12月27日に誕生日を迎えた。僕は帝王切開で生まれた。なんでも翌日は医者が忘年会があるということで、本当ならもう少し先でも良かったのに27日に生むことになったのだそうだ。昔、その時の医者に聞いたら僕が生まれたときを撮影した8ミリのフィルムもあるのだという。当時は出産は産科の医師に限らなかった。普通の町のお医者さんだった。古き良き時代ということになるのだろう。


彼女とまだ付き合っていたとき、10月頃だったか、見合いの話が2件ばかり来たことがあった。どちらも断ってしまった。「誕生日くらいまでは一緒にいたい」って言ったのは彼女の方なのに、などといろいろと思い出して「なんだかひどい話だな」と思った。
こんな寂しい誕生日を迎えるとは思わなかった。


誕生日は、FACEBOOKに登録しているせいが、外国の友達からお祝いのメールがたくさん届いた。何通も英語で返事を書いた。寂しい誕生日もいろいろと忙しいもんだなあと思った。


2011年は、母と姪と叔父を失い、とてもつらい年だった。多くのものを失って、得たものは少なかった。
そんなに優れた映画も見なかったし、本も読まなかった。
旅行でシンガポールに行ったぐらいだけど、でも振り返る気はあまりない。


28日には、職場の同僚と飲みに行った。代行がつかまらなかったし、他にもいろんなことがあって、つい飲み過ぎてしまった。29日は二日酔いでずっと苦しんでいた。もうしばらく酒は飲まないようにしようと思った。


実家には30日に帰った。実家は寒かった。不在の間に届いた荷物を受け取ったり、いろんな人に礼状を出さなければならず、それなりに忙しかった。


でも基本的には寝ながら、ずっとヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルばかり見ていた。
特に印象深かった話は次の2つだった。


1 有袋類と有胎盤類では、小さなうちから乳首を吸って成長する有袋類の方が、へその緒からふんだんに栄養が供給される有胎盤類よりも脳が大きくなるチャンスが減る。それで進化の途上で争う場面になると、有袋類は有胎盤類に負けてしまう。


2 マリアナ海溝では、古く重いプレートがマントルに落ち込んでいる。そうするとプレートが消滅して足りなくなってしまうので、地球の反対側の大西洋中央海嶺で、地下からマグマが吹き出し、あらたなプレートを作っている。そうして、ぐるぐると地球上のプレートはベルトコンベアーのように消滅と再生を繰り返している。


31日もほとんど寝ながらテレビを見て過ごした。
今年も殻付きの生牡蠣がいくつも届いていたが、とても殻を剥くような気力がなく、すべて姉に渡してしまった。

姉は体調が悪いらしく、疲れた顔をしていた。
「牡蛎、少しくらい食べればいいのに。」
「いいよ。いらない。」
家に戻ると僕はダラダラと過ごし、ほとんど掃除もしないまま、新年を迎えた。


2012年を迎えても、取り立てていうことはない。
こんな寂しい正月もないもんだと思ったけれど、だからといって誰かと酒を酌み交わすなんて気にもなれない。
近所の人を見かけたときに挨拶したほかは、ほとんど人とも話さず、どこにも行かなかった。


寝転がって前の彼女が貸してくれたキャムロン・ライトの「エミリーへの手紙」(NHK出版)を読んだ。
一人の老人が亡くなり、彼が孫娘に残した手作りの本が、残された家族を救うという話だ。
多くのいいことが書いてある。
ただ今の僕にはつらさが増す本だった。俺にはもう何をやってもハッピーエンドはないわけだし。
「そしてどうするんだよ、この本。」と思った。もう返しようもない。


ニュージーランドにいるフィンクルが、メールで、痛風や二日酔いにはジュニパーのオイルが効くのだと教えてくれた。抗酸化作用があって、元気も出てくるらしい。今度アロマショップに行ったら、買ってこようと思った。