2004年4月6日(火)の朝、父が脳出血で突然倒れました。

それはまさに青天の霹靂でした。だって、前日の夜まで、とっても元気だったんです。

 

たまたま手術台が空いていて、すぐに緊急手術を受けることができました。

手術は成功したけれど、集中治療室に入っていた2週間は、命の心配ばかりしていました。毎日泣いていました。


毎朝目を覚ますたびに、「夢じゃなかったのかー」とがっかりする日々。

自分の父親がこのような状態になってしまったことを受け入れるのは、本当につらいことでした。



今でも、倒れた日のことや、集中治療室に入っていた頃の部分を読むと、自分が書いた文章なのに涙が出そうになります。


先生たちから、長い目で見てください、と言われていたにも関わらず、それがどの程度のものか理解できず、「きっと3ヶ月もしたら喋れて、半年もしたら歩けるさ」なんて考えていました。


父の病気が、本当に時間もお金もかかるものだと気がついたのは、しばらく経ってからのことでした。その当時はただsurrender(ゆだねる)という気持ちでした。なるようにしかならない。なるようになる。




助かったのが不思議なほど重度だった父。

きっと、生き続けるべき使命があったのでしょう。

そして、倒れてから4ヶ月後の8月13日、父は天へと旅立ちました。


命が助かったからといって幸せなのだろうか?

入院中はそんなことを感じることが多々ありました。

そして、旅立ったときは、もっと生きていて欲しかったという思いと、楽になってよかったね、と見送ってあげられる自分がいました。


父を通して、たくさんの温かさ、優しさに触れることができ、何にも代えられない貴重な体験をさせてもらえたことは私の財産です。


本当にたくさんの人たちから励ましを頂きました。みんなが祈ってくださいました。

感謝してもし尽くせないほどです。いつか恩返しができたら、と心の底から思っています。



今私ができることは、自分が感じたことを発表していくこと。

病人を抱えた家族がどんなことを思っているのか、それを少しでも知ってもらえたら嬉しいです。


この物語は、父の闘病を通して感じたことを、自由に正直に本音で書き綴ったものです。医療従事者の皆様に関しては、失礼なことも書いてしまっていますので、不快に思われた方がいましたら、申し訳ないと思っています。悪気はまったくありません。

 

長い物語ですので、気長に読んでください。


この場をお借りして、お世話になった皆様、激励してくださった皆様、本当にありがとうございました。


ミカマイカモカ