公共サービスの質を考えるとき | 田中松緑のブログ

公共サービスの質を考えるとき

米国景気対策35兆円、日本復興対策8兆円と、最近、財政政策の金額が話題だ。

規模を示す金額も重要だが、実は、政策と政策を担う公務員、すなわち公共サービスの質が問題なのだ。

近年、財政政策の規模に見合った効果が小さくなっている。財政政策のテコが効かなくなったことには、理由がある。

空の電車やバスを走らせる。
誰も歩かない真夜中の歩道に街灯が煌々と輝く。
利用者いない公共施設が放置される。

まるで行政の無駄遣いの広告だ。

先日、多度町内の市議会議員との懇談で面白い議論があった。コミュニティーバス廃止を唱える自治会関係者に対して、事業廃止することは、簡単ではないとのこと。

誰も責任を負いたくないから、慎重になるのだ。

バスの利用者が少なくても、利用者が反対するために、非効率な公共サービスが継続してしまう。

地方の人口減少により経済が縮小しても、先手を打って公共サービスを縮小しないから、地方の赤字は拡大する。

民間であれば、経営者の判断で、利用者を増やす努力をして収益があれば報われる。見込みがなければ廃止して、新たな事業を開始する。

公共の場合、首長又は議会の役割だが、努力や廃止をしないで損失が拡大しても、結局、誰も責任を負わない。おまけに、高い報酬や天下り先は確実に保障されている。

公共サービスの質が向上しないので、税金は無駄に使われ、日本経済を疲弊させている。

「自分の金は出せないが、公共の金なら出してもよい。」という公共に対するモラルの低下が財政赤字を生む。

いよいよ増税を覚悟するときがきた。しかし、現状、公共サービスの質は向上していない。

地方が都会と同じ公共サービスを求めることは、医療福祉、防災治安、電気水道など重要なもの以外は不可能だ。

地域ごとに必要な公共サービスを絞り込み、高い質を追求する時代がきている。