かつてラジオの投書番組でアナウンサーが「私事で恐縮ながら」との書き出しで始まる投書を読んでいた。また、雑誌のエッセイ、随筆で筆者が「私事で恐縮ながら」という書き出しで文章を書いていたのを読んだことがある。この文章は最後まで読まなかった。書き出しだけ読んでバカバカしくなり先を読むのを止めたからだ。


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映画「男はつらいよ」の寅さんを演じる渥美清


投書欄、随筆欄で「私事にわたる」ということを敢えて言う、書くことの意味がどこにあるのだろうか。投書の決まり文句の「・・・今日この頃です」と一緒で全く意味のないステレオタイプ表現に過ぎないだろう。文才の無い人間の書いた駄文の代表だ。投書欄に格調高い政治評論、緻密な学術論文を期待してる人はいない。


テレビのバラエテイー番組が詰まらい理由のひとつに、いつも同じメンバー、タレントがあちこちのテレビ局に出ていること。そして多くの話題が身内のタレントの内輪の出来事をしべりまくることだ。まさに「私事」を公開し、テレビ電波での垂れ流しだ。そのような身内の話をテレビで流す必要は無いし、楽屋でやればいいのだ。



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映画「男はつらいよ」の寅さんを演じる渥美清


名を成した俳優、女優がテレビのトーク番組、クイズ番組のゲストとして、旅番組のレポーターとしてにでることがある。俳優、女優にとってバラエテイー番組に出ることは映画、ドラマのように台詞を覚える努力も要らず手軽にギャラが稼げるのであろうか。俳優がテレビのバラエテイー番組に出ることは役者生命の終わり、芸人としての堕落だ。


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京成電鉄「柴又」駅前にある寅さん像


芸能人、俳優はテレビ、映画など役回りを演じることで自らをさらけ出せばいいのだ。彼らの私事、 私生活を知りたいとiうファンがいようが私生活を公衆にさらす必要はない。私生活と俳優の役回りとは何ら関係ないこと。俳優は俳優としての演技、役回りで勝負すべきだ。


映画「男はつらいよ」で寅さん役を演じた渥美清は私事を語らなかったし、私生活も公開しなかった。人前に出て私事を語る事もなかった。私は渥美清さんは一流、本物の役者だと思う。私たちは映画の役回りの渥美清しか知らない。橋本内閣は渥美清が亡くなってから、国民栄誉賞を授けた。彼に国の恩賞は似合わない、彼が生きてい居たら国民栄誉賞の授与の申し出を断っていたであろう。イチローのように。



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寅さんの実家のある柴又帝釈天への参道