伝説の日本史第1巻 神代・奈良・平安時代 井沢元彦 | ちわ☆わんつーmemory 

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日々の忘れたくないこと

伝説の日本史読了
サブタイトル
「怨霊信仰」が伝説を生んだ
伝説の日本史 第1巻 神代・奈良・平安時代「怨霊信仰」が伝説を生んだ/井沢 元彦
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内容紹介
伝説はなぜ生まれ、語り継がれてきたのか? 伝説に秘められた驚愕の真実を井沢元彦が暴く。

伝説とは、基本的には実際にはなかった、実在しなかった、起こらなかった、そのような話
 実在したと思われる人物について、実話ではないが伝わっている話
 実在したと思われる人物だが、史料として残っていない

確かな史料がなくても存在までは否定できないのではないか
伝説が生まれるには、それないの理由があり
歴史上確実に実在しなかった人物でも、伝説上の人物として伝えられるのは、そこに歴史的理由があったはず。


それを研究しないでは真の歴史はわからない
今回の井沢さんの新作は【伝説】という観点から選んだ人物達に焦点を当てて歴史を考察しています。
取り上げられた人物は
卑弥呼から始まり平清盛まで23人
特に興味を惹いたのが
聖徳太子です。

その前に神功皇后の章に日本人の生死感として書かれていたことが興味深い内容です。
箸墓古墳は誰の墓?
そこから入っていくのですが、巨大古墳に墓誌が出てこない
他の国では中国の皇帝の墓やエジプトのピラミッド・王墓など普通は誰の墓かわかるような記録があるそうですが、日本の古墳には、それがない! だからいまだに埋葬されている人物の特定ができない…
そこから考えられるのは古代日本人は極楽浄土や天国といった死後の世界に救いがあるとは思っていなかった。
イザナギ・イザナミの日本神話のように死は穢れであると信じていた。
言霊信仰があった古代
ことばには霊力があり、人間そのものであると信じられていたから、名前を呼んで死者がゾンビのように甦っては困るので、名前を書いて残さなかった。
また簡単に固有名詞の名前を教えなかった。
だから卑弥呼とはたとえば“天皇”とか現代の役職である“社長”ようなもので、個人の名前ではなかったのでは?
「ひみこ」を中国の役人が見下した書き方で「卑」なんて字を使って書き残したのではないだろうか?
本当は「日」の御子か巫女かも…

聖徳太子の章では
“聖徳太子は十人から同時に話されてもちゃんと聞き分けた”という伝説がありますが、
これは聖徳太子は日本語だけでなく高句麗・任那、そして中国など大陸のことばも聞き分けることができ、それぞれの国のことばを一度に話されても聞き分けることができたのではないだろうか?と。
この説は前にも井沢さんの解説を読んだ記憶がありましたが、聖徳太子の章の最後には初めて知った解説があって、これはショックでした。
それは、聖徳太子は夫人と心中したのではないかという説です。
確かに学校で習ったとき同じ日に聖徳太子と夫人の一人が亡くなって、残された方の夫人が弔いのために天寿国繍帳を作ったとか
その時は「同じ日に死んだのは病気?」くらいの感想でしたね。
まさか自殺なんて思わなかった! (私もニブイからねぇ~)
でもこの本では、そのように考察していて、その理由も書かれていました。

古代の人が自殺というのも意外すぎて…それも精神的な理由で… 
江戸時代とかは「自害」なんてことばもあるけど…
ほんとにこの章はショックでした。

まぁこれも伝説で真実は闇の中
後から考えるのは自由ですから、いろいろな意見があるんでしょうね。 実在そのものが疑われたりしている人ですから。

このように取り上げている人物、それぞれに何故伝説が生まれたかを考えながら、その人物の実像やその時代に迫っていく内容です。

そして怨霊といえば菅原道真や将門、崇徳天皇ですね。
しかし武士の世になると、いちいち怨霊に怯えていては戦いに勝てない。
武士には怨霊信仰はない
ですから取り上げているのは清盛までなんですかね。
崇徳天皇が亡くなって800年に当たった昭和39年
昭和天皇は東京オリンピックの無事開催を願って崇徳天皇陵まで勅使を派遣したという記録も残っているそうなので、怨霊信仰はしっかり続いているのでしょうか?