戦前の「かけ算・わり算」の教え方――高木貞治等の教科書を読む | メタメタの日
 戦前の算術の教科書で「かけ算・わり算」のところを読んでみると,現在の教え方とずいぶん違うことに感心する。
 戦前は,「算術」という教科は小学校で教えられていただけでなく,中学の1年や2年でも教えられていた。(中学の数学は,算術,代数,幾何,三角法の4つに分かれていた。)
 義務教育の尋常小学校(4年制),その後の高等小学校(4年制)の算術の教科書は明治38年(1905年)から国定教科書になったが,さらにその後の中等学校の教科書は国定制ではなく検定制のままであった。なお明治40年から尋常小学校6年が義務教育となり,中学校(5年制)に進学可能となった。(この時代,学制の変遷が目まぐるしくて混乱する。)
 明治43年度の中等学校の検定教科書の算術で,中学校,師範学校(尋常小学校6年の後,高等小学校3年を卒業して進学する。小学校教員になるための学校)で使用されていたベストスリーは次のようになる。(田中伸明,上垣渉「明治後期における中等学校教科書の様相」2015年,三重大学教育学部研究紀要,http://hdl.handle.net/10076/14459 から作成)
 藤沢利喜太郎『算術小教科書』         104校
 寺尾寿・吉田好九郎『中学校数学教科書 算術之部』91校
 高木貞治『普通教育算術教科書』         88校

 上記の教科書から,現在の教科書ではまずお目にかからない,かけ算・わり算に関係する部分を抜き出してみると以下のようになる。(原文カナは,かなにした。)

藤沢利喜太郎『算術小教科書』上,第4版,1902年(明治35年),
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826972
「数に単位の名を添えたるものを名数と称す。例えば三人,五頭,七里は何れも名数なり。而して名数と区別するの必要なるときは数を不名数と称す。」(3頁)
「乗数は必ず不名数ならざるべからず。例えば7に3円を掛ける或は5円を6里倍するというが如きは全く意味なき言なり。」(41頁)
「割り算は積と因数の一つとを知りて他の因数を索むる計算なり といふを得べし。然るときは割り算に二様の意義あり。
(甲)  幾つ含まれ居るかを索むること即ち計ること
(乙)  分つこと即ち等分すること
(甲)(乙)意義の相異は名数の割り算に就いて説明するときは一層明瞭なるべし。(甲)の意義に於いては実(被除数:引用者註)と法(除数:同)とは同名の名数にして商は不名数ならざるべからず。例えば21尺を3尺で割り(計り)て商7を得るが如し。(乙)の意義に於いては法は不名数,商は実と同名の名数ならざるべからず。例えば21人を3で割り(三組に分つ)て7人を得るが如し。」(45-46頁)

寺尾寿・吉田好九郎『中学校数学教科書 算術之部』上,1903年(明治36年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083213
「名数と不名数  二千人,五尺などの様に数に単位の名を添えたるものを名数といい,名数と区別するため数を不名数ということあり。」(1-2頁)
「すべて掛け算に於いて被乗数は不名数にても,名数にても差支えなけれども,乗数は被乗数を幾つ加え合わすべきか,又は被乗数を幾等分したるものを幾つ取るべきかを表わす数なれば乗数は必ず不名数でなければならぬ。故に「3に5円を掛ける」或は「7円を9里倍する」という如きは全く意味のなきことなり。」(64頁)
「割り切れる割り算にて,特別なる場合にはその意味も特別に取らる。
(第一)法が整数にして之を掛け算の乗数に当るものと看做したる場合。如何なる数に4を掛ければ1.2になるかを求むるとは如何なる数を四つ加え合わすれば実1.2に等しくなるかを求むる事なり。一般に箇様なる場合割り算は実を法に等しき数に等分するという意味に取らる。
(第二)法を掛け算の被乗数に当るものと看做したる時,商が整数となる場合。0.5に6を掛ければ3となるというは法0.5を六倍すれば実3に等しくなるという事なり。一般に箇様なる場合にては,商は実の中に法が丁度幾つ含まるるかを表わす数なり。」(70頁)

 使用校数ベストスリー3番目の「高木貞治『普通教育算術教科書』1904年(明治37年)」は,国会図書館でも見つからない。高木著の算術教科書としては,この『普通教育算術教科書』に大修正を加えた『新式算術教科書』1911年(明治44年)や,『広算術教科書』1909年,『数学教科書 師範教育(算術及代数)』1911年などが「近代デジタルライブラリー」で読むことができる。
 「名数,不名数」については,『数学教科書 師範教育』で高木貞治は次のように言っている。
「名数  5尺,2.5升,2/3貫(割線は横棒:引用者註)などの如く,或量の単位と数値とを併せを名数といい,この名数という語に対して,5,2.5,2/3(同前)などの如きただの数を不名数ということあり。されど名数に関する計算は不名数の計算に帰着するが故に数学にては不名数のみを取扱うなり。本書にて向後単に数というときには,特別にその名数なることを明言せざる限り必ず不名数を指せるものと知るべし。」(8頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/9
 「乗数が不名数であること」については,『広算術教科書』(52頁),『新式算術教科書』(21頁)ともまったく同文の次の記述がある。
「乗数は必ず不名数なり。積は被乗数が名数なるときは,亦必ず同種の名数なり。」
  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/30
  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16
 「割り算の2つの意味」については,『広算術教科書』を引用すると,次の通り。
「割り算
 掛け算にて
   6円×4=24円    (※)
なることを知れり。これを逆に考えて,
(1)24円の中には6円が幾つ含まるるか。 答 4
 是れ,24円は6円の幾倍なるかを求むることにて,即ち掛け算の積と被乗数とを知りて,乗数を求むるなり。
(2)24円を四つに分つときは,幾円ずつとなるか。 答 6円
 是れ,24円は幾円の4倍なるかを求むることにて,即ち掛け算の積と乗数とを知りて,被乗数を求むるなり。
 (1)も(2)も,掛け算の積と因数の一方とを知りて,他の因数を求むるなり。
かようの計算を割る(除す)という。掛け算の積に当る数を,割り算の実(被除数)といい,因数の中に知られたる方を割り算の法(除数),求むべき方を商という。
(1)にては,実24円を法6円にて割りて,商4を得,
(2)にては,実24円を法4にて割りて,商6円を得たるなり。
被除数が名数なるとき,
(1)除数が之と同名なる数なるときは,商は不名数なり。
 (2)除数が不名数なるときは,商は被除数と同名なる数なり。
 かように割り算の意味を二通りに区別する必要あるは,被除数が名数なる場合に限る。
 例えば,45を5にて割りて商9を得ということは,45の中に5の含まるる度数が9なりということと見てもよく,又は45を5分するときは9ずつとなるということと見てもよし。」(82-83頁) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/45

(※引用者註:このように,同名数の最初と最後の項が中項を挟む「被乗数×乗数=積」の順序で式を書く書き方を「サンドイッチ方式」と呼ぶ者が昭和から平成にかけて出て来る。)
 以上が,戦前の中学校でのかけ算・わり算の教え方で,現在ではまったく使われない「不名数,名数」がキーワードになっている。(高木貞治も,数学では不名数だけを取り扱うと言いつつ,日用算術の割り算で名数を使うときの不名数との区別を述べている。)

 では,義務教育の尋常小学校の国定教科書ではどうなっていただろうか。(『日本教科書大系近代編第13巻 算数(四)』講談社を参照)
 明治38年(1905年)度から使われた第1期の国定教科書は,尋常小学校1年から4年まですべて教師用のみで児童用の教科書はなかった。中を見ると,解説などは無きに等しく,生徒に課す厖大な計算問題と学年が上がるにつれて増えてくる文章問題に圧倒される。
かけ算・わり算の計算問題については,次のようなパターンが出てくる。
  2×2=            2日×2=
  2×3=            2人×3=
  20×4=            4厘=2厘×
  30×2=            10軒=5軒×
  80=20×           2本÷2=
  32=8×            4本÷2=
  20÷2=            2本÷2本=
  18÷6=            4本÷2本=
  ・・・             ・・・
 教科書掲載の計算問題は,左列に引用した不名数同士のものがほとんどだが,各頁の欄外には助数詞が列挙されていて(度,箱,袋,本,冊,銭,日,羽,行,枚,字,軒,艘,人,匹,把,俵,組,所,列,……),助数詞を添えれば好きなだけ右列の名数の問題に作り変えられるようになっている。
講談社『日本教科書大系 第13巻』21頁(文部省著作『尋常小学算術書第二学年教師用』21~24頁,1905年(明治38年)。講談社『日本教科書大系第13巻』21頁,1962年,所収)
 見れば解る通り,かけ算の式は,不名数×不名数,名数×不名数のパターンだけで,不名数×名数も,名数×名数もない。つまり,「乗数は必ず不名数なり」(高木貞治)である。
 わり算の式は,不名数÷不名数,名数÷不名数,名数÷(同名の)名数のパターンだけで,不名数÷名数のパターンはない。
 尋常小学校4年卒業後の高等小学校1年の児童用教科書には,次の説明がある。
「乗数は常にただの数なるべし。被乗数と積とは同名の数なり。」(文部省著作『高等小学算術書 第一学年児童用』1905年,12頁)「除数がただの数なれば商は被除数と同名の数なり。除数と被除数と,同名の数なれば,商はただの数なり。」(同前14頁)
 明治43年(1910年)度から使われた尋常小学校第2学年教師用では,除法の単元の最初の頁に,18÷2=9,12÷2=6,6÷2=3,・・・,12÷3=4,3÷3=1など18個の式を掲げた後,次のようにある。
「注意 先ず上の式は「18を二つに分くれば9になる」又は「18を2ずつ分くれば九つになる」という意なることを教え,九九の声に依りて計算せしむるものとす。割算に両意あることは6人÷2,6人÷2人の如き名数の計算及び応用問題に依り理解せしむべく,(以下略)」(50頁)
 このように,尋常小学校の国定教科書も,高等小学校の国定教科書も,児童用では「不名数」を「ただの数」と呼んでいるが,「名数,不名数」の区別にこだわっているのがわかる。
 明治時代,学校で教えられた算術が,江戸時代の和算に由来するものではなく欧米から輸入した洋算であったように,名数,不名数も欧米の用語の翻訳語であった。
 「名数」の原語は,“concrete number”(具体数),「不名数」の原語は,“abstract number”(抽象数)だが,西洋でも,concrete number,abstract numberの歴史は古くはないらしい。その区別は“modern”で,小学校でのみ使われたとある。(David Eugene Smith“History of Mathematics”1925,11頁)
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n25/mode/2up

(つづく予定)