平泉寺白山神社 (福井県) その1 | こんなの食ったし、こんなの見たよ。

平泉寺白山神社 (福井県) その1

永平寺を参拝して、名物のゴマ豆腐を買い求めましたので、次の目的地にゆきますよ(^ω^)

車を走らせドンドン進んで行きます





途中には予定していた城見学があるのですが…時間がないな(>_<)
模擬天守だし、天守内資料館の資料をじっくり見る間もないし…

どうしようか悩みながら進んで行くと、城が見えましたねぇ

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休館日ですか(苦笑)

では、後ろ髪を引かれる事もなく先に進みますよ

城から直ぐ先、目的地があるんですけれども
カーナビが変な場所を指していますねぇ(>_<)


山道をドンドン進んで…これでは村廻りの仕事と一緒だなぁ ショック!

カーナビの指示通り砂利道をゆくと、行き止まりになっちゃいましたよ
地図上では目的地が山の向こうですなぁ(苦笑)

仕方がありません、山の中に駐車するスペースがありますから、こちらに駐車させていただいて、歩いて向かいますか

車を駐車して歩いて行くと…

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

こんな場所に出ましたよ

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

発掘調査をしているようですねぇ
中世の石畳を進んでみますか(^ω^)

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

ドンドン進みますよ~

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

あれま得意げ
こんな場所に出ましたねぇ

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

右を見ると、こんな感じ
年輩の方々が、発掘調査に精を出されていますね

今回訪ねたこの場所は、国の史跡 白山平泉寺 ですよ
現在は、平泉寺白山神社のみ残っていますが、中世の時代にかけて一大宗教施設として栄華を誇った場所ですね

最盛期には、四十八の社と三十六の堂、六千の僧坊があったと伝わっていますね
ここの僧には、東尋坊 に突き落とされてしまった暴れん坊の僧「東尋坊」も身を置いていた場所ですよ

栄華を誇ったこの寺院も、越前の国は「百姓の持ちたる国」、一向一揆によって焼き討ちを受けて衰退してしまったのですねぇ

そんな歴史の舞台も、今は田畑になっていますね

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

おっ !!
この辺りもイノシシが出るのですねぇ

電気柵が設置してありますなぁ…って、村廻りの仕事をしちゃった(苦笑)

発掘現場と田畑を見ながら道無き道を進むと

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

こんな場所に出ました

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

目的の場所に着いたようですねぇ

ここが、現在も残っている平泉寺白山神社
この参道は、木々と苔が見事で「道百選」にも選ばれている場所ですよ

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

参道の途中に出てしまったようですので、二の鳥居から参拝ですねぇ

鳥居をくぐると

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

拝殿が見えました(゚∀゚)
この拝殿は、1795年越前藩主によって寄進された物ですが、中世の頃は有数の大きさを誇る立派な物だった事が、礎石から伝わっていますね

そんな拝殿の脇を進むと…

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

伊弉冉尊(イザナミの命)を祀る本殿が見えました(^ω^)

この本殿には

こんなの食ったし、こんなの見たよ。
 

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

こんな竜の彫り物がありますよ ラブラブ!

本殿向かって左側には

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

大国主命
大国主命は、大黒様としても祀られていますね

そして、本殿向かって右側には

こんなの食ったし、こんなの見たよ。

天忍穂耳命(アメノオシホミミの命)
この神様は、アマテラスの長子で「稲穂の神」「農業の神」ですので、村廻りの仕事を生業にしている自分は、一生懸命祈願しますよ

(-∧-) 実り豊かなれ~


まだまだ続く、無茶な設定の旅

平泉寺白山神社が続きますよ…続く