2日は、鹿島神宮に初詣。

去年の御札を納めて、新しい御札をいただいてきました。

拝殿です。徳川秀忠による造営。奥にある本殿とは対照的に白木作りの簡素な意匠。国の重要文化財。 東西に伸びる参道に対して本殿は北面しているという関係上、参道の右横に拝殿があるという構造になっています。
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奥参道です。この奥に、奥宮があり、参拝してきました。毎年5月に流鏑馬神事が行われるところです。周辺には約700種に及ぶ南限・北限の植物が自生しています。
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鹿園。神の使いとして親しまれている30数頭の日本鹿が飼われています。
藤原氏による春日大社の創建に際して、神護景雲元年(767年)に、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったとされています。
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鹿の枝角をアントラーと言い、鹿島アントラーズのチーム名の由来ともなっています。


おみくじは、「半吉」でした。半吉は、はじめて引きました。

今年もよろしくお願いいたします。
今日は、茨城の危なかった話を一つ。(ご存知の方も少なくないと思いますが)

茨城県東海村は日本国内で最初に「原子の火」がともった発祥の地です。
1957年(昭和32年)に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなりました。現在も日本原子力研究開発機構、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に所在し、近隣市町をあわせた茨城県の太平洋沿岸部は日本の原子力産業の拠点となっています。

東海村は「村」とは言いつつも37,809人もの人口を抱え、村としては岩手県滝沢村に次ぐ日本第二位の巨大村です。(歴代一位の沖縄県豊見城村が2002年に市に昇格したため、順位繰り上げ)

東海村は1999年、核燃料加工工場であるジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故を既に経験しています。
昨年の東日本大震災では、日本原子力発電の東海第2原子力発電所も津波に襲われましたが、すんでのところで大事故には至りませんでした。

震災時、震度6弱の地震により原子炉は自動停止しましたが、福島第一と同様に外部電源をすべて喪失し、炉心に 水を送る水中ポンプ3台のうち1台が水没してしまいました。あと70センチ、おしよせる津波が高ければ、全電源喪失していたかもしれなかったようです。
2日後にようやく外部電源が復旧する までは、いつ福島の二の舞になってもおかしくない危険な状態が続いていたのです。

東京からの距離は、120km。もし、震災2日前に終わった防波壁の補強(非常用電源を冷却する海水ポンプの防波壁を高さ1.6メートルから2.8メートルにして、壁の穴をふさいだ)がなかったら、間違いなく放射能は首都圏直撃でした。20km圏内の水戸市民、ひたちなか市民も避難することになっていました。
茨城もかなり危なかったんですね。

原子力とともに発展した村でありながら、村上達也村長は東海第2の廃炉を求め「脱原発」にかじを切りました。日本原子力発電の東海第2原子力発電所の再稼働中止・廃炉を求める署名も17万人を超えています。
旬刊いばらき
今回は、磯山さやかさんが東京・銀座にオープンしたアンテナショップ「茨城マルシェ」を紹介します。

茨城マルシェの魅力は、納豆や旬の食材など茨城の名産を厳選して販売するセレクトショップのほか、旬の味覚をその場で堪能できるレストラン&バーです。けんちんそばや納豆アイスなど茨城ならではのメニューがたくさんあり、今回、磯山さやかが人気ナンバーワンのあんこう鍋を味わいます。



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茨城の地酒です。月の井酒造の和の月もありました。

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こちらは、カフェタイムでした。お昼(2時まで)はランチがあるそうです。

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外堀通りの高速の下のところです。