ゴリィ【オルゴールアーティスト・カラーセラピスト・防災士】 -1425ページ目

ゴリィ【オルゴールアーティスト・カラーセラピスト・防災士】

総合エンタメ発信サイト「ゴリィの轟RADIO」の主宰をする「ポンコツ人間」ゴリィのブログです。思ったことを色々とつづっていきます。

今回の鬱がどこから始まったのかみるため、ブログを読み返してみたら、

震災のちょっと前から始まっていたようです。



で、震災が起きてしばらくは震災の話が中心になって、2週間だけ軽く躁、もしくは無理に気持ちを持ち上げた痕跡が残っていました。



急激に悪化したのは5月。

でも、4月にも自殺願望の記述はありました。

入院後ほんの一瞬よくなって、そのあとはご覧の通り。



今回いちばんショックなのは、イライラが仲間に向いてしまったこと。

これはやっちゃいけないこと。

前の事務所では、

「話しかけないでタイム」

として自分の見ていた2つの課をしきっていたホワイトボードを横にして、

その間は極力話しかけないようにしてもらい、なんとか保っていました。

前の部署ではそれだけイライラが募りやすかったので。



でも、4年周期の波はその域を越えてしまいました。



アメブロに乗り換えたときは、既に転勤後。

よって過去の記事をみても、ここまでの鬱症状が続いたことはありませんでした。

おそらく、10タイトル連続で鬱の記述が続いているのは今年がはじめてだと思います。



4年周期で来ているものということはおよそ確定的なのでしょう。



ちなみに、その間、最近はこんな気分だからなかなか書けていない



「相棒の今日の一発ギャグ」



を読んで、5日ぶりに笑ってしまいました。
はじめて躁鬱病と診断されたのが2007年。鬱がきっかけで受診した。



いまできる範囲で最大限冷静になって考えると、こんな感じである。

2011年…強い鬱(現在)

2009~2010年…軽く躁

2006~2007年…鬱(躁鬱病と診断)
*2006年心臓病発病

2005年…軽く躁

2004年…強い鬱(鬱病と診断)

2001~2003年…強めの躁

1999年…強い鬱
*現在の状態によく似ている



こんな感じで、多少の前後はあっても、やはりおよそ4年周期なのだ。

双極性Ⅱ型なので、躁といってもそれほどではないのだが。



そして、経済的にアホみたいなお金の使い方を経て、躁鬱混合状態になって鬱に突入しているのは、
99年のときによく似ている。

このときの鬱は半年続いて、当時は病院にいくなんてしなかったので、

市販薬で気持ちを高揚させるものを飲んで、効果が切れてくるとぐったりと、中毒患者のようになり、友達にその薬を取り上げられた。



本当の躁鬱のはじまりは、おそらくこの時点だったんだろう。



では、今年はどうか。

ここ数年は、毎年2月頃から鬱気味になるが、3月11日の震災以降、無理矢理でも気持ちを持ち上げて「なんとかしなきゃ!」で乗りきった。

GW明けに、その反動が来た。

1週間で何十万と使い、貯金はなくなった。

人生どうでもいい、と思った。

死にたいからはじめて死ぬための道具を買おうとしたり、具体的に自殺を企画しはじめた。



要は、今回も実は特別なことではなく、「周期が来てしまった」だけのことか。



それはわかったが、別にわかったところで何かが変わるわけではない。

余計、取り戻すのに半年という重い現実にきづいてしまった。

半年これに耐えるのは、ちょっと辛いです。
今の自分がおかれている状況、

自分の気持ち…。



誰かに相談したい。



でも、相談された側だってこまるだろう。

病気が特殊だし。



相談したりしようものなら、

かえって関係を悪くしてしまう。



孤独だ。

でも、親しければ親しいほど、このことで変に相談してはいけないのだろう。



死にたいわけではない。

今の極端な鬱状態から逃げたいだけなのだろう。



でも、向き合ったって何の答えもでない。

向き合えば向き合うほど、辛く、苦しく、さらに悪くなる。



どうしたらいいんだろう…。



どうすべきだろう…。



5日はちゃんと会社に出勤して、遅れを取り戻したい。

気持ちばかりが焦る。



でも、このままではきっと無理だろう。



やっぱり辞めるしかないのか…。



そうしないと、適正人員での仕事ができないでしょう。



これ以上足は引っ張りたくないので…。
今日のBS日テレとスカパーで放送している「よい国のニュース」で、宮城県気仙沼の高校を卒業し、はとバスのガイドになった女の子の特集をしていました。

震災の影響で入社は同期と2週間遅れ。

そこから遅れを取り戻そうと、時には涙しながらも必死に明るく研修に励む姿が印象的でした。



そして、デビューの日。



右と左をいい間違えたり、配ったランチのクーポン券が有効期限切れだったり、その有効期限を賞味期限ていい間違ったり。

なんだかんだあっても無事にコースをこなした後、最後のデビューの挨拶のときにちょっと自分も感動して涙しました。



お客さんもちゃんと分かっていて、間違いはあったけど頑張っている姿に満足した、いいキャラしているよね、と好感触。

僕も彼女のガイドするはとバスツアーに乗ってみたいな、と思いました。



やっぱりひたむきに頑張ることが何よりも大事なこと。



でも、今の僕にはそんなことすらできない…。



そんな現実に気づいてしまい、さらに気が滅入ってしまいました…。
12時過ぎにやっと起き上がれるようになったものの、

ベッドで2分も座っているとだるくなって再び横になってしまう。

少しは眠っている時間もあるみたいですが、ほとんどは死にたいという気持ちに襲われ、

ちょっと進んで、どこでどうやって死のうかをかんがえていました。



ネットで調べてみると、

練炭自殺がいいみたいだが、

狭い空間はそうそうない。ましつ、車は持っていない。

カリウム注射という、薬殺での死刑で使われる方法も良さそうだが、注射はないし静脈に自分で注射はできないだろう。

ベタに飛び降りは、高所恐怖症だからむり。

服毒自殺は失敗すると悲惨らしい。



そんなわけで、首吊りがいちばん現実的なようだ。

うちのアパートの裏には公園があり、林もある。



決行するかはおいといて、取り敢えずコンビニにロープを買いにいく。















結局買わなかった。

なんかイメージと違う。

もっと太いロープだよね、確か。



で、飯を買ってしまった。





死にたいという気持ちは変わらないが、自殺で検索したある携帯サイトを見ると、

死にたいと言葉に出すのは、生きたいの裏返し

とあった。



より良い生き方があるのなら、それもひとつかもしれない。



ただ、それには2つ壁がある。

①躁鬱病と付き合うこと

②心臓病など、内科疾患と付き合うこと

障害者手帳が出ているこの2つのハンデとうまく付き合っていかなければならない。

ちなみに、左手の発達障害は、結婚をしないし子どもも作らないと腹を決めたので、問題にはしないことにしている。



今は躁鬱病と付き合うことに自信が持てない。

何年かに1回、こんなに長期間苦しむのはもうたくさんだ。



でも、一方で心臓の病院の通院もきちんと通って、食事も野菜を採ることだけは心がけている。

これやめちゃえばとっくに病死してるのに。



なんかますますわからなくなってきました。