もしも私がグルっぽを作るとしたら、
『全国片思い連絡協議会』
《葉隠 聞書第二》
この名で開きます。
テーマは、
片思いは尊い
つまり、
恋の至極は忍恋と見立て候。
逢ひてからは恋のたけが低し、
一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。
逢ひてからは恋のたけが低し、
一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。
これがその思いに至った元の思想ですが、特にハイティーンの恋愛などは自身も相手も人格者な訳など無く、突き進んだあげく失敗、今の思いをぶちまける的なブログあまたあれどと言った状況でして、
私めといたしましては、片思いの尊厳を広く世に認め、両思いの果ての不幸を減らすべく、このグルっぽを作成したい所存であります。
私は思うのだが、思春期の恋愛なんてものは、両思いになることにその意義は無く、片思いによって相手への幻想を高めていくことが大事なのではないだろうか。
そうして思いのトレーニングを積んだ後、一生の片思いの対象を見つけ出すべきではなかろうか。これは異性のことではなくて、一生を通して大切にすべき——下世話な言い方ではお金よりも大事な——価値を見いだすことこそ人生の要ではないだろうか。
そしてその価値との両思いを夢想し、生きていくべきではないのだろうか。
私にもかつて、ほんのひととき、芸術と結ばれたと思われたことが確かにあった。それはそれは素晴らしい、我が人生の頂点であった。
私めといたしましては、片思いの尊厳を広く世に認め、両思いの果ての不幸を減らすべく、このグルっぽを作成したい所存であります。
私は思うのだが、思春期の恋愛なんてものは、両思いになることにその意義は無く、片思いによって相手への幻想を高めていくことが大事なのではないだろうか。
そうして思いのトレーニングを積んだ後、一生の片思いの対象を見つけ出すべきではなかろうか。これは異性のことではなくて、一生を通して大切にすべき——下世話な言い方ではお金よりも大事な——価値を見いだすことこそ人生の要ではないだろうか。
そしてその価値との両思いを夢想し、生きていくべきではないのだろうか。
私にもかつて、ほんのひととき、芸術と結ばれたと思われたことが確かにあった。それはそれは素晴らしい、我が人生の頂点であった。