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ぐだぐだぐだ。

「そもそもなんで終っちゃうんですか」。


ピンときた方はすごい(そしてちょっとおかしいw)。


これは元SMAP 香取慎吾さんが、「答えはいりません。」と前置きをして、長く続いたお昼の帯番組「笑っていいとも!」のグランドフィナーレで総司会者のタモリさんに伝えた言葉です。


なにごとにも腰の重いでおなじみのワタクシが、今更見た「笑っていいとも!グランドフィナーレ」。


番組として構成がすばらしかったわけでもなく、面白い企画があるわけでもなく、ただただタモリさんを、そして番組を好きな芸能人(それ以外の理由の方もいるんでしょうが)が集っての、酒の入らない宴会みたいな番組でした。


理由なんぞは一視聴者には知る術もないわけですが、三十年以上続いた平日正午のバラエティが、幕を下ろした日。


子供の頃から休んだ平日、正午になると何と無くつけてしまってたお昼の定番番組。

そんなに見るわけでもなくなった歳になっても、やっぱりビックリだった突然の終焉でした。


慣れ親しんだ毎日のなにかが、無くなる。



その日の夜に放送された、特番の中で、彼はおそらく「言葉にしちゃいけない」であろうこの言葉を言ったのです。



「なんで終っちゃうんですか」。



好きだった何かが終わるとわかった時、ひとはきっと、誰しもそう思うでしょう。


当たり前だと思っていたものが無くなった時。
明日会えると思っていたひとが居なくなった時。


終るだなんて思いもしなかった物がある時突然跡形も無くなった時はなおのこと。


「なぜ」という気持ちから、動けなくなったりします。


そしたらタモリさんは言いました。


「なんでも始まりがあれば終わりがある。」


そう言える彼が、私は好きで。


納得するしないに関わらず、終ってしまうものは終ってしまう。


命が尽きるのが決まっているのと同じくらい当たり前に。


感謝して、変化を受け入れて、その先に進む。


あるべきはきっと、そういう事なのでしょうけれど。


こと自分に関していえば、なかなかそうはできなくて。


続けてきた事、そこにいたひと、日常だと信じていた物。


深いんだか深くないんだかな3時間を見て、無くなったものをずっと求めてしまう不甲斐ない自分と、かといってストレートに悲しいとかツラいとかを言葉にできずにひきだしに溜め込んでいる現状に、がっかりしました。


隣にあったものが大切すぎて。
無くなったものが大き過ぎて。
未だに振り向いてしまう。


これだけ口数が多いのに、重要な問題になればなるほど伝える事ができない私の中には、「ごめんなさい」が大量に認められた手紙ばかりで。


熟成した「ごめんなさい」は、こじらせすぎて伝わる先を失ってしまっているのに。


なにかといえばすぐモノを無くし、予定を忘れるクセに、小さな瞬間の喜びや興奮や、後悔や罪悪感が脳から消える事はなく。


いつまでたっても「なんで」と、思う日々を繰り返す。


思ってもなにも進まない。
口にしたらただ虚しいだけ。
わかっているのに、いつまでも褪せない想いが、虚無に近い闇の底から、折に振れ顔を出す。


と言って、動くのかと言えばそれもできないんです。
どっちに足を踏み出せばいいかが、わからないから。


肝心な事をちゃんと伝えられるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。


いつ「なんで」な事態になるかわからないのにね。


だからせめて「ありがとう」だけは、言い零さないで生きていきたい。


そう思います。


…という長文で本当に言いたい事は言えていないあたりがマイコなんですけどね。


ああ。早く寝なくっちゃ。


きけ。くすり。


おやすみなさい。


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独り言はこのくらいシンプルが正解。





mico65*


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