実はここ数週間で、めまぐるしく状況が動き、自分でもついていけません。

年末年始、その後も咳はあるものの楽しく毎日を過ごせていたのですが、1月下旬のCTで、アブラキサン・カルボプラチンは効いていないという判断、ジオトリフに移るために1月25日からまた入院しました
病院

約1週間後の先週金曜に退院したもののなんとなーく不調だな
もやもやと感じていて、でも食べられるし、と思っていたら週末絶不調。何も食べられず動けずで、今週月曜には自分から申し出て再入院しましたチーン

月曜はほんとに座ってるのも辛くて、息が苦しいとか吐き気がするわけじゃないんだけど、ひたすら調子が悪くて、何も食べられなくて、

いつもすぐ退院したがる私が、自分から申し出たことに、主治医も具合の悪さを察したのだと思います。即入院になりました。


そのとき見せてもらった退院時のレントゲンは、左肺が真っ白。spo2は充分にあるものの、右肺だけで頑張っている状態。
見たとき事の深刻さに愕然としました。 


栄養と抗生剤の点滴💉で食欲はまあまあ回復したものの、今はジオトリフ
薬もやめているし(そもそも効いてない)、急激な病状の悪化の中完全無治療で、これは自分でも非常事態だと悟りましたアセアセ


私が入院手続き中離席している間に、彼が主治医に呼ばれて何か話しているのは知っていたので、薄々は察していたのですが、

田舎から出てきてくれた母も今日呼ばれ、かなり厳しい局面、と説明されたそうです。


今日鎖骨に転移している5mmの病変から生検して、その検査を出したのですが、

病状の急激な変化から、もしかしたら小細胞がんに変異している可能性あり(関連するマーカーも徐々に上がっているとのこと。やっぱマーカーとってるんだ)、変わっているなら小細胞がんに効く抗がん剤(イリノテカン?)、

もしくはPD-L1が90%以上なのでキイトルーダー(ただし効くのに時間かかる上に、効く確率2割)ですが、どちらにせよ厳しいと。


色々な闘病ブログ拝見していましたが、それらに書かれていたように、自分の事のようには到底思えないですね・・


つい1週間前まで、ジオトリフ入院中も、普通に家の用事足しにあちこち外出したり、つい1ヶ月くらい前まで沖縄でイルカイルカと泳いだりシュノーケルしたりしてましたから。


あくまで個人的な考えですが、癌性なんとか・・に一度なってしまうと、本当に真剣に覚悟しなきゃいけないのかもしれないです。

私も今回癌性リンパ管症が急速に悪化してこんなことになっているみたいです。もちろん反応性の高い薬が残されていればいいと思うのですが、私の場合TKIも2種類耐性済み、シスプラチン、アリムタ、アバスチンも全て耐性済みなので。


でももちろんまだ頑張ります。治療の手段があるなら最後まで闘いたい。彼とまだ一緒にいたいんです。離れるなんて気が狂ってしまう。


あと今回急激に悪化して戸惑いしかないけど、裏を返すと病気が発覚してから3年近く、本当に普通の暮らしができていたということで、

常に病気のことは頭にあったけど、抗がん剤による副作用という意味で、日常生活に支障はほぼありませんでした。(病状により辛いということもほとんどなかった)


もちろん私の場合EGFR-TKIが使えたのは大きいし、人によって副作用の出方は様々だし、私はとても軽い方だったのだと思うけど、

抗がん剤といっても本当に様々で、いわゆる吐きまくる、髪抜ける、だけじゃないってことは世の中の人に知ってほしいなぁ。

ちなみに私は罹患してから吐き気による嘔吐は一度もないです。(むせすぎて吐いたことはあったかも?)


イメージゆえに無治療(もしくは民間療法のみ)、という人がもしいるとしたら、この3年近く健常者と変わらず生活できていた身としては、すごくもったいないと思ってしまいます。


私はマメじゃないのであまりブログ更新できていないけど、そういったことをわかってもらうためにも日々の楽しい出来事を書けばよかったかな、なんて今更思ってしまいます。


あともう1つ少し後悔なのが、罹患がわかってから一年に一回くらいとんでもない贅沢しておけばよかった札束


そんなことしたら覚悟してるみたいで怖くてできなかった。普段通りに過ごしたくて。まぁ実際節約したりお得情報探すのも趣味のようなもんなんですがポーチ


私は子供や養う相手がいないからだけど、こんなことになって多額のお金残してもしょうがないなーって。ファーストクラス乗って一泊うん十万の宿にでも泊まるような旅行すればよかったな飛行機いや、やっぱり染み付いた庶民根性ではそんなことできないかなもぐもぐ


夜は心細いです。家に帰りたい。普通の生活がしたい。食事の準備したい。洗濯して彼のワイシャツにアイロンかけたい。

そんなこまごましたことが、今一番私のやりたいこと。