万物に神が宿る・・・といわれている日本。
その日本の神話に、こういう話があるんです。


アマテラスが弟の狼藉三昧に怒り、天岩戸に篭ってしまった。

太陽の神様を失った世界は真っ暗になってしまった。

そんなときアメノウズメが岩戸の前で乳房をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。

・・・すると八百万の神がどっと笑った。


アマテラスは、つい天岩戸の扉を少し開けた。

隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

そして世界が再び、明るくなった。



・・・これって、実はお笑いの発祥そのものではないかと思います。
例えば吉本新喜劇のストーリーにおいては昔から、エロだとか色恋を、笑いにする、これ即ち日本人の文化ですね。

性の概念とは、一神教とそして、オールオアナッシングの発想を持つ海外では、下手すれば殺し合いに発展するコト。
国境を接する大陸では騎士が馬に乗って隣国に雪崩れ込み、土地を奪い女を陵辱しつつ、自分の妻を守る。
ただでさえ、「性」は殺し合いだった。
常識を国家単位で共有するようになった近代では、性のあるべき姿には己の生存権が掛かっていると言えるし、性には不安とか恐怖が付きまとう。結果エロは、すぐに抗議されたり潰されたり、またそれに対抗する概念として保守勢力に対する批判として性の解放を意図的に前面に押し出すギャグや風刺も発展し、それが時としてレッドパージの対象となった。
バックラッシュも激しく、宗教保守の活動家が車に踏まれながらも中絶反対を叫んだり、アメリカでは医師を射殺する。

欧米の「性」は、殺戮の中で揉まれてきたのだなぁ。

その点、日本人は、エロをお笑いにする土壌が有る。
笑いで苦悩や諍いすら、調停してしまう。
万物に神が宿る日本では、笑い飛ばすことそれ自体にも神が宿る。

現代の日本では、イケメン以上にお笑い芸人が女性にモテるそうです。
でも、これってただの「ブーム」なのかな?

・・・私は伝統的な民族性だと思うんです。

古来から「笑い」を与える芸術にはカリスマ性、即ち「神」が宿るのだと。
お笑い芸人さんに接してみてわかった。
人柄、そして見せてくれる世界の広さ、プロ意識、あの人達は間違いなく「神様」やと。

今日1日だけ、私は観客の側ではなく、神の側の領域を見せてもらえる。
私はプロではない。ただ1人のファンであるけれど、年に1日だけ限定で神の世界へ行くことができる。

そこはまたひとつの、あらたなる地平だと思う。


30歳・・・流行を嫌悪し、自由と堕落を憂い、時代を憎悪し、社会運動に傾倒し、狭い世界にいた。
そしてファッションへの目覚め、女装、ロリィタ、神戸コレクション、浜崎あゆみのツアー、踊る英会話教室、プロの芸人さんとの出会い・・・偏狭な「あの頃」なら、全てムキになって否定したことばかりだった。

30歳から6年間もの、自分を取り戻す旅。
私は何者であるのかが少しずつ、わかりはじめた。

いま、またひとつの「今という時代」の中心地へ誘われる。
そこにあるのは、まぎれもなく・・・神々の領域。

本当に、遠くまで来たと思う。





湾岸MIDNIGHT(楠みちはる)・36巻 94話から。

「今の時代に生まれた、今の考えのモノ、
 それと一緒に歩いてい
くリアル感・・・」