切れ目はあるが隙間はない | メタメタの日
  数教協の『数学教室』に高木貞治が登場しているのを見つけた。

 数教協(数学教育協議会)は、1951年4月頃に遠山啓らが研究会を始め(※1)、翌52年1月に小倉金之助を会長とし会員10名で創立され、53年11月の第1回大会(参加者約150名)で遠山啓が会長になった(会員約400名)。機関誌『数学教室』は55年2月号から発刊され(※2)、初代編集長は大矢真一だった(※3)。(爾来60年の歴史を刻んだが、発行元の国土社の「倒産」のため今年の9月号から休刊しているが。)
 『数学教室』の創刊後数年間のバックナンバーは、国会図書館でも櫛の歯が欠けた状態で、イマイチ様子が分からない面があるが、遠山啓が最初からガンガン書いているわけではなく、多様な数学者が執筆している印象を受けた(教育関係者というより)。
 1958年1月号の『数学教室』には、高木貞治のインタビューが7頁にわたって載っていた。聴き手は、清水達雄、志村五郎、杉浦光夫、金原和子の4人。すごいメンバーだと思う。今なら『数学セミナー』に載るような記事だと思うが、当時の『数学教室』は、一般向け数学ジャーナル誌の役も担っていたのだろう。(小倉金之助、高木貞治を担ぎ出し、『数学セミナー』の創刊(1962年)にも関わる遠山啓のオルガナイザーとしてのセンスと力量に感心する。)
 インタビュー時高木貞治は82歳で、この2年後に亡くなった。思い出話が中心の(本人も自覚し自嘲している)老境の放談となったが、高木が29歳のときに刊行した『新式算術講義』が話題に出ると、

「あんなもの、無責任な話だけど、アルバイトのつもりで書いたもので。あんなもの今ごろひっぱりだされては(笑声)。一番ひどいのは――田辺という哲学者がいるね。あれはもともと数学をやって、1年いたんだ。今でもぼくのあの本を引出して、哲学の空間がどうやらこうやら引出すから。僕は迷惑なんだ。本を出すから悪いのかもしれんが。西洋の本屋のね、払いをするためにね。」(※4)

 「田辺」は田辺元。『新式算術講義』を読んで、デデキントの切断論に「一生を貫く問題となったほどに強い印象を与え」られ、東大理学部1年に入学して高木貞治の講義を受けるが、微積分の演習が1題も解けなかったため、数学者の資格は無いと3か月で休学し、翌年文学部哲学に転じた、と自分で書いている。(※5)
 高木がインタビューで「迷惑」だと言ったのは、1954年に田辺が刊行した『数理の歴史主義展開――数学基礎論覚書』のことで、田辺自身が「私の哲学思想の総決算的告白」と位置付けている。
 
 数学者高木が「迷惑」だと言った哲学者田辺の文章は次のような箇所だろう。(ここからが今回の本論で、ここまでは枕でした。)

「切断が今述べたように、張った糸の如き連続体を切ることによって繋ぎ、切口を入れてしかもそれを再構成するようなものであるとするならば、その切口を入れるナイフは、全く厚さのない絶対に鋭利なる刃をもつものでなければならぬであろう。しからざれば、切口は必ず隙間を作って連続を傷け、従って連続体を再構成することはできなくならざるを得ない。しかるにナイフの刃が有である限り、厚さがないということはできぬ。厚さがない、絶対に鋭利なる刃というのは、それ自身「無」でなければならない。「無」のみ絶対の否定力をもつのである。ところでそのような「無」を使うことができるものは、自らもまた「無」でなければならぬ。有なるものは無を使い得ない。なぜなら、有が無を使おうと欲するならば、それにより無を有化するからである。(6行省略)切断はかくして絶対無の行ずる絶対否定行でなければならぬ。それだからこそ、切ることがすなわち繋ぐことであるという如き逆説を、成立せしめることができるのである。(後略)」(※6)(下線は引用者)

 上記部分は、『数理の歴史主義展開』文庫本の冒頭から8~9頁目で、私はここまで読んできて、この先を読む気が失せた。数学で哲学を語ったり、半可通の数学や自然科学で哲学を根拠づけるのは止めた方がよい一例としか思えなかった。(その後、「後記」と「解説」を読んで、ちゃんと本文全体を読んでから評価しないとフェアでないと思い直しているが。)
 数学は数学として理解しようとすべきで、そのとき数学を理解できないとしたら(実によくあることだが)、数学が前提としている何事かが共有できていないのだから、その何事かに思いを巡らすことはあっても、というより、思いを巡らさざるをえないはずだから、その惑いこそを語るべきだと思う。数学を曲解して我田引水する愚は避けるべきだ(他山の石かもしれないけれど)。

 田辺が「曲解」したか、読み損ねているとしか思えない高木の本文は次の箇所だろう。

「今直線上随意の一点Dを除き去りたりとせよ。譬へば、理想的最鋭利のナイフを以て、Dに於て此直線を切りたりとせよ。即ち此切り目に幅なしと考へよ。掻の如くにして直線上の連続は破壊せらる(註)。然れども如何なる二点の中間にも必ず第三の点あるべしとの条件は、Dを除去せる後にも、仍ほ依然として充実せらるるにあらずや。是分布の稠密は未だ連続といふことの特徴たるに足らざるを証する者なり。(註)ナイフにて切るとはDなる点を除去せよといふことに過ぎず。直線の連続は此処にて破壊せらる。然れどもDの右及び左に如何なる点をとるとも、其中間には必点(Dより外の)あり。Dの直に右、直に左の点なる者なし。連続の定義はデデキントの名著、連続及無理数(Dedekind, Stetigkeiti und Irrationalzahlen,1872)に載す。これ必読の書なり。」(※7)(下線は引用者)

 田辺にあっては、数学世界の話に現実世界が混入してきて、「厚さのないナイフ」は「無」つまり存在しないという話になるが、高木は「厚さのないナイフ」の存在を数学世界において認める。したがって、田辺においては、「無のナイフ」を「無の自己」が行使することで「切断則連続」という矛盾が成立するという話になるが、高木においては、「理想的ナイフ」による「切除」で切り目が生じると連続は破壊せられるが、幅(隙間)は生じないという理屈になる。
 『新式算術講義』を書いた29歳頃の高木貞治は、連続、稠密、離散について次のように整理していたと考えた。

 (A)切れ目なし(連続性あり)・幅(隙間)なし(稠密性あり) …… 連続
 (B)切れ目あり(連続性なし)・幅(隙間)なし(稠密性あり) …… 稠密
 (C)切れ目あり(連続性なし)・幅(隙間)あり(稠密性なし) …… 離散

 つまり、「切り目」と「幅」を区別し、その有無でカテゴリー分けをしていたのではなかろうか。ところが、『新式算術講義』を読んで感動したと言いながら哲学者田辺は、ここを読み損ねていたのではないだろうか(というのは、私の田辺元の読み損ねかもしれないが)。
 しかし、切れ目と隙間の区別に注意を払わないことは、高木の弟子筋にあたる数学者でも見かけるし、高木自身も、晩年74歳の時に刊行した『数の概念』(1949年)では、この用語を採用しないで、次のように展開する。

「順序集合Rを二つの部分A、A´に分けて、Aに属する各元がA´に属する各元よりも小なるやうにするとき、これをRの切断(cut, Schnitt)といひ、(中略)
(一) 下組Aに最大元があり、上組A´に最小元がある。これを跳躍(leap)といふ。
(二) 下組Aに最大元がなく、上組A´に最小元がない。これを隙(スキ、gap)といふ。
(三) 下組Aに最大元があって、上組A´に最小元がない、又は反対に、上組A´に最小元があって、下組Aに最大元がない。これを切断の正常の場合といふ
 分散集合では、切断はすべて跳躍である。稠密集合では決して跳躍はないが、隙はあることがある。(中略)有理数の集合には無数の隙がある。(中略)
 順序集合に於て、すべての切断が正常なるとき、それを連続、詳しくはDedekindの意味で連続(continuous)といふ。即ち、跳躍も隙もない順序集合である。」(※8)
 
 デデキントを踏まえたこのような説明は、現在の大学の授業のスタンダードでもあるのだろう。(なお、高木は『解析概論』(初版1938年)では、leapに「飛び」、gapに「途切れ」という用語を与えていた。)(※9)
 確かに、『新式算術講義』の「理想的ナイフ」による「切り目」は、「下組に最大数がなく、上組に最小数がない」gap(途切れ、隙)とは定義が異なるだろうし、「幅(隙間)」もleap(飛び、跳躍)とは定義が違うと言えよう。しかし、(一)のleapを「(C)離散」と、(二)のgapを「(B)稠密」と、(三)のcontinuousを「(A)連続」と対応させて考えることは可能だろう。
 「切れ目」「隙間」の用語がもたらす直観的イメージは捨てがたいし、何より「切れ目」「隙間」の有無による「連続」「稠密」「離散」の3区分は、アリストテレスの「連続的」「接触的」「継続的」の3区分を想起させる。アリストテレス『自然学』を読んでいる文系・哲学系の人(その大半は拾い読みだろうし、私もそうだが)には、ということだけれど……
 <続く>

 
(※1)銀林浩「数学を教える、数学を学ぶ、数学を考える」『現代思想臨時増刊号 総特集・数学の思考』78頁、2000年10月
(※2)松田信行「数学教育協議会の20年」『数学教室』1972年7月号、18頁
(※3)大矢真一「おぼえていること」『数学教室』1959年1月号、91頁
(※4)高木貞治「高木貞治先生にきく」『数学教室』1958年1月号、30頁
(※5)田辺元『数理の歴史主義的展開――数学基礎論覚書』初版1954年、岩波文庫版396頁
(※6)同上226~227頁
(※7)高木貞治『新式算術講義』初版1904年、ちくま学芸文庫版239頁
  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827403 167コマ目
(※8)高木貞治『数の概念』1949年、48~49頁
(※9)高木貞治『定本解析概論』2010年、3頁