こんばんは~(*^^*)


子どもの頃から、私の日課の一つに祈りを捧げるということがありました。


ただ、どこにも宗教には帰属しておりません。
これからもするつもりはありません。
とある考えがあるからです。

しかしながら、常に神様や仏様のお側に居させていただいているような不思議な安心感が常にありまして、ですから、毎晩、主にその日の祈りを捧げ、朔日には、朔日まいりをし、前月の感謝や詫びと、今月の誓いを立ててまいりました。

毎月が元日のような感覚を想像していただければ、わかりやすいかと思います。


長年、私は看護師として働かせていただいてまいりました。
それらの日々は、本当に有難く、感謝や詫びの日々でした。
特に患者様から、いただいた見えないものは、私を仕事する動機を勇気づけてくれました。

私から患者様へお返しが少しでもさせていただけたかどうかは、全く自信がありません。
ただただ、患者様に真っ直ぐに看護をさせていただいてきただけに過ぎません。

今は、報償を得る職としては看護師ではありませんが、24時間看護師であり続けています。

ですから、どなたかお辛い方がいらっしゃると胸がとても痛みます。


人間を見てきた私からすると、幸せな人は、他人を傷つける言動はあまりしないようです。

ISの人たちも、教育委員や某知事も、私からすると、恵まれない哀れな可哀想な人たちです。

彼らに罵声を浴びせるのは簡単です。
でも、罵声で彼らはおそらく変わらないでしょう。

彼らに、心からお悔やみ申し上げたいです。

残りの人生を、少しでもまっとうな人間に変われますように。



と、罵声を言っている人たちよりも、見下してみています。


今日の締めは、


神の御心が彼らに与えられますように。

アーメン⛪️