1948年 アメリカ
監督:チャールズ・ウォルターズ
出演:フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、アン・ミラー、ピーター・ローフォード
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あらすじ
ドン・ヒューズ(フレッド・アステア)とパートナーを組むナディーン・ヘイル(アン・ミラー)が別のショーに引き抜かれ、ドンは酒場の歌手ハナー・ブラウン(ジュディ・ガーランド)をパートナーとして抜擢する。
しかし、ハナーは歌は上手いものの、ダンスがからっきしダメだった。ドンは必死でハナーにダンスを教え込むのだが…。
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フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの奇跡ともいえる共演は、主役のジーン・ケリーが足を骨折したため、アステアに代役が回ってきたことで実現しました。脚本家のシドニー・シェルダンは、アステアとガーランドの歳が離れすぎているとして、当初アステアの起用に反対でした。のちにそれは誤りだったと述懐しています。
アーヴィング・バーリンが楽曲を提供し、チャールズ・ウォルターズが監督、シドニー・シェルダンが脚本の見直しを担当しました。
途中で”Ziegfeld Follies of 1912”という看板が出てくるので、映画の設定は1912年だと思われます。
”Ziegfeld Follies”(ジーグフェルド・フォリーズ)とは、20世紀初頭、興行主のフローレンツ・ジーグフェルドが行っていた贅を尽くしたレビューのことです。
実はナディーン役のアン・ミラーも代役でした。当初はシド・チャリシーが予定されていたものの、チャリシーも足の怪我により降板。オーディションの結果、ミラーが起用されたのです。このとき、ミラーの背が高すぎるという意見もあったのですが、ミラーが、アステアと踊るときはバレエシューズを履くと約束して採用が決まったのです。
それでは、いくつかのミュージカルシークエンスをご紹介しましょう。
”ドラム・クレイジー”(Drum Crazy)
アステアがドラムを叩くシーン。他には「踊る騎士」(1937)と「足ながおじさん」(1955)で叩いています。
”アラバマ行きの夜汽車”(When the Midnight Choo-Choo Leaves for Alabama)
ジーグフェルドのオーディションを受ける風景。
ガーランドは歌が専門ですが、なかなかどうしてダンスも相当上手いです。
”シェイキン・ザ・ブルース・アウェイ”(Shaking the Blues Away)
アン・ミラーがジーグフェルド・フォリーズで踊る圧巻のステージ。鳥肌が立つほどのテクニックです。ミラーは当時、背中を傷めていましたがそんなことは微塵も感じさせません。ミラーはのちに、一世一代のタップだったと語っています。
”ステッピン・アウト・ウィズ・マイ・ベイビー”(Steppin' out with My Baby)
途中から、うしろで踊る大勢のダンサーは通常のスピード、前のアステアだけがスローで踊るという非常に珍しいシーンです。
ラスト近く、アステアとミラーが踊る"君と踊るときだけ"(It only happens when I dance with you)のシーン。よく見ると、ミラーがバレエシューズを履いているのが分かります。
息を呑むラスト。MGMの広大な敷地に大掛かりなセットが作られ、700人ものエキストラが駆り出されました。ジュディ・ガーランドがラストで歌う”イースター・パレード”は素晴らしい曲です。それにしても、イースター(復活祭)であんなにも着飾って街を練り歩いていたとは驚きです。男性も女性も最高のおしゃれをして街を歩きます。1912年当時の素晴らしいファッションをぜひご堪能あれ。
DVDの特典映像には、本編にはカットされ未公開となった"ミスター・モノトニー"が収録されています。こちらも必見。
監督:チャールズ・ウォルターズ
出演:フレッド・アステア、ジュディ・ガーランド、アン・ミラー、ピーター・ローフォード
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あらすじ
ドン・ヒューズ(フレッド・アステア)とパートナーを組むナディーン・ヘイル(アン・ミラー)が別のショーに引き抜かれ、ドンは酒場の歌手ハナー・ブラウン(ジュディ・ガーランド)をパートナーとして抜擢する。
しかし、ハナーは歌は上手いものの、ダンスがからっきしダメだった。ドンは必死でハナーにダンスを教え込むのだが…。
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フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの奇跡ともいえる共演は、主役のジーン・ケリーが足を骨折したため、アステアに代役が回ってきたことで実現しました。脚本家のシドニー・シェルダンは、アステアとガーランドの歳が離れすぎているとして、当初アステアの起用に反対でした。のちにそれは誤りだったと述懐しています。
アーヴィング・バーリンが楽曲を提供し、チャールズ・ウォルターズが監督、シドニー・シェルダンが脚本の見直しを担当しました。
途中で”Ziegfeld Follies of 1912”という看板が出てくるので、映画の設定は1912年だと思われます。
”Ziegfeld Follies”(ジーグフェルド・フォリーズ)とは、20世紀初頭、興行主のフローレンツ・ジーグフェルドが行っていた贅を尽くしたレビューのことです。
実はナディーン役のアン・ミラーも代役でした。当初はシド・チャリシーが予定されていたものの、チャリシーも足の怪我により降板。オーディションの結果、ミラーが起用されたのです。このとき、ミラーの背が高すぎるという意見もあったのですが、ミラーが、アステアと踊るときはバレエシューズを履くと約束して採用が決まったのです。
それでは、いくつかのミュージカルシークエンスをご紹介しましょう。
”ドラム・クレイジー”(Drum Crazy)
アステアがドラムを叩くシーン。他には「踊る騎士」(1937)と「足ながおじさん」(1955)で叩いています。
”アラバマ行きの夜汽車”(When the Midnight Choo-Choo Leaves for Alabama)
ジーグフェルドのオーディションを受ける風景。
ガーランドは歌が専門ですが、なかなかどうしてダンスも相当上手いです。
”シェイキン・ザ・ブルース・アウェイ”(Shaking the Blues Away)
アン・ミラーがジーグフェルド・フォリーズで踊る圧巻のステージ。鳥肌が立つほどのテクニックです。ミラーは当時、背中を傷めていましたがそんなことは微塵も感じさせません。ミラーはのちに、一世一代のタップだったと語っています。
”ステッピン・アウト・ウィズ・マイ・ベイビー”(Steppin' out with My Baby)
途中から、うしろで踊る大勢のダンサーは通常のスピード、前のアステアだけがスローで踊るという非常に珍しいシーンです。
ラスト近く、アステアとミラーが踊る"君と踊るときだけ"(It only happens when I dance with you)のシーン。よく見ると、ミラーがバレエシューズを履いているのが分かります。
息を呑むラスト。MGMの広大な敷地に大掛かりなセットが作られ、700人ものエキストラが駆り出されました。ジュディ・ガーランドがラストで歌う”イースター・パレード”は素晴らしい曲です。それにしても、イースター(復活祭)であんなにも着飾って街を練り歩いていたとは驚きです。男性も女性も最高のおしゃれをして街を歩きます。1912年当時の素晴らしいファッションをぜひご堪能あれ。
DVDの特典映像には、本編にはカットされ未公開となった"ミスター・モノトニー"が収録されています。こちらも必見。