かなり久しぶりにブログを開きました。
パリのテロから連日、
胸を締め付けられるような光景がニュースを埋め尽くし、
生と死について、宗教について、生き方について、
多くを感じ、考える日々を送りました。
考えすぎて、頭がごちゃごちゃになって、
「私は無事です」と連絡することもできずにいたら、
結局、心配した家族や友人から、
何日にも渡ってメッセージをもらうことになってしまいました。
でもなんだか、そんな一言をFBにあげることすら
軽はずみに思えてしまうくらい、
重苦しく、言葉にしがたい気持ちに包まれていました。
犠牲になった方に哀悼の意を表するとともに、
ご遺族や知人友人の方の心の痛みが少しでも癒える日が来ることを祈ります。
また、現在治療中の多くの被害者の方の回復を願っています。
付随してFBのトリコロール論争などが巻き起こっているようですが、
平和を願う思いから始まったことが元で、
小さな論争や諍いがおこっている事実にこそ、悲しみを感じます。
もしかしたら、誰かが指摘しているように、
考えず、流されているだけの人もいるのかもしれません。
ファッション感覚で、翌日にはすっかり忘れている人もいるかもしれません。
中には、自分なりの表現の一部として真剣に考えて行動した方もいるでしょう。
しかし、トリコロールに変えることだけが、平和を願う表現でないことも明白です。
フランス人の中にも、フランスに限らず、世界すべてに関わることだからと、
あえてトリコロールにしていない人もいます。
大切なのは、トリコロールにしている人が流された単純な人だとか、
しない人が臆病者だとか、しない自分はもっと考えられる人間だとか、
フランスが特別扱いされているとかいないとか、
そういう所ではないのではないでしょうか?
考え、意見を表明し、討論することはとても大切なことです。
でも、議論の的がずれすぎている議論を多く見かけるのも事実で…
犠牲になった方々がこの様子を見たら、
どんな思いをするかと思うと、胸が詰まります。
争いが生んだこの悲惨な出来事から学ばなければならないものは何なのか、
そんな様子を見て、改めて考えさせられる日々です。