ぶれーくたいむ

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高校生編を書こうか迷っているところです。

流れが劇的に変わった、というわけではないのですが

泣いていた自分は裏の顔だったんだと思うようになったのもこの頃でした。

 

腕力に頼り、自分の言葉・意志に従うことが表の顔だと。

15歳。

Twitterで俺が公言してる年齢です。

 

15歳であったことは、暴力を力と認識したこと、夜遊び喧嘩悪戯が日常化したこと、それによって中学まであった門限制度が亡きものになったこと、童貞を卒業したこと(重要)、酒解禁など

 

まあ、進学校に通ってた生徒の中ではそこそこはっちゃけたんじゃ?ないでしょうか

 

痩せてたので性別問わずモテてたような気もします。

 

基本的に恋愛事業で忙しく、学校行事なんかより当時の彼女最優先で動いていました

当時めちゃくちゃ惚れてて、こいつしかいねえ、と思っていた子でした。

後々に色々起きるのでこの記事では出来事を割愛しますが

 

高校生時代は、時間的余裕もあったことから、十分のびのびと生きていました。

生きていることが楽しい、そう思い始めたときでした。

 

 

もうすぐ大学を卒業する身ですが、こんなにも生きることが辛く、また寂しいこととは…と打ちひしがれています。

 

今の年齢の自分が、かつて弾けたときの自分と比べはるかに状況が違い、

過去の自分が好きで 気持ち変化を忘れたくなくて、今も15歳を名乗っているのかもしれません。

 

さて、高校生編は書くべきなのか

 

一番自分が好きだった時期です。

思い出すと懐かしい気持ちと同時に、なんでこうなった

と今を悲観します。

 

え?女の子がいないからだろ?

 

それも正解ですが

 

精神的に不安定になった自分が信じられないというところもあったり

 

まあ、理由は様々です。

 

 

 

 

 

どうしようか?

自分にまた、問いかける生き方。

 

 

 

 

 

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自伝 中学高校1年時代

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またもブログ更新ですが、なお話です。

自分のブログですから、自分の事を書くのは至極当然だと思いますが、これを見て「自分語り乙」だの「承認欲求キモイ」だの叩かれる対象になるようです。

 

ただ執筆にあたり、「この自分の事を知ってほしい」が根底にあり、

慰めや共感なぞなくとも、こういう人間も世の中にはいるということを知ってほしくて書いています。

 

一応触れ書きはしたので、この先を眺めるかどうかはお任せします。

ただ、叩く人は例え知り合いだとしても許しません。

 

 

 

前回の続きになります

 

晴れて中学に上がり、勉強は尚も継続させようと個別指導塾へ通っていました。

中高一貫の私立でしたが、特徴的な科目があり、その一つに「剣道」がありました。

 

剣道との出会いは、俺の人格及び性格を形成するにあたり大きな影響を与えられました。

 

剣道の授業にて、指導していた師範から、

「お前には素質がある、剣道部に入りなさい」

自分になにかの才能があるわけでも、これといって特技があるわけでもなかった俺は、その一言に背中を押され迷うことなく入部を決意しました。

 

 

練習は週3日、高校生と交じっての稽古です。

当然体力差から息が上がる場面も多かったですが、初めて運動をやり込んでいくことが気持ちよくて楽しかった。

キツくても、それを乗り越えることでまた一つ自分が成長してるような

そんな感覚でした。

 

剣道によって、積極性を持つこと、自分を主張すること、人を恐れないことを学べました。

 

 

ただ…今まで娯楽に触れること、世間の流行りなどわからなかったなど

恐らく挙げればキリのない要因からか

罪に問われることをしました。

その中には、補導に至ったのもあり、その際に親からは「次やったら勘当」と言われました。

ただ、その1件のおかげで俺にお小遣い制度が認定されました。

 

他校との喧嘩やらイザコザやら頻度が多くもなりました。

 

というより、ある程度腕力がついてきたから試したいのもあって、よく喧嘩売るようになりました。

 

 

 

中学の成績は良く、この調子ならば横浜国立大学もA判定だろうと言われていたくらいです。

まあ、過信した俺は勉強を辞めたことで、国立大へは行けない学力まで落ちましたが…

 

 

中高一貫なのでエスカレーター式で高校へ

剣道は幽霊部員になりました。

 

いつも、小言言われては小突かれ、

自分が何かして怒られてごめんなさいという気持ちより

なんでこいつそんなことでキレてんだ?とイラつくようになりました

 

ある日、ついに爆発しました

 

ぶたれにぶたれ、今まで虐げられてきた俺は、産まれて初めて母親を突き飛ばしました。

そんなに力は込めていなかったのに、予想以上に吹っ飛んだのを覚えています。

 

しばらくポカンとした顔を見せた後、すぐ、「謝れ!」と叫ばれました。

腕を変なところに打った、痛いから謝れ、と。

 

なんて自分勝手なヤツ。

 

そう思いました。

 

今までさんざん殴った人間がいうセリフがそれなのかと。

 

いくら痛いと泣き叫んでも、いくらごめんなさいと謝っても、それでもやめなかったのに

いざ自分がやられるとそう言うのかと。

 

 

 

 

 

ふざけんな

 

 

 

そう言い、拳を振り上げる真似をしました。

身構えて目をつぶる母親の姿を見て

 

哀れで

 

降ろしました

 

 

そしてわかったのは

人を圧できるのは

 

暴力

 

 

なんだな。と

 

 

ただ、初めて親に反抗したことで、自分の中の何かが弾け。

この日から色々変わりました。

 

15歳の出来事、今の俺が生まれたキッカケです。

 

 

 

 

補足説明はコメント欄もしくは記事編集を行います

 

 

 

 

 

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自伝 小学生時代

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久々のブログ更新ながら、少し重め?なお話です。

自分のブログですから、自分の事を書くのは至極当然だと思いますが、これを見て「自分語り乙」だの「承認欲求キモイ」だの叩かれる対象になるようです。

 

ただ執筆にあたり、「この自分の事を知ってほしい」が根底にあり、

慰めや共感なぞなくとも、こういう人間も世の中にはいるということを知ってほしくて書いています。

 

一応触れ書きはしたので、この先を眺めるかどうかはお任せします。

ただ、叩く人は例え知り合いだとしても許しません。

 

 

では、本題に入ります。

 

 

 

みなさんは、どのような幼少期、少年少女時代、中学、高校といった生活でしたか?

また、親からどのような躾を受けましたか?

 

悪いことをすれば怒られる、これは当然ですね。

悪いことだと刷り込ませるために手を上げ殴り痛みを味わせる、これも自然です。

 

俺は、親(主に母親)からの叱責や殴打をたくさん受けてきました。

腕や太ももがアザだらけ、小学生の時など、体育で着替える時に友達からアザをよく聞かれました。

「ちょっとぶつけたんだ~」という他になかったのですが。

どんなに小さいことでも、毎日叱られそのたびに呼吸するように殴る蹴るを貰うのは、痛くて怖くてずっと泣いていました。

少しでも遅く帰ると、それも叱られる対象で、例の如く殴られた。

 

 

 

俺の将来の夢は4歳ころに見つけました。

家を建てている鳶職を見て、すごくカッコいいと思った。

飄々と動き、重いものを運んだり、次々とパーツを組み上げ形にしていく様は、見ていて爽快で。

 

その旨を、親に、説明下手ながら熱弁しました。

 

 

そこが間違いでした。

 

 

将来の夢を持った俺に対し、親は

「息子はすごい、この年齢ながら設計士を目指すと宣言した!」

と、親戚のみならずいろんな人へ吹聴しました。

 

当時の俺はというと、(セッケイシ?あの職人さんのことを言うのかな?)という感じでした。

 

小学1年に上がると、母親からの熱心な英才教育が始まりました。

週に1日ずつ、ピアノ教室と英語教室

週に3日前後、公文式

 

合計で週5日は習い事な生活が始まりました。

 

そして、小学3年から新たに習い事というか

学習塾への通いが始まりました。

学習塾には週3日もしくは4日になる代わり、

公文式は週1日程度になりました

それでも、ピアノと英語教室は健在でした。ええ。

 

小3あたりには、鳶職は設計士じゃないと気付いたのですが

親に話すと、「底辺職には就くな」と一蹴。

 

なんでこんなにも習い事ばかりで、遊ぶこともテレビを見るのも禁止されなきゃいけないのだろう?と

アニメを見ていたら、勉強もしないでだらけてばかり!と殴られ蹴られ。

塾での成績が悪ければ、高い授業料払っているのになぜできないんだ!とまた殴られ。

 

小学校に関しては

自分でも何しに行ってたのかはわかりません。

塾が多かったせいで、小学校のテストは今まで満点しか取ったことがなく。小学校での勉強はクソの役にも立ってません。

強いて言うなら、お昼の給食を食べに通ってた、でしょうか。

学校が終われば、その足で塾へ通いだったので。

 

小学6年になり、俺が塾で好きな女の子を見つけた頃。

親は中学受験へ躍起になっていて、ピアノ教室と英語教室を辞め、

学習塾へ週6日もしくは7日で通わされるようになりました(学習塾の小6カリキュラムに沿った結果)。

 

この頃から、親も模試の結果などに物凄く敏感で

悪い点を取ると、腕が腫れ上がるまで、鼻血出すまで、脳震盪で倒れるまで、吐くまで殴られたり蹴られたり。

その様子を見ていた妹は、ああはされたくないと必死に勉強し、俺よりいい成績を修めていました。それも油となり、親は、妹はいい成績なのに兄のお前はなんで出来が悪いんだ!とヒートアップ。

 

小6になったことで体力が上がったせいか、殴る蹴るの躾ではわかってくれるのに時間がかかると恐らくそう判断した母親は、物を投げて或いは使って、叩くことを覚えました。味をしめてる雰囲気でもありました。

 

チャート式みたいな分厚い参考書で叩かれたり。

タバスコの瓶を頭に投げつけたり。

大切にしていた文庫を破り捨てられたり。

 

痺れを切らしたときなど、雨が降る夜に家から追い出して一晩放置されたり

あんまり俺が泣くものだから、近所から警察に通報されたり

 

出来の悪い息子に失望したのか

ある日、いつものように怒られていると、殴られたりはしませんでしたが

あるものを渡されました。

 

渡されたものは、

便箋数枚、ボールペン、封筒、縄

言われたことは、

「お前は家の子じゃない」「産まなければよかった」「死んでしまえ」「遺書を書け」

 

命令は絶対です。今までがそうでした。

遺書を書き、渡し。

縄は使い方がわからず(←) というよりは結び方がわからず

読んだ親は、

「もうこう思われたくなかったら、心入れ替えて必死で勉強しろ 遺書は肝に銘じろ」と。

秋ごろでした。

 

 

 

 

寒くなりはじめ、もうそろそろ冬だな、という頃。

親は小学校に連絡し、

中学受験が終わる2月中頃まで、小学校休学の届けを申請したとのこと。

申請された日から、1日15時間毎日勉強する日々が始まりました。

勉強、過去問、模試の復習。

少しでも間違うと飛んでくる怒号と拳。

心休まるときは、風呂とトイレの時間だけ

 

寝ても覚めても勉強、勉強。

 

永遠に続くとも思われた苦しみから抜け出す方法を必死に考え

思いついたのは、いつぞやに親に言われた「死ね」という言葉。

そうか、死ねばいいのか。

 

方法は述べませんが、

実際にやってみて、失敗して、親から死ぬほど殴られました。

 

中学受験は成功し、小学校も無事に卒業しましたが、

ストレスで禿げたり まだらな打撲痕があったり

人と話するのにびくびくしたり

腕を上に上げる動作を見ただけで体が硬直したり

自分の名前を呼ばれると「ごめんなさい!」と反射的に言ったり

色々残りました。

 

そして、中学時代へと入っていきます。

 

 

 

 

補足説明など必要な場合、コメント欄に追記します

 

 

 

 

 

 

 

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