沖縄プロレス・めんそ~れ親父のブログ

沖縄プロレス所属、国際通りの変なおじさんことめんそ~れ親父のブログです。
ニヤニヤしながらすぐに忘れる位さらっと読んでいただけたら幸いです。

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世間とは広いようで狭いものである。


沖縄に住み始めてからのここ四年ほどは特にそれを痛感する。

まあ面積で言うと沖縄本島は北海道の70分の1程度しかないので、本当の意味でも広くは無いのだが。


しかし沖縄においてその狭さを痛感するのは、面積以上にその横の繋がりなのである。


うちなー(沖縄)の精神は『ゆいまーる(助け合い)』『いちゃりばちょーでー(一度会ったら兄弟)』の言葉に凝縮されている。


旅行で沖縄を訪れたことのある方ならきっとご理解いただけると思うが、うちなーんちゅ(沖縄県民)は普段は意外とシャイなのだ。

話しかけてもそっけなかったり、中々目を合わせてくれなかったりすることも多いが、一度泡盛を飲むとそれが180度変わる。

親身に人の話を聞いてくれるし、そしてよく話す。

同じ苗字が多い為かファーストネームで呼ぶことが多いのもまた一層距離を縮める。


先ほどの『ゆいまーる』『いちゃりばちょーでー』は、そこから始まるのだ。


酒に酔い、陽気に歌い踊る姿はメキシコ人のそれと重なる。

時間にルーズなところまで(笑)。


これは表現として『狭い』ではなく『濃い』と言った方が正しいのかもしれない。


そしてここに述べたのは血縁以外の繋がりだが、血縁的な繋がりもこれまた多い。



~続く
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~続き


夢見る僕と担任じっこの間には、常にピリピリとした空気が漂ったままどんどん高校時代は過ぎ去っていく。


結論から言うと、学生時代に僕とじっこはわかりあうことはなかった。


卒業間近にはこんなこともあった。

大体どこの高校でもそうだと思うが、入試が一段落した頃になると自分の進路を学校に報告しなければならない。


当時の闘龍門JAPANは入門テストがなく書類と面接だけだったものの、合格通知が来た時は本当に嬉しくて、進路を記入するプリントに誇らしげに『闘龍門JAPAN』と書いた。


もちろんそのプリントは学校のデータになるのだが、それに加えわが母校では卒業式前くらいから校内のエントランスホールにでかでかと全員の進路が掲示される。


その中で僕の進路だけが掲示されなかったのだ。

大学、専門学校に混じってその中に『闘龍門JAPAN』の文字が貼り出されるのが楽しみだったのだが。

劇団四季の養成所に入所した同級生はちゃんと掲示されていたので自分だけが認められていない気がして悔しかったのを覚えている。


この時またも僕はポッキーを…(以下略)。


そして卒業を迎え、闘龍門JAPANに入門。
諸事情により半年経った時点で一旦地元に帰ることになるのだが、その後の上京、渡墨の折にも何だかんだと顔を合わす機会があり、すぐに諦めると思っていたじっこは僕の意外な粘りに根負け。


ついに一昨年には息子さんとともに函館からわざわざ沖縄まで来て沖縄プロレスを観戦してくれた。

お互いのポッキーはもはやカプリコの様に丸くなっていた。


観戦してくれた時の嬉しそうな顔は今でも忘れられない。


十年間ずっと気に掛けてくれているじっこ。


沖プロ観戦の際、地元の新聞に投書するから取材パスで無料で入れてくれないかな?とたずねて来たじっこ。


僕たちの卒業とともに定年を迎え、僕たちが卒業式中にサプライズでじっこの卒業式を行ったら感動して泣いていたのに、翌月からも講師として普通に授業をしていたじっこ。


授業中にはいつもスーツの袖で鼻水を拭いていたじっこ。


じっこ。

恐らく僕にとってじっこは何年経ってもグレートティーチャーだ。



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先日おきなわマラソンで再会した坂元先生のご子息と。


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続き~

高校時代の担任・坂元先生(以降『じっこ』)の息子さんとおきなわマラソンで再会を果たした。

以前にも書いたと思うが、僕がプロレスの道を志したのは高校一年の終わり。

最初は中退して闘龍門に入門しようとした所、親から高校だけは卒業して欲しいと言われ、プロレス入りにも何だかんだで経費も掛かったのでそこは親の意見を尊重することにした。

しかしながら授業にはあまり興味がなかったので、出席日数も卒業できるギリギリのライン出ておけばいいやという何とも世の中を甘く見た考えになっていた。

そんなこんなで問題児…とまでは行かずとも、手のかかる生徒を一人、静かに定年を迎えたいはずのじっこは抱えてしまったわけだ。

当時の僕も高校生なりに夢や信念を抱いて行動していた。

学校外でのテコンドーや体操教室の練習だったり、地元メディアに取材をしてもらったり、知り合いの夜のお店に行って人脈作り(もちろんアルコールは口にしない。)だったり…。

今となってはその縁も経験も本当に役に立っているが、学生は学業を最優先とすべきだという観点から見るとちょっと違っていたかもしれない。

そういうわけでポッキーくらいに尖っていた十代の僕とじっこはよく意見がぶつかっていた。

ある時はこんなことまで言われたことがある。

「軍隊が戦争をする時には最高のシチュエーションと最悪のシチュエーションを想定してから戦争を始める。君がプロレスに入門するとして、最高のシチュエーションを想定したとしてもレスラーになるのは到底難しいんじゃないか。」

今だからこそ笑えるが、当時はポッキーを突き刺してやりたいくらいに腹が立った。

年代的にもプロレスの黄金時代を知っている世代なので、まあ真っ当な意見と言えば真っ当な意見だが何も60のおっさんが十代そこそこにそんな大人気ない言い方をしなくてもいいんじゃないかともやっぱり思う。

まあその辺りの発言も含め、じっこの存在は夢への良きロイター板となってくれたが。

~続く



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色々な方と知り合う中で紹介してもらった同じ函館出身の先輩レスラー・黒田さんと撮った高校生時代の一枚。

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