MESO子供からの手紙 Shine Ko Ko | ハローミャンマー

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ミャンマーヤンゴン在住、正田信子がヤンゴンから発信します。

MESO支援者の皆様へ

$MESOミャンマー教育支援機構

私はShine Ko Ko(シャインココ)です。

父はU Win Htein、母はDaw Tin Tin Ma、弟はShine Bo Boです。

私の家族はお金持ちではありません。
父は大工、母は仕立ての仕事をしています。
両親は大変な生活の中から他の子供達と同じように小学校に通わせてくれました。

私は両親が使ってくれたお金が無駄にならないように頑張って勉強しました。
そしてクラスで一番になりました。
試験の結果が出る度に、両親のところへ走って帰り得意になって成績表を見せました。
一番でないと成績表にサインをしない、という父の言葉のお陰でいつも一番になるように頑張りました。

父はいつも「俺の息子は大きくなったら医者になるよ」と周りの人達に言っていました。
その時から私も医者になりたいと思うようになりました。

父が病気で病院に行く度に、お医者様達の姿を見て憧れ、いつか自分も医者になろうと決心しました。
だから毎年一生懸命頑張って勉強しました。両親も応援してくれました。

私は小学生から中学生に進み、だんだんと教育費が高くなります。
その為、父は休み無く仕事をしました。夕方帰宅すると、どんなに疲れていてもいつも私達に微笑んでくれました。
疲れたから痩せてきた父を見て胸が痛くなりました。
私は両親に早く楽をしてもらいたいので、その分頑張って勉強をしました。

私の家は屋根と壁はニッパ椰子で作られています。
夜暗くなると灯油が買えないので、家の前にある電柱の下で勉強しました。

そして私は中学の最終年8年生になりました。その年、父は過労で亡くなりました。
家族の大黒柱が無くなってしまいました。と同時に私の夢も壊れました。
私のことを一番応援してくれた父がこの世から去ってしまったのです。

進学は諦めるより仕方のない状況になりました。
私も母もとても残念でしたが仕方ありませんでした。

そんな時にMESOとの出会いがありました。遠く日本からMESOの支援のお陰で高校進学を支援して頂けることになりました。
この時の嬉しさは言葉では表現することは出来ません。
私の将来への夢も生き返りました。

私達の村は中学校まではありますが、高校はありません。船で町まで行き高校を通うか、町の親戚のところで泊まって高校に通うかした方法がありません。

今、私は愛する母、弟、先生たちと故郷の村を離れて自分の夢を叶えるため、町で勉強しています。

母はミャンマーの諺のとおり「支援を頂いたからには、きちんとこちらが頑張らなくてはダメよ」と教えてくれました。
私は両親、先生たちの言葉を忘れません。

私にとって恩人である両親、先生方、それてMESOの皆様のことを毎晩寝る前前に感謝を込めて拝んでいます。。

私は心の中でいつも「苦労している母、頑張らなくてはいけない私。周りの人達から蔑まされたり、軽蔑されることがないように、頑張ろう」と繰り返しています。

自分で自分のことを励ましながら、医者になるまで頑張ります。

MESO(ミャンマー教育支援機構)