この時代、まだまだ笠原氏も元気で、意気軒昂であった。わたしはもちろん、申すまでもない。今聞いてみても悔しいほどの声量である。明らかに、暴走気味であるが。 帰らぬ昔である。
ここでは1984年のテープを紹介する。
大淀町の小学校でのもの。地元の人であろう。上がってこられた。鼠小僧を。わたしは幡随院長兵衛。
二つ目は、同じく、オイズ。笠原氏の「天乃屋利平」と私の「鼠小僧」は途中まで。
もうひとつは、明和町の中村。二人で遊びに行って、上がらせていただいたもの。
それに西黒部、1984年というと、ロス疑惑と、そして、ロス五輪。
斎藤育三(和歌山教委) グレコローマン48kg級:銅メダル
実はこの人、西黒部出身なのだ。祝賀会が行われた.それにふさわしい音頭をやれとの要請があったのであるが、残念ながら、どうしても間に合わせることができず、欠席させていただいたことをお詫びしたい。何とか町民踊りには間に合った。
―おことわり―
再生画面において「しょんがい音頭’94」とあるのは「しょんがい音頭’84」の誤りです。