疑わしきは罰せずの意味 諦めない闘いを | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 刑事裁判における原則、とされています。刑事裁判においては検察側がある人が犯行を行ったという点につき挙証責任を負いますが、被告人が不利な内容について被告人側が合理的な疑いを提示できた場合には被告人に対して有利に(=検察側にとっては不利に)事実認定をする、という原則です。

 ふむふむ、と思われるとは思いますが、日常の生活感覚からすれば、かなりヘンな、そして難しい発想方法ではないでしょうか。自分としては「疑わしい」と思いつつ、結論としては、疑わしい内容に沿った結論に導かない、ということ・・・。

 例えば、アナタは、ほぼアイツが俺の陰口言っているんだと疑いつつ、決定的な確信が持てないが故に、変わりなくニコニコと仲間として付き合っていく、みたいな。

 しかし、さらに近時の最高裁は「直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。」(最高裁第三小法廷平成22年4月27日判決)とまで言っています。

 「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)」とはどういう意味でしょうか。

 被告人が犯人でないなんてありえない!これだけ間接的な証拠があって、それでも被告人が犯人ではないなんてありえないでしょ!という位までの確信が持てない限りは、いくら濃厚に疑わしくても有罪としてはダメ、ということのようです。そんなに厳しかったらみんな無罪じゃないの?!

 ・・・う~ん。実はこう言ってみても、結局は裁判官の判断は分かれます。私が、今、担当している(上告中)事件も、この最高裁判例の基準に従った判断構成を取っているようですが、一審と二審では、結論は真反対となっています。

 ある意味、裁判官のキャラクター次第、とも思われますが、そう言ってしまっては始まらないので、上告審ですが、事実認定の仕方を争おうと思っています。

 実際は、有罪の判断が99.9%以上。本当に「疑わしきは罰せず」なのかと多くの弁護人は思っていると思います。まあ、実際が、そうなりがちだからこその「原則」なのかもしれません。

 さらに、上告審での破棄は、より小さな確率ですが、被告人も私も諦めることはできず、先日も鑑定書作りのために被害車両と似た自転車を購入し、ようやく警察署から還付された自動車とつき合わせたり、現場の交差点を何度も通過する実験を行いました。

 やはり、発見はあります。検察や検察側の「御用鑑定人」の判断が如何に机上の空論にすぎないか、が現場ではわかります。

 結局は「疑わしきは罰せず」を実現するには、被告人と弁護人の諦めない努力が必要です。少なくとも諦めれば、そこで終わってしまいます。被告人の以前勤めていた会社の法務部の弁護士には「最高裁でひっくり返ったりしないでしょ」と言われ、退職を余儀なくされましたが・・・。

 この屈辱を晴らすためにも、諦めず、裁判所の原則に働きかけようと思います。どんなに確率が小さくても。