疲れ切った自分 | Diary without the name

疲れ切った自分


真央ちゃんが終わったら私のフィギュア観戦も全て終わります^^
今まで自分用にと福山さんの感想をお借りしてというか、ほぼ自分用に保存…というか、
自分のブログはスクラップブックのような気がしていたので、すっかり文章をそのまま載せていたのですが、
(ニュースでも何でも多くの方が人の記事をそのままコピペしていたので、
作者は誰とか記載元を載せれば正しいと思っていた)
人によっては盗人ととらえる人もいると分りました。

尊敬の念をこめて、自分のブックにという気持ちでしたので驚きましたが、
そんなこといったら新聞記事とかそのままとかそういうのどうなるのかなと、ふと疑問に思いました。

ということで、今までのように私の日記というブログ?スクラップブックに大事にはさんで
何度も読ませていただくつもりです。

福山知佐子さんの「高橋大輔 ソチオリンピック」より 福山さんのデッサンは下をぽちりとしてください。
http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/index.html#entry-93028551

2月15日

高橋大輔のソチオリンピックが終わった。見終わってから、しばらく言葉が出てこなかった。凡庸な言葉でよごしてはいけないと思った。

自分の脳裡に浮かんでくる映像を豊かに刺激する演技、あらゆる感覚に訴えてくる演技だった。

・・・

「ヴァイオリンのためのソナチネ」。

曲調の少しいびつな部分、透明感と汚濁のコントラストも含めて、この曲は高橋の演技によく合っていたと思う。作曲者云々の事件と関係なく、高橋の身体が気品高く音を奏でて見せたので、曲がよく聞こえたのかもしれない。

両耳の下を両手で押さえて両肘をすぼめ、眼を閉じて前奏を待つ。

音の始まりとともに両手を振りあげ、眼を見開き、勢いをつけて世界に滑り出す。この短い時間にすべてを捧げる決意を表すように天を仰ぐ仕草。

最初の高まりの中で4回転。そのあとは抒情的に流れるピアノにのせて3アクセル。

夜のとばりの中を滴が砕け散るように。端正なスピン。

そこから高橋の全身が奏でるすすり泣くような甘やかなヴァイオリン。3回転3回転。

最後の盛り上がりに向けて、暗く、くぐもるヴァイオリンとともに低いスピン。

そして嵐に翻弄される樹のように、すべての苦しみを燃焼させるように、これでもかと言うように狂おしく激しいステップ。

最後は混濁した強い色彩と、夜の闇が燃え上がるような華やかなスピンだった。

足の調子が悪そうだというニュースを聞いていたので、正直、見ている側が痛々しさを感じる演技になるのでは、と心配していた。こんなにも充分にやりきるとは思わなかったので感嘆した。

凄みのある演技だった。

・・・

「ビートルズ・メドレー」。

新しい衣装は満天の星空のように煌びやかで、前の衣装よりもさらに身体の線が締まって見えた。

リンクに初めて立ったのが二十年前の同じ日(2月14日)と聞く。高橋大輔本人の二十年間の奮励、専心、試行錯誤、歓喜も、災禍も、邂逅も、不屈の努力も、すべて、この演技に込めて。

その演技は、見ている側のそれぞれの、過去(イエスタデイ)の高橋の演技の残像に、また、高橋の演技に夢中になった時の、それぞれ個人の人生の記憶の残像に反響する。

逃れられない現実としての困難と痛みにさいなまれても、何もかもが表現の深みへと収斂されていく。

その澄明さに胸が痛んだ。

高橋の真骨頂であるタンゴの部分が、あまりに洗練されていて、胸に切り刻まれすぎて怖いほどだった。

静かな微笑みとともに高橋の中から溢れ出すものが奔流となった。

怪我のせいで本当に苦しんだと思う、肉体的な制約の中で、無駄なものがこそげ落ちて、身体表現としてどんどん極まっていく、その道程をそのまま見せられているようで涙が止まらなかった。

個人的にはこのプログラムは繰り返し見られない。もっと泥臭くギラギラした踊りで終わってくれたほうが、自分としては気持ちが楽だった。

あらゆる表現の分野に言えることだと思うが、艱難辛苦を芸術表現にまで高められる才能を持つ人間は極々僅かだ。困難に耐えた経験がなければ深い表現にはならないだろう。だが、経験の中からつかみ取るものが、より濃やかで鋭いものになるかどうかは、個人の資質、天賦の受容能力によると思う。

本人は万全の状態でなかったことは悔しいだろうと思う。しかし多くの選手が崩れる中、転倒で演技が途切れることもなく、最後までピ―ンと糸が張りつめながらも優雅で滑らかな、表現として最高のものを見せてくれたことはさすがだと思った。

芸術性というものを具体的にどう評価するのか、誰が評価できるのかが常に問題になるが、もしそれを正当に評価できるしたら、間違いなくひとり突出していた。高橋大輔は不世出の、別次元のスケーターだと思う。

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凡人の私には到底表現できない髙橋選手の演技。
個人的に深く頷き、理解できたという部分は太字と下線をしておいた。

私は当日の演技を録画はしてはいるが、それ以来2度目を見ていない。
あれは何度も見てはいけないというか、おそらく何度も見てしまっている人はあの演技の真意を理解していないから見れるのだと思っている。

大事な演技は私は個人的傾向として(町田選手の百夜行がそれに似ている)
繰り返し見てはいけないと感じてしまい、大事にその時の印象を大事にとっておく。

それが、実は神演技といわれるような「力強さ」であったり、「情熱的」であったりすると、
意外と何度か見ることができるのですが、静かな曲だと何度も見る気が起こらないのは
自分はバカなのでこうして理由を文章に残すことはできない。

私は気持ちを言葉で表現することが人より下手みたいだwww

だから羽生選手のファンからずっと2年近く「死ね 死ね」と毎日書かれてきた。
マイページを空けて毎日書かれている「ミトン(もしくは婆がつく) 死ね」と2年間毎日。

あなたのアイドルはオリンピック金メダリストですよ。もう手負いの犬をけるのやめないと、
そろそろ自分にそのしぶとい呪いが返りますよ。と、一応お伝えしておく。

2ちゃんねるに書かれてから今までの記録を全部まとめて警察に渡してあります。
精神疾患の記録も全て精神的リンチとして書いていただきました。
だから、終わりにしましょう。そうしてください。私からのお願いです。お互いのために。

福山さんのフィギュア団体戦についてのご感想は
http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/index.html#entry-92812985 こちらです。

まおちゃん、まっちー、の演技についてや、例の作曲家について言及されていらっしゃいます。
もっと書きたいけれど(元々このブログは何もこの世に残せない私が遺書代わりに始めたものなので)諸々の事情で体調が本当に思わしくないので、そのことも含め、
今日の記録として残しておきます。

みなさま、お身体に気を付けて。そして、言葉に気を付けて(自分に言い聞かせています)。

ワールドまで自分の気力がフィギュアに向かっているのか疑問。
あまりにも汚いスケ連。気味の悪い小林という人や岡部という人。天野という人。きりがないのでもうやめる。

大輔氏の声に癒されたという人が多いみたいだ。
私は一向に体重の戻らない様子の大輔氏の心と体が心配だった。
本当に抜け殻なんだなとしか感じなかった。人はそれぞれだなと、思った。そして本当に疲れた。
真央ちゃんの最後の演技をリアルタイムで見れないかもしれないと思うと情けない。。。