虐殺の夜 | 気になるニュースチェックします。

気になるニュースチェックします。

毎日気になる最新のニュースをチェツクします。

まるで三候補者しかいないような都知事選になっていますが、ほかにも立候補している人
たくさんいるんですよね。
そういう人たちはほとんどテレビや新聞で取り上げられることもなくて、これでいいんでしょうか。
すべての候補者の政策を平等に報道してこそ、正しい選挙だと思うんですけれど、、、、

あの東日本大震災で、福島の真実を伝え続けたジャーナリストが立候補しました。
ところが例の三候補者以外は、マスコミで取り上げられることもなく
このジャーナリストの名前を耳にすることもありません。
東日本大震災以降、福島の真実を伝え続けたこういう人こそ、マスコミで
大々的に取り上げてほしいと思います。
こういう人こそ真に国や都民のことを真剣に考え、行動する人物だと思います。
その人の名は上杉隆さんといいます。

福島の真実など国にとっては、国民に知られたくないことだと思うので、こういう本当のことを
取り上げる人物は、けむたくて仕方ないのでしょう。
マスコミに政府から報道規制がかかっているのでしょう、、、、取り上げるなと、、、

都知事選になったからといって、そのときだけ秒刻みであちこち駆けずり回っている人物が
真に国や都民のことを考えて都知事になるとは思えません。
ふだんからきちっと、不正に向き合う不正に立ち向かう人物こそ
真に国と都民のことを考えて都知事になるべくふさわしい人物だと思います。
三候補者のなかにも都民のことを真剣に考えて、立候補した人もいると思います。
たぶん都知事になる人は、この三候補者のなかから選ばれることになるのでしょう。

国や国民のことを真剣に考え、行動する人物は今までもこれからも
ずっとずっと権力によって埋もれていってしまう、、、、
それが現実です、、、、


★★★虐殺の夜

 6月3日深夜テレビのスクリーンに「戒厳令司令部」という文字が現れ
次のような声明が読まれます。

「広範囲にわたる市民の要請により、軍は暴漢に対処するため
 協力かつ効果的な措置を講じようとしている。
 市民は街頭に出ないように」

 北京の事務員や工員たちは、学生たちが危ないとあわてて天安門広場に集まり
 その後には100万を超える大群衆となっていました。
 しかし、武器もなく彼らにできることは
 「学生たちに危害をおよぼすな」
 と、兵隊たちに向かって、ただ絶叫することだけ、、、、

 40から50人の市民が列を作って、軍隊に向かって前進する。
 すると並んだ戦車の間から、歩兵が一斉射撃をしてなぎ倒す、、、
 バスやトラックで作られたバリケードに一斉射撃が加えられる。
 人々が次々になぎ倒されていく、、、

 戦車がバリケードを突き破り、その後に装甲車やトラックの列が続く、、、
 兵隊たちは見境なく銃撃し、銃弾に人々が次々と倒れて行く、、、
 兵隊たちの無差別発砲でなぎ倒される人々、、、
 その後には戦車で踏みつぶされる大量虐殺

 〇兵は酔っていた
   それにしてもこれはまるで豚や羊の屠殺そのもの、、、
   生きた人間をそれも、合法的に民主化を訴えただけの学生や市民に対して
   これほどの残虐なことをするとは、、、血の通った人間のやることではない。

   兵士たちは麻薬を注射されていた、、、
   兵士たちは政府から、
   「反革命分子が疫病の蔓延を計画中である」
   と聞かされ、命令があれば射殺せよと言われていたのです。
  そして何かの注射をされた、、、、それが麻薬だった。
  
  彼らは狂ったように見境なく学生や市民を銃撃し、銃弾に悲鳴を上げて倒れる人々を
  笑ってみていたという。
  
  夜が明けて天安門広場に通ずる東西約40キロの両長安街には、死体があちこちに
  横たわっていた。
  兵士たちは夜のうちに死体を積み重ね、ガソリンをかけて焼いていたが
  外国特派員の目を隠すため、ヘリで死体北京市西方の丘陵地帯に移送し
  そこで火葬にした。

 その悪臭は市内の上空にも漂い、英国大使館の報道担当官
 ブライアン ディビットソンは次のように書いています。
 「ナチス収容所周辺の悪臭も、このように吐き気をもよおすものではなかったか」

 アメリカ人教師、バーセイツは天安門広場で事件を目撃しています。
 その夜、彼は歩きながら一人の中国人青年に声をかけられました。
 青年は手押し車で負傷者が連れ去られて行くのを見ながら、両手で顔をおおい
 こう訴えたのです。
 「あなたは中国人民を支持してください。
  お国に帰っても中国人民を支持してください」

 民主化に立ち上がった学生たちは、米国が味方になってくれると期待していました。
 ところが米国政府は、北京政府に自制を求めることもなければ
 学生たちに迫りくる危機についても警告することもなかったのです。
 人民解放軍の動きを偵察衛星を通じて、リアルタイムにわかっていたというのに、、、
 無差別発砲され、戦車に踏みつぶされていく大勢の人々を見殺しにして、、

 事件後、ブッシュ大統領は記者会見でこう述べています。
 「米中関係は、米国にとって重要であり、私としては維持されることを望んでいる」
 そして対中武器輸出と米中軍関係者の接触を一時停止すると発表しました。

 米国と中国との貿易は、前年には40%増しの12億ドルに達し、また投資も35億ドルに上っていた。
 激化する日本との経済競争を勝ち抜くためには、対中貿易をテコにするしかない。
 そしてその戦略の前には、学生たちの民主化要求も彼らの人権も生命すらも
 米国からは無視されたのです。

 〇その後
    事件後、国際社会は中国に対する制裁措置をとったが、翌年湾岸戦争に際して
    米国はなんと制裁措置解除に向けての後押しを中国に約束したのです。
    これは中国が国連安保理で拒否権を発動しないこと。
    イラクに売却した中国製ミサイルの配置、情報を提供するということの二つの見返りです。

    そして湾岸戦争の一週間前、北京政府は天安門事件で逮捕された3000名の学生たちの
    裁判に関して米国に公式な抗議をしないようにとの要望を伝えます。
    そして米国もそれに応えたのです。

    北京政府と米国政府間のお互いの損得のため、学生たちの自由、民主化への
    動きは止められ生命さえも奪われた。

    裁判の結果、平和的なデモを実施しただけの学生たちは3年から13年の刑期で
    強制労働収容所送りとなりました。
    
   胡耀邦のもとでようやく芽生えた自由化、民主化への動きはこうして終わりを告げ
   共産党独裁からの解放はさらに遠のいてしまったのです。