ママは、子どもの一番の言葉の先生。
そんなの分かっちゃいるけど、
じゃあ具体的に、どういう心がまえでいればいいの?
大学で受講した、「聴覚・言語障害児への支援」という授業の中に、
そんな心がまえのヒントが、幾つか散りばめられていたので、
自分の覚書のためにも、まとめてみます。
前回 は、「話し手」としての立場に焦点を絞って書いたので、
今回は「聞き手」の立場から。
そもそも、子どもにとっての「いい聞き手」とは、
どんな人のことを言うのだろう?
話を、きちんと聞いてあげる人?
それとも、正しいことば使いを教えてあげる人?
上は、言うまでもなく正解。
でも下は、正解とは言いがたい。
いい聞き手となるためのポイントは、色々あるけど、
一番やってはならないこと。
それは、
子どもの話を、途中で中断したり、
言い間違いを直したり、叱ったりすること。
ちょっと話は飛ぶけど、吃音、つまり、どもりってあるでしょう。
至極極端に言うと、どもりは母親から始まる。
そんな風に、先生は教えてくれた。
ことばの話し始めや、3歳前後の、まだ口には出ないけれども、
頭の中にはことばがいっぱい溢れている時期。
そんな時期は、
「えーとえーと・・・」
と、ことばに詰まったり、
「あのあのあの」
と、同じことばを繰り返したり、どもりに似た話し方になることがある。
単に、うまく話せるようになるために、一生懸命、練習をしているだけなんだけど、
心配性の母親や、子育てに一生懸命な母親の中には、これを
「もしやどもり?」
と捉えてしまう人がいる。
そうして、ぽんと小さな点のように、母親の胸にうまれた疑問は、
だんだんと、大きく胸を巣食う不安に変わり、
自分でもそうと気づかぬうちに、
子どもを見る目、扱い方が、変わってきてしまうのだ。
例えば、子どもが話をするたびに、
「今度は大丈夫かしら?」
と、神経を尖らすようになったり、
子どもがもし、どもろうものなら、
「もっとゆっくり話しなさい」
と、注意してしまったり。
また何か注意されるんじゃないかと、話をするのが不安になる。
次はうまく喋らなくちゃ、怒られないようにしなくちゃと思えば思うほど、緊張して、
ますますどもってしまうという、悪循環。
そう、これが「どもりの始まり」の始まりなのだ。
実際、どもりの原因は、まだ不明な部分も多くて
この説も、あくまで仮定のひとつでしかないそうだけど、
どもりが、表面的なことばの問題だけではなく、
心と深い繋がりがあることは、確かな事実らしい。
こういったことは、何も吃音に限ったことじゃなくて、
発音などに対してもおんなじこと。
例えば、うちの息子のように、「カメ」を「マメ」と言おうが、直さない。
せっかく子どもが気持ちよく話しかけてくれているのに、
その気持ちを腰折り、直そうとすることは、
話をする意欲を失わせるばかりか、
心までをも、萎縮させてしまう。
言い直すのではなく、その後にさりげなく、
「カメがいたのね~」
などと、正しいことばで繰り返してあげる。
正しい発音を聞かせることで、耳を育てるのだ。
前回にも書いたけれど、私たち親が、一番教えてあげなきゃならないことは、
話し方の技法ではなく、
話すことの楽しさ。
ことばを使うことによって、広がる世界。
そのために、今ある子どもの力を、最大限に伸ばせるように、
いい話し手になり、いい聞き手にならなくちゃ。
どんなに意味不明でも、
子どもの話を、最後まで、気持ちよく、聞いてあげること。
途中で中断したり、正したりせず、
時に合いの手を入れたり、話を広げたりしてあげながら
焦らずゆっくり、聞いてあげること。
子どもの話し方や、発音ではなく
話そのものを、聞いてあげること。
そうして母親が、子どもの話を真摯に聞いてる姿は、
自然に子どもにも育まれていくのだ。
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なんて、エラそうに言っているけど、当然これ自分に向けて書いているので。
私たち大人は、どうしてもすぐに成果を求めてしまうというか、
打てば響くような、反応を求めてしまう。
だから、根気良く見守るって、実はすっごい難しい。
でも、子どもの発達は、子どもの顔のように、千差万別。
焦って、無理に色んなことを求め、詰め込むよりも、
今、この子の持っている力にしっかり目を向け、
受け止めていきたい。
余力があれば、最後もう1回書くかな~。
レポート次第ね。笑
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