虹の扉を開く

虹の扉を開く

身体・精神・心の健康

身体と精神と心(魂)は密接につながっている

この観点にたたないと偏りが生じる


現代は生活環境の変化が、非常に大きいため

旧来の東洋医学療法のみでは対応できない

対症療法の西洋医学のみでも問題が多い

進歩した医学とあふれる情報が逆に

「複雑な病」を創り出している


食養や精神面そして生き物の進化ということも含め

『身体と心の健康』をキーワードにしたブログ

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地球の半径は、約6300km

赤道全周囲 約4万km

地球は24時間で一周する。

 

地球の表面に乗っている我々は

自転にあわせて空間を移動している。

地球の自転速度は

4万km÷24時間=1667km/時

時速1600km

分速にすると 26km

秒速ならなんと、1秒で433メートルの移動。

 

遠心力で吹っ飛ばされないのは、引力のおかげ。

 

しかも、地球自体が太陽のまわりを1年かけて移動している。

この速度は1時間に10万km

 

地球は「ゴーーーッ」という

ものすごい音で動いているに違いない。

 

誕生日プレゼントとして
地球のまわる音が聞きたい。

お盆
死生観は少し異なるが
先祖や前世の連綿とした繋がりを想いつつ

江戸中期の禅僧 白隠慧鶴(はくいん
えかく)が遺された施行歌

 

今生(こんじょう)富貴する人は 前世に蒔きおく種(たね)がある

今生施(ほどこ)しせぬ人は 未来はきわめて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば 鈍なる人はみな貧か

利口で貧乏するを見よ


この世は前世の種しだい 未来はこの世の種しだい

富貴に大小ある事は 蒔く種大小あるゆえぞ

この世はわずかの物なれば よい種えらんで蒔きたまえ

種を惜しみて植えざれば 穀物とりたる例(ためし)なし

田畑に麦稗(むぎひえ)蒔かずして 麦稗とりたるためしなし

むぎひえ一升蒔きおけば 五升や一斗はみのるぞや

しかれば少しの施しも 果報は倍々あるものぞ

いわんや施し多ければ 果報も多しとはかりしれ

それゆえ釈迦も観音も 施しせよとすすめたり

 

さすれば乞食(こつじき)非人まで 救うこころをおこすべし

おのおの富貴で持つ宝 有れば有るほど足らぬもの

おおくの宝をゆずるとも 持つ子が持たねば持たぬもの

少しも田畑ゆずらねど 持つ子はあっぱれ持つものぞ

我が子の繁昌祈るなら 人を倒さず施行せよ

人を倒して持つ宝 我が子にゆずりて怨(あだ)となる

人の恨みのかかるもの ゆずる我が子は沈みきる

 

升(ます)や秤(はかり)や算盤(そろばん)や 筆の非道をしたまうな

常々商いする人も あまり非道な利をとるな

死んで三途に入ることぞ

その身は三途に落ち入って 屋敷は草木が生い茂る

非道は子孫の害となる 親の悪事が身にむくう

世間に数々ある物ぞ

 

一門繁昌することは 親が悪事をせぬゆえぞ

もしまた親に離れなば ますます重恩思いしれ

子を慈しむ親ごころ 荒い風をも厭いしぞ

それ程親に思われて 親を思わぬおろかさよ

おやに不幸な人々は 鳶や烏に劣りたり

むすめ息子をしつけるに 惜しむ宝はなきものぞ

親の後生の為ならば その金出して施行せよ

飢え死ぬ人を助けなば これに勝れる善事なし

 

たとい満貫長者でも 死んで身につく物はなし

妻も子供も銭金も 捨てて冥土の旅立ちぞ

冥土の旅立ちする時は 耳も聞こえず目も見えず

行方しらずに門(かど)を出で 暗き闇路に入る事ぞ

そのとき後悔限りなし とかく命のあるかぎり

菩提の種を植えたまへ

 

命は脆(もろ)きものなれば 露の命と名付けたり

今宵頭痛がしはじめて ついに死病となるもあり

強い自慢をする人も 暮れに頓死をするもあり

今日は他人を葬礼し 明日はわが身の葬礼ぞ

しからば頼みなき娑婆に 金銀たくわへ何にする

 

富貴さいわいある人は 貧者に施しせらるべし

貧者に施しせぬ人は 富貴でくらすかいもなし

狗(いぬ)でも口はすぐるぞや 飢人貧者を助くべし

慈悲善根はそのままに 家繁栄のご祈祷ぞ

慈悲善根をする人は 神や仏に守られて

天魔外道は寄りつかず 然れば祈祷になるまいか

よくよく了簡せらるべし

 

上(かみ)たる人をはじめとし 頭(かしら)立ちたる人々は

我も我もと共々に 厚く施行に身を入れよ

貧者の命救うなら 広大無辺の善事なり

平生貧者に敬われ 身につく果報あるまいか

人の食いもの捨つるのを 好んで拾うて食うものは

前世に蒔く種たらぬゆえ 是非なく袖乞いする事ぞ

 

かかるありさま見ながらも おのおの仁心起こらぬか

とにもかくにも人として 信心なければ人でなし

この節信心起こらねば まったく牛馬にことならず


今日は春分だった

昼と夜の長さが同じになる。

また今年はうるう年ということで

2月末に1日(24時間)が付加された。

 

日本では江戸時代まで1日を昼と夜に分け
それぞれを6等分して時間を表す不定時法が採用されており
夏と冬では昼と夜の長さが違うため、当然6等分された時間の長さは、夏と冬では異なった。

 

今年は「うるう秒」というのもある。

7月1日、午前8時5959秒と午前9時0000秒の間に

「午前8時5960秒」という「うるう秒」が1秒挿入される。

3年半ぶりの調整。

 

現代社会では、コンピューター内部の秒数を変更すると、様々なシステムが誤作動を起こす可能性も指摘されているが、「うるう秒」の存続か廃止かについての結論は先送りされている。

 

もともと、地球の自転と太陽の周りをまわる公転を分割して

創り出された「時間」というあいまいな概念

「うるう秒」の付加は、それと国際原子時計が計る標準時刻のズレを調整するためのものだが、正確な測定方法が、発達すればするほど問題が出てくる

 

アインシュタインは時間というものは距離をはかる単位であり、

物と物との間に存在する空間の相対的な関係、という認識をもっていたと思う。

 

時間の長さを計る基準は、
地球の自転・公転で決まる
「自然の時間」と、

極めて正確な原子時計が刻む
「人工の時間」の2種ある。

 

宇宙はビッグバン以降、超高速で膨張を続けている。

膨張が続く間は、「時」はどんどん伸びていく。

 

地球の回転と移動をもとにして考え出された「時間」という概念。

「時」というのはいったい?