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「戦場のピアニスト」と、ガザ

 同映画の後半で、ドイツ軍に破壊された街に潜伏していた主人公が見た「青緑」に塗られた壁が、そして、砲弾で穴だらけになった建物の中から視界に映る「外界」が、ガザ地区でのそれにそっくりであった。
 ザラついた穴の内側を触れると、コンクリートの屑がパラパラとこぼれ落ちてきそうだった。この映画を象徴する瓦礫と化した街の情景を、パレスチナのそれとを重ね合わせて語られることが良くあったが、こうしたステレオ・タイプの手法はピンとこない。しかし、改めて鑑賞した細部は、この10年間のガザにそのものであった。
 ホロコーストからの生還者であるポランスキー監督が、パレスチナをも念頭においていたのかは分からない。恐らくないのだろう。しかし、ユダヤ人が、ゲットーの内側から抵抗を仕掛ける様、そこを貫いている鉄道が通るまで待たされる様。。。
 良く、ガザ地区に行って現地を体感したい、というような人がいるが、それでえればこの映画の中にある。もしかすると、短期で現場にいるよりも、そのものに近いかもしれない。個人的に言えば、劇場に行った時は正直恐ろしかった。実際に目の前を銃弾が通り過ぎたり、大きな流れ星のように頭上を飛ぶミサイルに対してより、あの劇中の銃声は耐えられないものだった。
 もしこれに「体感」できないようなら、それは、アラブ人とユダヤ人を無意識に区別する習慣が、染みついてしまっているのではないか。
 それにしても、あの映画で特筆すべきは、微妙なカメラワークにある。主人公の視線に入る事象が窓の外での出来事として表現され、彼が外に出ている時は、街が彼をその一部とし取りこんで行く。純粋な「客観」ではない冷たい主観にような立ち位置が、ロングショットを脳裏に焼きつける。
 「戦場のピアニスト」に、パレスチナの今がある。              (匿名ライターG)
 



「アラビアのロレンス」―大作は、大作だった。

「なぜ、女性が一人も出てこないのか?」、「アラビア語が皆無に等しい」、「<地獄の黙示録>を匂わせる人物設定」。30年ぶりに見た大作には、そんな面白さがあった。



この映画では、数か所だけしかアラビア語が使われていない。例えば、ロレンスがアラブ人と挨拶を交わし合うシーンで、「サラーム」、「サラーム」というのだが、100年前のことは分からないが、一般的にはこれは、非アラブ・イスラム諸国でのこと。アラブであれば、「アッサラーム・アレイコム」とか、別れ際なら「マアッサラーマ」とか。文字通り、サラーム(平和)という意味にしても不自然。なのに、カイロの街頭シーンで、「バーシャ!」という声が聞こえるのが可笑しい。(パシャ:太守を文字って、少し敬意を込めた「お兄さん」という感じのエジプト的表現)。また、アラブの名優オマル・シャリーフだけに、アラブ訛りの英語を許している。



第一次大戦時の英国情報将校であったロレンスには、ゲイ説が付きまとう。そんなことは本編では触れられていないからこそ、終盤に彼が変わっていく過程で登場する、トルコ軍による拷問シーンが、異様な興奮を煽る。メーキングドキュメンタリーでは、そこの狙いが、<性的興奮>にあったことも触れられているが、全体を通してみると、なぜあんな形にしたのか疑問が残る。唯一整合性を感じるのは、冒頭のシーンから一貫して触れられている、ロレンスの異質さで、意味なく暴走するアラブよりアラブを憂えながらの独裁者的発言が、監督が描き出したかた姿のようにも感じられる。しかも、登場人物として、女性が一人も出てこない。



そうそう、前述のオマル・シャリーフは、元共産主義者で、ユダヤ教徒だったと囁かれる人物。それでも中東では絶大な知名度を誇るが、そんな彼に、答えてくれるなら尋ねてみたい。当時の、ベトナム戦争で中東が手薄になっていたアメリカ、アラブ諸国の再分裂の予感、イスラエルの将来像などは製作現場にどう影響していたのだろうか?



50度を超える砂漠でのアクションシーンも、冴えた切り口がなくても、時代を考えれば凄い。一方、けちをつけるのは簡単ではない。むしろ、新たな脚本で新バージョンを作って欲しくなったし、あの時代ならではの小さな仕掛けが随所にあった。今、解説本があれば、更に楽しめる作品だ。