鍼灸師の学会の指導者をして長くなりましたが、最近特に感じることがあります。

 

会員の方が何か勘違いをされているように思うのです。

 

 

鍼灸師の学会は、学校ではありません。

 

 

鍼灸師として臨床家として生きていく為の技術や患者さん対応のことや経営など、必要なことをみんなで学ぶ場です。

 

 

ですが会員の方は会費を払っているという意識があるからか、学生気分の方が増えてきました。

 

 

会長をはじめ役員、指導者、会に所属するものすべてが一律同じように会費を払っています。

 

 

当会はみなさんが集まりやすい交通の便が良いところでの開催となっており、会費の多くは会場費として消えます。

 

 

当会は営利を目的とした会ではないのです。

 

 

また昨今、会費が高いと入会を躊躇される方が多いと聞きますが、あまりにも世間を知らないように思います。

 

 

今、色々なノウハウや技術を教える講習会やDVDや本がありますが、当会の年会費の金額が1日、或いは2日の講習会費と同額だったりします。

 

 

営利を目的としたところで知識や技術を学ぶと、高額な費用が発生するのです。

 

 

鍼灸師として生きていくことはそう簡単なことではありません。

 

 

技術を身に着けることはもちろん大変です。

 

 

患者さんの対応も、実費診療ということもあり普通の商売とは難しさが違います。

 

 

鍼灸には鍼灸独自のやり方があり、その多くの知識をより早く一人でも多くの方が鍼灸師として生計を立てていけるようにと、指導者は集まり役員会を開き、意見を出し合い試行錯誤しています。

 

 

以前は鍼灸師は助手に入らないと食べていけない、という概念が一般的でしたが、当会は助手に入らなくても自立出来るように、色々な角度から学べるように工夫をしています。

 

 

しかし学ぶ側が素直に受け入れる態勢でなければ、何も吸収できません。

 

 

私は助手を経験した指導者の一人ですが、鍼灸業界に入ったのが遅かったこともあり、また師と仰ぐ先生が自分より年下だったからかもしれませんが、最初は先生の言われることが素直に受け入れられませんでした。

 

 

心のどこかに自分の方が一般的な社会経験が多いなどの気持ちがあったように思います。

 

 

でもそういう気持ちがあるうちは本当のところを学べないのです。

 

 

助手として臨床中に、鍼灸師として出来ていないところを指摘されましたが、そういう時は嫌な気分になったり、逆に先生は私のことを嫌いなのかな、と思ったり、先生に対して批判的な気分になったりしていました。

 

 

今、臨床家として経験を積むと、その時の先生の指摘は最もであり、なぜそのようにしなければいけないのかも納得できますし、よくぞ言ってくれたと感謝の気持ちに絶えないのですが、その時はそれに気づきもしませんでした。

 

 

一日の来院患者数が1人の治療家と5人の治療家、10人を超えるもの、20人以上するものではそれぞれの段階で見えるもの、気づくことが違うのです。

 

 

それはその段階になってみないとわからないと思いますが、自分より多くの臨床をしている指導者の教えを、まず素直に真似をしてやってみるのが、一番早い習得法だと思います。

 

 

自分が相手を見下していたり、批判的であったりすると、決して学ぶことが出来ません。

 

 

謙虚な気持ちで学ぶというのは、指導者の為ではなく自分が多くのことを学ぶための早道になるからです。

 

 

現在、当会の指導者は、それぞれが長い年月をかけて努力し苦労して身に着けた知識や、臨床の中で失敗をしたり、嫌な思いをしたり、落ち込んだりしながら得た技術や経験を、少しでも多くの会員に役立てたいという気持ちでやっています。

 

 

それは私たちが先輩の諸先生方から受けた無償の「愛」に感謝し、後から学ぶものに受け継いでいくものと理解しているからです。

 

 

ダメなものはダメと言ってくれる人の本当の優しさを知っているからです。

 

 

本当のことを学んでより多くの会員が一日でも早く鍼灸師として生計を立てていけるようになってもらいたいと、心から願っているのです。

 

 

 

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GWの間は休まずに、
 
その後、軽井沢に行ってきました。
 
 
 
長い休暇の間に針を持たないと、
 
休暇明けに、針の感覚が鈍っているのがよくわかります。
 
 
 
技術は年々進歩しますが、
 
針を持たない期間があると必ず後退します。
 
 
 
それに気づかなかった頃は、休みの時はまったく仕事の事は考えないようにしていたので、
 
 
ずっと針を持たずに過ごしていました。
 
 
そうすると、休み明けの針の感覚がいつもと違うのです。
 
 
明らかに…。
 
 
 
何人かの患者さんを治療するうちに感覚は戻ってくるのですが、
 
 
休み明けの治療を心待ちにされている患者さんに対して、
 
 
大変失礼な話です。
 
 
それに気付いてからは、私は何か特別な事情がない限り、
 
 
365日、年中無休で針を打っています。
 
 
 
もうすでに習慣になっていますので、
 
 
むしろ楽しく自己治療をしている、と言った方が正しいかもしれません。
 
 
 
自己治療は、針の技術の修練になるし、
 
自分の状態も良くなりますし、慣れれば、針の感覚を楽しむことも出来ます。
 
 
何よりも自分に治療することで格段に針の技術は進みます
 
 
何故なら、痛い思いはしたくないし、体が良くなりたいと強く思いながらするわけですから、
 
 
患者さんの立場や心情まで理解できます。
 
 
 
技術職は、コツコツとした日々の努力によって、
 
技術が向上したり、維持できたりするのです。
 
 
 
器用な人も不器用な人も、コツコツと楽しんでする人にはかないません。
 
 
 
針が楽しくない人は、針を楽しめるようになるまで、
 
自分に工夫をしながら、針をしてみましょう。
 
 
 
長い鍼灸師としての人生を少しでも楽しく全うできますように。
 
 
大切なのは今出来るかどうかじゃなくてやろうとすることで
 
 
針をするときは、あれが出来ない、これがうまくいかない、と考えながらするよりも、
 
 
こういう針を打ちたいとか、もっと気持の良い針はどうしたら良いかなど
 
 
自分が打ちたい針のことに集中してする方が、断然進歩が早いように思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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久しぶりのブログ更新です。
 
 
実はインスタにはまってしまい、楽しくてそちらに力を注いでいました。
 
 
先日、フォロワーさんが1000人を超えました。感謝です。
 
 
まったく仕事には関係のない「犬ブログ」ですが、
 
みなさんの反応が良いので、
 
まったく興味のなかったカメラ、一眼レフまで購入してしまいました。
 
 
この写真はそのカメラで撮影したものです。
 
 
スマホでもかなりきれいに撮れるのですが、スマホとの違いは背景のボケ具合です。
 
 
まったくド素人の私ですが、日々インスタの写真を見続けていると、
 
 
この写真はきれい、インパクトが良い、構図が面白いなどと否応なく目が肥えてきます。
 
 
脈診も同じことがいえますよね。やはりポイントは楽しく継続するということでしょうか。
 
 
 
本題に入ります。
 
 
最近、当院には坐骨神経痛で来院される方が増えています。
 
 
開業当初、私が最も苦手とする疾患のひとつでした。
 
 
今から思えば治せなくて当然だと思います。
 
 
あの当時は針の長さが1寸3分しかなかったのですから、患部に届きません。
 
 
針数も少なく、深く刺さないやり方でしたので、
 
長い鍼を使うということが、とても野蛮なような、低レベルな治療だと思っていました。
 
 
今、私は「坐骨神経痛は、短い鍼では治すことが出来ません」
 
ときっぱりと言い切れます。
 
 
本治法と患部を接触するだけの針で一時的に痛みを軽減することは出来る場合もあります。
 
 
でもそれも一部の患者さんです。
 
 
よく坐骨神経痛の患者さんは「耐えきれない痛み」とか「こんなつらい経験は初めて」とか
 
「この世の終わりみたいな痛み」とか
 
すごい表現をされますが、そこまで慢性化が進んだものは、
 
しっかりと実反応を狙って患部に届く針をしないと、まったく効果がありません。
 
 
針をきちんと患部に届かせる治療をしている私たちにとっては、すごく当たり前のことが、
 
鍼灸業界ではまだまだ一般的ではないように思います。
 
 
坐骨神経痛の患部は、深い場合が多く、硬結も本当に固く、緩みにくいものが多いので、
 
きちんと患部の取穴ができる、確実に針を刺したところまでは緩めることが出来るという
 
KACS式深瀉浅捕の基本ができていないと、
 
何度治療しても良い結果が出せないように思います。
 
 
基本を習得するには繰り返し練習するという地道な訓練が必要ですが
 
そこをきちんとしなければ、前に進めないように思います。
 
 
カメラも奥が深く、良いカメラだから良い写真が撮れるとは限りません。
 
基礎から地道に勉強して、経験を積み重ねていきたいです。
 
 
 
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鍼灸師になって、良かったなぁ、と思うことは色々あります。
 
患者さんの症状が良くなったり、喜んでもらえたりはもちろんですが、
 
頑張った分だけ技術が伸びたり、臨床経験を積むにつれて学ぶことも多く、
 
飽きるということのない職業だと思います。

 
休日を自分で決められたり、経済的に余裕が出来たのも良いことですね。
 
定年がないので、いつまで続けるかも自分次第です。

 
自分の体力に合わせて、形態を変えることも可能です。
 
鍼灸師は大変な仕事ですが、良い面もたくさんあります。
 

 
しかし私が「鍼灸師になって何が一番良かったですか?」と聞かれたら
 
「自分に針が出来ることです」と答えます。
 
 
自分に針をする‥これが一番楽しく、心地よく、また勉強にもなるので、
 
充実感が味わえます。

 
患者さんに針をすることでたくさんのことを学ばせて頂きましたが、
 
自分に針をすることによって、更に多くのことを学びました。

 
鍼灸学生時代に自分に針をしたら、飛び上がるほど痛く、
 
「こんな人の嫌がることをする仕事って…」とブルーになったことをよく覚えていますが、
 
今では「1本でも多く刺してもらいたい」という患者さんがたくさん来院されます。

 
鍼灸師の技術が未熟だから針が痛いとかはもちろんありますが、
 
西洋医学的な刺激的な針と、東洋医学的な、
 
 
KACS式深瀉浅捕(しんしゃせんぽ)は、まったく違います。


硬い所を緩めるのですが、力ではなく気の調整なのです。

針先に気を絡めて、邪気を集めて抜く、という手技は、
 
簡単には出来るようにはなりませんが、

邪気が抜ける時に、正気が流れてとても気持ちが良く、
 
痛みや症状がその場でなくなったり、温かくなったり、軽くなったりと、
 
明らかな改善が見られるのです。

 
自分に針をするということは、針を刺すという楽しみと、針を刺される快感と、
 
どちらも同時に味わえるのですから、これほど良いことはありません。

 
残念なのは、自分では刺せない肩甲間部などの部位があることです。
 
患者さんのガチガチの肩甲骨の凝りを針で緩めながら、
 
「自分の身体をベッドに寝かせて、自分で針をしたい!」と何度思ったことでしょう。
 

カチカチの干し肉状の筋肉が、
 
針をすることによって生肉のように復活するのは、
 
本当に嬉しいことです。 

 
今や自分に針をするのは趣味のひとつになっていますね。
 
きっと鍼灸院をやめても、私は一生自分の身体に針をし続けるでしょう。
 
楽しくて、楽になる。
 

鍼灸師になって一番良かったことです。
 

 
 
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パソコン、スマホ、テレビ、ゲーム…

私たちの周りには、

目が疲れる物がたくさんあります。
 
私の鍼灸院には、目の疲れが主訴の患者さんもたくさん来院されます。

 


 
目を温めたり、目薬をさしたり、マッサージしたりしても、

 

疲れがなかなか取れない方は
 
目の周辺の筋肉がかちかちの干し肉状態になっています。


 
少し凝ったくらいなら、揉んだり、叩いたり、温めたりすることで、
 
筋肉の中で停滞している血液が流れるので、
 
血液が停滞することによって、細胞内に溜まっていた老廃物や二酸化炭素が、
 
澱んだ血液とともに押し出され、新しい血液が、栄養分や酸素を運ぶことにより、
 
細胞が柔らかい状態に戻り、疲労も回復します。
 
 

血流が悪くなった筋肉は、乾燥して硬くなっていくのですが、
 
長く乾燥した状態の所は、
石灰化してかちかちです。
 

 

特に眉頭から眉間、、眉毛が生えている筋肉や、眉毛の上の筋肉が硬くなりますが、
 
おでこまでカチカチに固まっている人も少なくありません。
 
 

患者さんのカチカチの部分を触って「これは骨じゃないですよ」と言っても、
 
なかなか信じてもらえません。
 
針治療をしていくうちに柔らかくなって「骨じゃなかったんだ」と納得されるようです。
 
 

 

私は患者さんに「頭がい骨と皮膚の間に筋肉の層が1cm程あります」
 

という説明をしますが、どう考えても2~3mmくらいしか筋肉の層がない

 

ような方もたくさんおられます。
 
ひどい方は、骨の上に皮膚が1枚張ったような感じになっています。
 
 

小学生くらいの子供さんがいらっしゃる方は
 
「子供のおでこや眉間は柔らかくて、やっぱり1cmは筋肉がありました!」
 
と驚いたように言われます。

 


 
私自身も、眉間のところは骨の上に、皮が1枚張っただけのように固まっていました。
 
目が疲れて疲れて、揉めばその時は少しましになるのですが、
 
すぐまた元通りという感じでした。
 
 

親指の腹で目頭をぐりぐりマッサージしている時に、ふと右目の目頭と左目の目頭の、
 
指の沈み方が違うのに気づきました。
 
 

明らかに右の方が硬くて、左にはない骨のようなものに触れるのです。
 
右目は常に重くて左の目よりもかなり疲れやすい感じでした。
 
よく触診してみると、眉頭だけではなく、眉間、眉毛の生え際、

 

おでこまでカチカチになっていました。
 
 

右目の眉毛の上は、頭髪の生え際に向かって、棒状に固まっていて、
 
そこを揉むとその都度、ビリビリと電気のようなものが走ります。
 

これはカチカチの筋肉が神経を刺激するような感じでした。
 
 

私は鍼灸師ですのでそこに日々針をするのですが本当に気持ちが良いのです。

 

針が入った筋肉は、一瞬にしてがちがちの状態が柔らかくなるのです。
 

緩むときに、澱んだ血液がその瞬間に

 

じゅわっと流れるような爽快感が病みつきになります。


 
慣れてくると1本でより硬い筋肉が一気に緩むので、

 

針を抜いた後、しばらく感動するぐらい気持ちが良いです。

 

患者さんも目の周りの治療は、その場で楽になるのがはっきりわかるし、

 

気持ちが良いので喜んで治療を受けられます。
 
針で柔らかくなったところの疲れは、軽く揉むだけで、楽な状態が持続します。
 

 

私は左右の目の疲れ方の差が大きく、固まり方がだいぶん違っていたので、
 
右目の周辺の筋肉が石灰化したような干し肉状態になっているのに気付きましたが、
 
両方とも同じように固まっている方は、それが異常だと認識できないかもしれませんね。


 
一度針が刺入されて、干し肉から生肉に戻った筋肉は、

 

そう簡単には干し肉状には戻りません。

 

治療効果は持続するのです。
 

 

最近は若い方にも『スマホ老眼』という症状が増えてきていますので、
 
ますます鍼灸治療が必要になってくると思います。

 

 

この患部に対する針のやり方は、全身の気血水を巡らせて免疫力を上げたり、

 

自然治癒力を上げる本治法という治療を併用するとより効果が良くなりますが、

 

本治法だけでは、患部の硬い状態は改善しません。

 

また患部に接触するだけの刺さない鍼治療では干し肉状態は改善しません。

 

西洋医学的な刺入しても刺激するだけの針では、

 

固い筋肉を生肉のような状態に戻すことが出来ません。

 

 

患部の干し肉化した筋肉を生肉に戻せる針の技術はKACS式深瀉浅捕です。

 

物理的なものだけではなく、東洋医学の気血水を考えた針の技術が必要になるのです。

 

 

目の周りがカチカチに固まっている方でKACS式の鍼灸治療が受けられない方は、

 

とりあえず蒸しタオルや目元用ゆたぽんなどで目の周辺を温めて、

 

固まった筋肉を親指の先でゆっくりと押したり緩めたり、少し強めの圧をかけておこなうと、

 

浅い部分をマッサージするだけより、停滞している血液が流れやすいです。

 

 

カチカチに固まっていない方は、温めたり、マッサージするだけでかなり改善するはずです。

 

あなたの眼精疲労はどちらですか?

 

 

 

 

本当に楽になる鍼の技術を追及する学術団体【KACS】

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