今を生きるということ。

本日もまたまた長文です。

子どもに未来の

不安だけを、伝えない。今を生きる、という話

 

 

今を生きるって、今この時を

不安なく

楽しんで生きるというコト

でも、

今幸せでも

「将来はどうなるかわからないよ」

だから頑張って。

 

 

 

そう言って育ててられた子供は どうなるか?

 

 

 

常に将来に不安を覚えるようになる。

そして、今を楽しめない。

 

 

いつ、どうなるか、自分の意思では

ないところで、いまの幸せが

奪われるかもしれないのだから。

 

 

 

安心できないと、不安になる。

不安な人は、、不安定。

イライラもしやすい。

もっと頑張らないと、安心できない。

今ある幸せを享受できない。

今、楽しくても将来はこの幸せは

なくなってしまうかもしれない。から。

 

 

今幸せでも

自分が原因ではない何かのために

全てを失くすかもしれないし

もっと不幸になるかもしれないと

言われて

育ったらどうなる?

 

 

そんな子どもたちは、

本当に、、、、

今を楽しめるだろうか。

 

 

 

わたしが、庭に咲く桜を本当の意味で

見られるようになったのは

ここ数年のことです。

空は昔から青く

植物は昔から咲いていたはずなのに。。

庭に咲く花さえ本当の意味で安心して

見られなかった

 

 

なぜ?

それは、

本当の意味で安心していなかったから。

 

 

なんとなく得体のしれない不安感

そして

生き急いでいたから。

 

 

 

先を見て。

先を急いで。

もっと、もっとと、思っていたから。

 

 

 

それは、

外国に行っても

ヨーロッパの街並みの中にいても

美しいフィンランドの海の船の上にいても起きる。

本当の意味で

楽しめることがなかった

それさえも気がつくこともなかった。

そのくらい、その影響は大きい。

 

 

 

中小企業の多くは

オーナー家族は億単位の会社の

投資(借入)自分たちで、保証している。

(例えば、会社を維持するためには時に

何億もの設備投資が必要、機械買うとか、

建物建替とかね)

だから会社が傾いたら、どうなるか?

全てを失くす。家も追われる。

おそらくその土地にも住めない

サラリーマンとはわけが違う

そう何度も何度も言われてきたら?

 

 

 

頑張って勉強しても、、

もっとやらないと

マラソンで一位にたなっても

もっと走らないと。

いきせききって生きるのは

小学生の頃から身についたこと。

休まらない。

終わりなき旅。

それは、恐ろしく

深く自分の中に深く根付いていたと思う

 

 

 

わたしは子どもに不安の未来だけを

伝えない。

 

だってそれはズルイと思う

 

あんなに楽しかった

はずの30年以上、いつかこの幸せがなくなる

ことを覚悟しながら過ごして

未来は変わった?

 

 

いえ同じ。😁

であれば、

その時、その時を、十分楽しんで

生きていたかった。

その方が生きている感覚がある。

 

 

子どもに、

これからは大変なんだから、

もっと頑張らないと!とか、

これから世界は大変になるんだよ

それなのにそんなに遊んでいたらダメよ、とかさ

言いながら自分もニュースや携帯ばかり見て

親が不安な

顔ばかり見せていたら

子どもたちは今を安心して楽しめるだろうか?

子どもは、ワクワクした未来を描ける

だろうか?

 

 

 

 

わたしは、どんな状況であっても

今を生きる親でいたいと思う

未来をいきるのではなく。

 

 

それは、

ただね人生を楽観視するということではない

不安を握り潰すこととは違う。

ただ、子どもに、ただ、

ただ素直なあなたのいまの姿をみせるだけ

今をもがきながらも

楽しんむ姿や、

ただ単に馬鹿みたいに幸せそうな姿も

悲しみも。喜びも。全てを。

 

 

そういうのを全て含めたのが人生だと思うから

人生の一片だけを、つたえない。

 

 

それはズルイ

コントロールだ。

 

 

 

笑っているだけの母親は

めちゃくちゃ怖い、サイコパスなみに恐ろしい

反対に、不安ばかりの母親も普通に怖いよ。

どちらも、偽りだから。

 

 

それはズルイ。

偏った未来だけをつたえない。

 

 

わかりもしない未来を勝手に

大人が憂いない

 

 

それより、わたしは

今日がもし最後の日だとしても

庭の花を愛でながら

深呼吸をして

お茶ものみ

楽しいことも

辛いことも

嬉しいことも

そうでないことも

全て楽しんでわたしは生きている姿を

子どもたちにその姿から 

伝えたいと思う。

 

 

家族で家庭で、今この起きていることを

話さないでおく、目を背けることが良いと言って

いるのではなくて。

 

 

今、この起きていることを、

どう感じているかを、

子供も大人も、お互いが素直に表現できる

家庭で、不安なら不安だと言って

ともに分かち合えることのほうが

 

 

ただただ未来の不安や

どこぞの誰か知らない人の話を

一方的に伝えるよりも

親が子どもたちにできること

ではないかとわたしは思う。

 

 

今日もかなりの長文を見て下さった方々、

ありがとうございます。

良いねをしていただけるとわかるので

感謝のエネルギー送ります✨

 

 

 

人生全ての経験が愛おしい。だから。

花の美しさがわからなかった自分のことも

今花がこんなに色鮮やかに見える様になった自分も

どちらも心から素晴らしい思う。

今日も素敵な1日を🌈わたし周りにはこんなにも

美しい花たちがいてくれたんだなぁ。

 

 

アメブロを再開します。

心の発露をFacebook以外にも

記していたくなりました

数日はFacebook

の過去記事を書いてそのあとはブログも

更新していきたいと思います。

 

 

こうして全ての自分の経験を書くことも

また自分の癒しになっているなぁと

気がつきました。

見渡せは一面に花は咲いていた

今不幸だと思っているのは

まやかしかもしれないよ。

もしかしたら自分が気がついてないだけかも。。。