伊古田の介助術

 

ミトの陣痛が始まってから3日目の夜半過ぎ、馬上の伊古田は均平と共に如達堂で学んだ頃を思い出していました。

 

入塾した時は、伊古田が23歳、均平はまだ子どもで11歳でした。この時の如達堂で一緒に学んだ縁で均平の母の妹・トセが伊古田の妻となり、2人は叔父・甥の関係になりました。

 

如達堂では均平は伊古田を年の離れた兄のように慕

っており、如達堂を出て開業した後も、診療で難題に直面したときには伊古田は均平よりたびたび相談を受けていましたが、今回の件はこれまでになく緊迫した、しかも危険なものだった。

 

 

本橋家に到着した時刻は4月25日の朝早くでした。伊古田は、分娩椅子から下され寝かされたままになって朦朧(もうろう)とするミトを直ちに診察しました。伊古田はこれまでの経験の限りを尽くして、脱出した胎児の手を子宮内

に押し入れてみたものの、胎児の腕がミトの子宮に戻ることはなく、ただ単に均平とトヨが行った方法の繰り返しに過ぎませんでした。

 

伊古田は、それではと逆に手をひっぱってみました。外回転術(骨盤位<さかご>を頭位へ矯正するために、腹壁の上から手を使って、胎児の位置を回転させる操作)の要領でお腹の上から胎児を回転させながら押してみたが、それでも子宮内の胎児の変化の兆しはない。そのうち胎児の足まで出てきた。頭に触れないようでは穿頭術もできない。

 

このまま鉄鉤をやみくもに子宮内へ挿入するのは、ミトの腟や骨盤内の臓器を傷つける可能性があり、あまりにも無謀で危険だった。伊古田は小声で均平に言った。

 

 

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