中南勢音頭通信 「偏見」 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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大辞林 第三版の解説

 

へんけん【偏見】

かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。  -をいだく」 「人種的-」         とある。


 

どの解説を見ても例外なく非好意的な、ネガティブな感情を伴うことが指摘されている。しかしながら、私はここではもう少し範囲を広げた解釈をしてみたい。

むかし、むかし、私が、巨人フアンであったこと、長嶋茂雄の崇拝者であったこと、王貞治が疎ましかったこと、これらすべてが広い意味での「偏見」であると思えるのだ。そう、好き嫌いは本質的に「偏見」なのだ。

私はここで好意的な偏見を「+の偏見」、非好意的な偏見を「-の偏見」と呼ぶことにする。つまり、、巨人、長嶋に対して「+の偏見」、王に対して「-の偏見」を持っていたということになる。・・であればさしずめ、恋心は「+の偏見」の最たるものであろう。

しかしながら、ふつう、「偏見」とは、「-の偏見」をさす。それは本質的に、他人を貶める感情を伴うがゆえに、ときに誹謗、中傷から差別、暴力につながる性格を有する。それだからこそ問題になるのではあるが、しかし、しかし、待て、待て、しばし、ここで一度よく考えてみよう。王に対しての「-の偏見」は長嶋に対しての「+の偏見」の裏返しではなかったか。「+の偏見」、つまり根拠なく、一方的に好意的感情を持つこと、そしてそれに伴う意見、判断、行為であるならば何の不都合、弊害のないものなのか。無条件で容認できることなのか。・・・・

答はノーである。私がセーイチ君を見る目は不安げである。

いま私の前には【偏見】の深淵が大きな口を開けている。飛び込めと言っている。が、いまの私には無理だ。準備、装備が貧弱すぎる。しかし、いずれまたここに帰ってくると思う。

 

 

 

 

I’ ll be back といっておこう。

 

 

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