耐えられず、ついには自殺するものも出た・・・・。

『現役食口です。
文さん、いらないものをまた買ってしまったんですね。
ボケてて判断力なくしてるのも少しはあるんでしょうが・・・。
また日本への献金の強要のネタが増えましたね。
最近、北長野では婦人部長の二の位置のWさんという方が教会での借金トラブルの窓口での板挟みで悩んで飛び降り自殺されたという話しを聞きました。
こうなってくると、第2第3の献金借金苦による飛び降り自殺者が増えそうです。
自己破産が誉れと叫ぶ日本の総責任者。
私も知りあいの食口によるカード詐欺で破産してしまいましたが、

自己破産してない人はまだ余裕があるとみているようです。
日本の献金に頼って赤字企業ばかりの統一グループ。経営する患部連中は無能な人ばかりです。どうしようもありません。』

投稿 EWI | 2010/09/06 17:22 
http://kokoro.mo-blog.jp/weblog/2010/09/aj0901_1d68.html



『>献金しなかったとしても殺されません。

もう既に献金絡みの死人が出てますよw!
アベルがカインを直接殺した(!?)事件ではないですが、北長野で献金を管理する責分の女性食口が飛び降り自殺してます。上のFBとお金を教会に貸した食口との狭間に立って鬱的になり、自殺されてしまったとのこと。もっとも教会の公文では転落死扱いですがねw

他にも献金を捻出するためにUC関連企業から手を付けてはいけないお金を持ち出した牧会者が返済に行き詰まったストレスで感情が激昂して、クモ膜下を発症し死去したと聞いています。こちらは殉教者扱いにされています。
他にも献金苦からの自殺は埼玉方面でもあったと思います。
自殺を選ぶほどの原因は、責任者からの詰めですね。

>今頑張っておられれる人たちに頼るしかないでしょう、し かし「新しい道は私たちが創っておく」という考えです。

 本来、日本の失敗がなければ十・一条献金をするだけで、十分まかなえる額だったはずです。これは5万50万の時 からの命題です。今50万の十・一条会員がいればそれだ けでそうとう楽なはずです。借金や賠償金、和解金の返済 がなければお父様の要請はクリアできるはずです。無理を言っておられる父母様ではないと思います。
無理を言ってるからの現状ではないでしょうかw?
失敗したのは日本人でも、それを修正する責任者は能力不足で、行き詰まると「誰でもいいから借りてこい」です。
適正な指導をしていたらもっと改善されていたのでは?と思います。神が相対するアベルなのだからとね。またそれに責任を持つ総裁はTFです。子女の責任だからといっても「総裁」を名乗る以上はすべての責任者です。』

Re: パワハラとMC!?日本的原理信仰観 - 国家公安委員会 
2010/12/27 (Mon) 11:42:12
http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3327732



『NO.8106 
2010年9月26日日曜日 11:39 宮本無二斎の悴 
8月に北長野で献金を苦に自殺したさん既成祝福家庭婦人のWさんは、洗濯物を干していて転落した事故ということになっている。転落事故扱いにしなければ昇華式もできないし、所属教会信者の手前も悪くなる。自殺を事故とするのはUCの常套手段。警察が自殺の動機を調べたが、結局は世間に知れ渡ることにはならなかったようだ。
献金を詰めていたのは豪腕で知られるM婦人部長で、Wさんは教会の借入れ返済の窓口役で、上と下の信者に挟まれて鬱症状になっていたそうだ。
もうとっくに昇華式は終わって現場では沈静化していると思うが、こんな悲惨な被害者が毎年恒例の年末献金総回収劇で出ないことを祈るのみだ… 』

(カルト被害を考えるコメント欄より)




上記の借金までさせる強制献金の自殺犠牲者の方がと同じ地域教会に所属していた方から、当ブログに寄せられたコメントです。
自殺の原因が極端な実績追求だったと証言してくださいました。

■借金中です
『このたびは、長野の献金の記事をありがとうございます。

この時は今よりも献金摂理がものすごく、
礼拝堂で区域ごとに輪を作る感じで丸まって、与えられた献金の割り当て金額(自分の青年支部は200万など)の、具体的な方法をアベルに報告しないと帰れませんでした。
区域で丸まっている時は教会長は、壇上から見まわしたり、歩き回っていました。

具体的なので、「親戚にあたってみます」では、いけません。
アベルも確実な金額を用意できると決まらないと教会長が帰宅を許可しませんでした。
自分の青年部も、日付が変わってもまだ礼拝堂で案を練っていました。
アベルの教会にあるPCで、用意されていたサラ金のサイトから申し込みました。青年部は順番に。

3社からサラ金をして、今でも1社は毎月返済しています。生活はかなり厳しいです。

その時は長野は14リージョンと言う日本の区域(?)で、
大きく北長野と南長野に分かれます。
現役の方は常識なほど、特に北長野は献金率ナンバー1を、しばらく走っていました。
これを死守するために、このような悲惨な自殺という結果になったのでしょうね。

友達に、高い勉強代だったねと言われるのは納得できます。
しかし、現役食口や元食口の方に「結局は納得して献金したんじゃん」と言われるのは憤慨です。
献金の目標金額にいかないと、教会長に怒鳴られるアベルを目の前で見て、教会内でサラ金の申し込みを用意され、献金集めの区域ごとの話し合い中でトイレにいこうと礼拝堂から出ようとしたら「どこいくんだ!!」と、勝手に帰るんじゃないだろうな!?って感じで怒鳴られました・・・。
なので、感謝での献金や、納得なんてしてません!

アベルの決まり文句は「借金がなければ食口じゃない」です。』

(まちち 2012-05-13 20:40:08)



一体これは宗教といえるのでしょうか。
感謝して喜んで献金を差し出せなければ、意味が無いのではないでしょうか。
こういう行為をいているのが統一教会ですが、信者は堂々とこういう非常識な内容を伝道するとき世間一般人に言えるのでしょうか。


※初回更新日 2012-05-12 20:11:57