「爆笑と浅草キッドはオレと同期なんだよ。犬猿の仲って思われてるみたいだけど、実はそうじゃなくてね。オレはその時代を一緒に過ごしたから、色々知ってるんだ。そんな彼らがラジオで共演したんだよ。えっ、オレ?オレは、そのときバイトしてたけどね」

爆笑問題の日曜サンデーに、浅草キッドがゲスト出演をした。
ついいましがた録音を聞いて、太田さんに感想のメールを出した。
冒頭のかぎかっこは、太田さんに送ったメールの一文だ。

文脈としては、スタジオに遊びに行こうかと思ったけど、やめておこうと。
上記の会話ができるほうが、今のオレにはしっくりくるしね。

スタジオに行きたいのは、やまやまだった。
二組の共演を、オレも一ファンとして望んでいたのだ。

オレは博士も太田さんも大好きだから、
玉ちゃんとは昭和42年生まれの同期で、二人とも酒好きで、
よく一緒に酒を飲んだなあ。

オレがお笑いを始めた頃は、ほんと世間知らずだった。
博士が居候していたアパートのうなぎの寝床みたいな三畳間、
そこで、よくお笑い論を語ってくれた。

ラジオでは、博士が若手に説教するみたいに、太田さんは茶化してたけど、
いやいや、説教って感じじゃなくて、
芸人論を熱く語るって感じで、ものすごく感銘を受けた。

私にとって、芸人の最初の先生が博士だった。
その後、オレはタイタンに入って、浅草キッドと疎遠になってしまい、
気まずい思いがあったんだけど、
私が肝硬変の末期で生死の境をさまようと、
玉ちゃんと博士がお見舞いにきてくれて。

あれは、意識を取り戻したばかりの頃で、
私は朧な意識で、
(浅草キッドの二人がきてくれた。爆笑問題側にいってしまった私を、
怒ってないのかな?よかった、嬉しいな)

そう喜んで、布団から手を出して、玉ちゃんがその手を強く握りしめて、
「ハギ!そんなけ握力ありゃ平気だ。お母さん、大丈夫ですよ。
ギュッと握り返してきたよ」と、陽気に励ましてくれた。

博士が「ハギ無理すんな。寝てろ」といって、
私はその手を布団の上に置いて、胸の上で手を組んだ。
そしたら、玉ちゃんが、
「ハギ、胸の前で手を組むな。縁起でもねえ」と、べらんめえ口調で、
その手をそっと脇に置いてくれた。

「また来るから!」と彼らが帰って。
その後に、ふらりと太田さんがやってきた。

このときから、いやな予感がしていて、
まさか、謬室で鉢合わせなったらどうしようかと…。

それからも、博士はちょくちょく来てくれたし、
ときにはダンカンさんも一緒で、
オレは、心の中で念じていた。
(太田さんいま来ないで、頼むから)

それがついに、オレを挟んでの博士と太田さんの邂逅。
博士が書いた「お笑い 男の星座」にそのエピソードが書いてあるので、
オレが今更ここで真実を語るのも野暮だし、
未読の人はおすすめします。とても面白いから買って損なし。

確かに、二人が鉢合わせしたとき、私は大いにうろたえ、
それで意識がはっきりしたからね。
なにか言ったはずなんだよね。それで、病室が爆笑になって、
ほっとした記憶があるんだ。
なにいったんだっけかな~。覚えてないな。

その後、太田さんと博士が飲みにいくとなって、
オレも外出届だして、出席したかったもん。
さすがに、全員から「だめ!」って当たり前に叱られたが。
その席に俺がいないのは、どうしたっておかしいだろう!と。

色々と思い出すこともあるけど、
この辺にしておきましょう。

また気が向いたら、当時の出来事とか思い出せる範囲で、
書いてみます。

夜も更けてきたし、もう寝るのだ!