風邪であった。熱はなく咳もくしゃみも鼻水もなく、めまいがあり、テレビを見ていて目がかすんでくる。頭痛はなかったが、いつもであれば脱糞で解消するはずの腹痛が解消できず、三日後にはそれが腰痛へと変わり、と散々な半月間であった。が、草刈り作業を休むこともなかった。徐々にではあるが体調も戻りつつある。久しぶりに発信しよう。
千代の富士がなくなった。以前述べたように、私が本格的に音頭取りとしてのスタートを切れたのは、この人のおかげともいえる人なのである。もうやることはないであろうと思っていたが、哀悼の意味を込めて今年の夏は「千代の富士」を復活させよう。今日は葬儀の日である
(しょんがい音頭) 哀悼 千代の富士
召されましたよ千代の富士 柏鵬、輪湖のあとをうけ 若貴までの十年間 31度の優勝と 破竹の53連勝 絶対王者に君臨し 大横綱の足跡を 残しましたるこの人は 私にとっても恩人だ ここに感謝を込めまして あの熱狂の一日を 不辯ながらも今一度 努めまするで皆さまよ しばし間のお付き合い
花の大江戸隅田の流れ ここは蔵前国技館 いよいよ今日は千秋楽だ 朝も早よから 開館遅しとつめかける 相撲フアンのにぎやかさ
「ところでですが小池さん 私しゃ力もムードも今や最高潮の 千代の富士の初優勝は動かぬ所と思いまするが いかがでしょうか小池さん」
「いやいや それはないわよ国原さん 千代の富士もよくぞここまで戦いましたが、そこは横綱北の湖、やはり実力ナンバーワンなら、綱の意地にもかけまして、二番続けて放り投げ、逆転優勝間違いないと、信じております国原さん。」
意見は二つに分かれまして、やかましいぞよ相撲好き そうこうするうち今日も取り組み、取り進みまして、いよいよムードも盛り上がり、これより三役、揃い踏みのそのあとは、増位山には富士桜 いつものように富士桜、右から一気に突いて出た そうはさせじと増位山、体をさっと左に開き、すっとひいたる右下手、ぱったり落ちたは富士桜
さて相撲フアンのみならず、普段は縁のない人までも、今日はテレビにくぎ付けだ、待ちに待ったる大一番は、「ひがし~ 北の湖、にし~ 千代の富士」呼び上げたが寛吉なれば、直垂烏帽子に身を固め、天下泰平の軍配もった行事木村の庄之助 「方や北の湖、こなた千代の富士」と呼びあげたるその時は この時テレビの視聴率、65.3%と、紅白並みに跳ね上がり、満員御礼、垂れ幕下がった国技館、どっと上がった歓声は、遠く箱根を超えまして、伊勢湾超えて松阪は、和田金牧場、子育て中の母牛がびっくり仰天、乳を出せなくなったという。
話を土俵へ返しまするぞ、土俵に上がった両力士、仕切り直しも五度六度、早くも時間はいっぱいだ。東からは北の胡、綱の意地にもかけまして、決定戦に持ち込みますか、一方、西から千代の富士、この初場所の立役者、すでに大関当選決めて、両手に花を咲かせますか、最後の仕切りに入ります。すでに待ったはありません、にらみ合ったる両力士、足位置決まった。両手をついた、軍配返った、ガーンと当たった・・・、しかしながらもこの勝負、体で勝る北の湖、抵抗及ばず千代の富士、吊り出しまして北の湖、決定戦とやなりました。
そしてそしての決定戦は懐深く飛び込んで、頭付けたる千代の富士、強烈なる右からの、出し投げ打てば北の湖、ぱったりついたる両の手は、新し時代の幕開けを告げるものではありました
こんなものでいかがでしょう
ご冥福を・・・