いや~週末、みなさんお疲れだと思います。
わたしもみなさん同様、テレビとネットで地震のいろいろ読みまくっていました。
九州には実家と友人がいますし、阿蘇山、伊方がぱっかんくると、うちも
ありがとうございました。楽しかったです⭐️⭐️
で終わりますからネ♪

いろいろ読みまくった結果、、、これは、やっぱり始まりみたいです。
人智でどうこうできるみたいなことではないみたいなので、、寝ます✳︎












坂口恭平さんのtwitterより

この地震は最低でも1週間続くだろうと感じている。直感では1ヶ月、3ヶ月、もしくは半年から一年くらい続くのではないかと。おそらく熊本にとどまり続ける限り頭がおかしくなってしまう。まずは危険なところから逃げ出し、そして落ち着いた対応をしていくほうが無難だし今回の件では一番まともな方法

避難所の空気が怪しかった。これははっきり言うべきだと思ったので言う。僕は唯一ギターを持って行った。それを見て大人の人も子供もびっくりして見ているのをはっきり感じてしまい辛かった。真面目に働けという暗黙の視線を感じた。悪い気を感じた。僕は歌うこと以外何もできないのに。そこにいた。

一人が好きな人とか、孤独でもかまわない人とか、誰にでもできることがまったくできない人は避難所にいても苦しいだけなので、できるだけ震源地から離れて。

マグニチュード7.3はとても高いが、今回の動きを見る限り、どう考えてもこれ以上のものが襲ってくるはず。僕が感じている魔物はそれくらいデカイ。僕はやっぱりエイハブ船長ではなく、「白鯨」の語り手であるイシュマエルだ。つまり、僕は書き手である。書く人間は避難所ではまったく役にたたない

友人の熊本県副知事に電話。とにかく震源地から人々を逃せ、と伝えた。僕にできるのはそれだけだ。あとの政治的判断は熊本県。今回は迅速に避難所、余震、つまりこれからの対応をする必要がある。仮設住宅をつくるよりも逃す。玉名、荒尾、大牟田の首長たちもそれを早めに理解し協力すべきだ。

まわりの知らない人からはまた坂口恭平が逃げたと笑われてますが、家族六人からは、避難所で余震を我慢し続けるのは一泊二日でも無理だったので、生理的即断ありがとう!って言われました。大事なのはそういうこと。逃げるのが怖い人が死んでしまうのは兵法のセオリー。危うきに寄らず。孔子、孫子

参考までに 「僕の逃走ルート」 熊本新町からタクシー~本妙寺~霊厳洞~河内小学校から合流~河内~玉名~荒尾~大牟田駅~各駅停車だけ数本動いているのでそれで博多。 とにかく今日は無理だけど、できるだけ余震を経験しないように。何一つ体に良くありません。

地震で液体ガスの輸送も遅れていて、長距離タクシーの依頼ができなくなっている。とにかく周辺のあらゆる自治体はバスや乗用車なんでもいいけど、とにかくみんなを乗せて玉名、荒尾、大牟田くらいまで連れて行くべきだと思う。そうしないと人々の心が持たない。平然としている感じだっだがもう限界だよ

避難場所に仮設住宅を建てたら、終わりだと思う。それで何度失敗しているか。玉名と荒尾と大牟田に0円生活圏をつくるべき。

むちゃくちゃ体が楽になった。やっぱり弱い人は震源からできるだけ遠いところに逃げてー。いま久しぶりの麦酒。うまい。

怒りが溜まっていたのだろう。フーに八つ当たりしてしまっている。ごめん。なんで被災地には怒りの感情が抑制されるのか。それが天変地異だからか。それでも人間は怒る。怒りの緊張を解く装置が必要だ。避難所を回り癒しを与える楽団などいらない。必要なのは殴られ屋なのだ。だから私には白い目が向く

蒲島さん、仮設住宅市内に建てたら怨むよおれ。無能だけどなぜかやたら協力的なゼネコンとかに一軒数十万、いや数百万円とかで建てさせたら、本気で怒るよ。というわけで僕は勝手に政策をつくることにした。金もらうと乙武先生みたいになるので、1円も受け取らない「0円政策」を勝手に行うことにした

坂口恭平謎の行動1 前震が起きた時1日前倒し東京にいた僕は熊本空港へ向かおうとしたが満席で福岡空港へ。ヒロミが送ってくれた玉名の道が心地よく止まったところが謎の仇討ち最後の地。その日が4月16日でした。この日に何か起きるねと思ってた

己で何もやらない人間が人に期待をするな。この信条でやると楽になる。全部自分で選ぶしかなくなるから。

爆睡したー。久々の安眠。今日の夕方の便で羽田へ。そして横浜戸塚のフーの実家へ。

一応参考までに。 熊本で政治家をやっている人のご家族の多くはもうすでに九州から離れてます。この地震は普通の地震ではありません。それを自覚しているのは新政府だけではなく、実は現政府も同じなのです。しかし、避難所に人がいなくなったら、ゼネコンが稼げないのです。意味を分かって。。

目に見えるものしか信じてない人には理解されないでしょうが、目に見えないもの、つまり目の裏側でしかものを見ない人にしか見えないものもある。昔はそういう人を精神病院に入院させたりはしなかった。

玉名、荒尾、大牟田くらいなら、車があればいけるはず。そこでは断水してないし、穏やかだ。途中で地震に遭っても車の中の方がまだ衝撃は弱いとタクシーの運転手は言っている。どうにかそこまで行けないものか。水道は簡単には復旧しない。余震が起これば停電になる。食糧の取り合いになると大変だ。

とにかく逃げられる人はいますぐ逃げて。そうしないと餓死する人が出るかもしれない。ぼくは離れる前、毛布、水、食糧を隣の人に渡せた。つまり、逃げることは隣の人を助けることにつながる。頼む。逃げられる人は逃げて。金よりも土地よりも優先すべきはやはり人命だ。

少し遅れたが、今から九州を発ちます。いつになるかわからないが必ず戻ってこよう。丸5年間の九州、熊本生活。充実した日々だった。信頼できる仲間もできたし、最高傑作も書き上げた。次はどこに向かうのか、そこで何をつくるのか。家族が一緒ならどこでもいい。今日はフーの両親の結婚記念日。符合

亡命家族、坂口家は家を失い、仕事場を失い、家財道具全てを失い、そしてぼくが大切にしてきた蔵書すべてを失った。でもなぜか身軽なすっきり気分。坂口恭平、フー、アオ、ゲンの四人は多少疲れは見えるものの、元気です。惨めな気分が皆無。むしろ新天地求めて穏やかな気持ち。執着を捨てたよ

作品だけは取りに帰りたい。あとはどうでもいい。でも作品自体も持っていると荷物にもなるのでその作品を「亡命家族、坂口家義援金チャリティオークション」とか、銘打ってもうぜーんぶ売りさばこうと思っている。6月4日ぼくのコレクターが一堂に集まるので、そこで!笑。それでまずは慰安旅行に行こ

テイラーのイギリス現代史をちょうど読んでいましたが、近代国家は人々を助けるためには存在していません。自分の命は自分で守るしかない。ぼくは今回それをさらに身をもって体験した。死ぬかもしれないと思ったことは生まれて初めてだった。死にたいとおもったことはあったのに。生きたいと強く思った

横浜に3ヶ月滞在することは決めた。その間に次を決める。関東にずっといるイメージはまったくないとフー。いまのところフーは京都、おれの直感はフーの一言によってニューヨークに一家で移住という状態。これから少しずつ話し合っていく。まずは5月19日北京経由で僕一人でニューヨーク視察に行く。

3歳、7歳、13歳、15歳の子供四人連れて地震を耐え、どうにか脱出した。自分ですら死ぬかと思った。この四人を死なせたら駄目だとだけ考えていた。だから時々厳しくもしてしまったので、福岡についてからは甘々で、もう2週間くらい好きなことを好きなだけやってもらいたい。ゲンはおっぱい戻った