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チャンスをつくってあげること 田部井淳子氏 ~山の向こうにあるもの~
http://www.blwisdom.com/future/28/ @blwisdom
 東日本大震災で被災した高校生を日本一の富士山に登らせたいという思いがあったので、それを今年の夏に実行しました。東北の被災した高校生60名と地元の高校生30名、合計90名で富士山に登りました。
 若い世代の人たちはちょっと冷めていて、「一生懸命勉強しても、人間なんてあっという間に死んじゃうんだ」と言う。特に震災に遭った高校生たちから「もう目的もなくなったし、なにをやったらいいかわからない」という言葉を聞いて、ちょっと胸がつまされました。だから、「一歩一歩登れば絶対頂上に立てる」という感覚をなんとか味わってもらいたいと思って実行したのです。それに元気がなくてやる気がなさそうでもありましたし、「やめようかな」と私も思いました。実際に行ったら行ったで、「頭が痛い」とか、「俺はこんなのやっていられない」「帰りたい」と言うお子さんも何人かいました。でも生徒たちを絶対に登らせようという意気込みがあったものですから、休み方とか呼吸の仕方を教えて、なんとか全員で登頂したのです。
 帰ってきたとき、全然顔つきが違っていました。むきたての卵みたいなツルツルの肌に汗を流して髪の毛がびしょびしょなのに、目がきらきら輝いている。「行ってきたよー」「やったよ、登ったよー」「また行きたーい」と、すごい勢いなのです。その顔を見たとき、やってよかったと思いました。 あの顔を見ただけで報われたというか、やってよかったという達成感があったんです。
 あとから感想文を読んだら、「自分は途中で嫌になりました。こんなことはやっていられないと思ったけれど、まわりの人の背中がだんだん離れていくのを見たら『俺も行かないといけないのだ』と引っ張られるようにしてがんばりました。そして頂上に着けたときは、やめないでよかった、来てよかったとつくづく思いました」という文章を発見しました。そのとき、ある程度サポートし、無理にでも「行こうよ」と計画を立ててあげることが大人の役目なのだと感じました。「やる気がない」と決めつけず、チャンスをつくってあげる。お金もある程度は出してあげるということも大人の役目だと 実感したのです。感激して帰ってきた子たちの目を見ていますので、また次の若い人たちにもそういう気持ちを味わってもらいたいんです。

http://www.hat-j.jp/THK/fjph02.html

復興をめざす東北の高校生の富士登山 お礼とご報告
http://www.hat-j.jp/THK/FUJIrp.html
主催  NPO法人日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)

2012年7月21日(土)いわき、福島、郡山から乗り込んだ60名の高校生とスタッフは中央道・談合坂で昼食をとり高校生達は2350mの高さに順応すべく一路、富士吉田口から五合へ向かいました。あいにくの霧で視界はききませんでしたが、夕方には宿舎である富士吉田市立青少年センターに入りました。「遠かった」「やっと着いた」という声が聞かれました。全員そろっての夕食後は青少年センター内の体育館に集合し、班分け、各リーダーとのミーティング、装備点検を行ない、22時に就寝。

高山病にかかった生徒さんもいましたが、支援隊が休ませ、水分を与えたり、荷物を軽くしたりし、ゆっくり後から歩いて行くことで登山続行。 AM10時早くも8班が頂上到着。感想はと聞くと「疲れたー」「でもうれしい」「ヤッター」。女子班の一人は「また来たいです」「うれしいで~す」と大きな声で答えてくれました。
 10時から11時20分の間に遅れがちとなった生徒さん達も支援隊と共に続々と頂上に到着。本部では各班が着くごとに拍手がおきていました。
 時々小雨ぱらつく中、高校生89名全員が富士山の頂上に立つことができました。グループの中にははじめて会った人もいましたが、お互いに励まし合い、手をとりあい、アメをわかち合い、頂上に立った喜びもわかち合って下山してきました。
 五合目に下りてきた生徒さんたちの髪の毛は濡れ、足もよれていましたが、顔の表情は明るく、目が生き生きと輝いていました。 
一歩一歩ゆっくりでも歩けば夢は達成出来るということを実感できたのではないでしょうか。今後の自分に元気と勇気と夢や希望が与えられた登山だっと思います。

東北の高校生ら日本一の頂へ 「復興担う若者に勇気を」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201207220199.html?ref=comkiji_txt_end @asahi_shimbun
原発事故の影響で福島県浪江町からいわき市に避難した斉藤崇寛君 「原発事故以来楽しいことがなかった」という。「楽しい。来て良かった」と繰り返した。

HAT-J 東北応援プロジェクト運営資金 募金のお願い
http://www.hat-j.jp/THK/thkbokin.html