雑感 | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

或る謝罪


五月晴れまくりで、洗濯はどんどん乾くし、衣替えにはうってつけ。
しかし私のようなモグラ生活者にはとてもしんどい陽気です。今日も頭痛でぼーっとしています。この辺の小中学校では運動会は五月に行われています。秋に行事が多過ぎるからだそうです。確かに、文化祭やバザーやお祭りや試験など年度の中間を過ぎると盛りだくさんですから。うちは長男が6年生になり最後の運動会です。今年から人間ピラミッドは事故多発で全国的に廃止です。徒競走が苦手な子は、表現ダンスと騎馬戦が見せ場になります。騎馬戦は都会の子も闘志むき出しで、戦国時代みたいな兜かぶって戦っていました。女子も凄かったです。騎馬戦に勝つには、下の馬の人が強くないとダメだと良くわかりました。優勝チームは重量級の馬役が押しに押して圧勝していました。

少子化だなんだといいながら、都心に近いベッドタウンの小学校は、4~5クラスあって、全校生徒が700人以上いるので、自分の子がどこで出ているのか、もう全然わかりません。
今年は広報委員会のカメラ係だったため、画になる他人の子どもばかり映してました。
これも、個人が特定できると犯罪と個人情報の問題で、微妙な撮り方です。体操着の名前も、編集段階で全て消します。どうしてまあこんなに気にしなくちゃいけないんだろう?
とは思うのですが、現実に子どもが犯罪に巻き込まれるから、PTAの広報紙でも用心に用心です。変質者を変質者として疎外するのもまた良くないんですが、老いも若きもこの社会は本当に病んでます。
こないだ国立劇場で観劇の時、80近いであろう御年寄りが指定席が気に入らず、既に幕が開いているのに、案内の女性に暴言を吐きまくり、鳥屋口の自分の好きな場所に座りなおしていました。馬鹿!と悪態をついてののしる声が響いて客席は凍りついてました。幕間になればその人は相好を崩して芝居を喜んでいましたが、仕事とはいえそういう罵声を浴びせられる案内係は気の毒です。罵声というのは公の場所であるべきものではありません。社会のタガが外れているのか、いい年をした大人が現実でもネットでもそういうことをする時代です。

運動会、炎天下で使命感に燃えて応援団は6時間近く声を枯らしてチームを応援していました。拷問のようにというか、子どもでなければ出来ない芸当です。高学年は勝っても負けても充実感がありよい思い出になるのでしょう。入学したばかりの1年生や2年生は本当に苛酷で、忍耐力の運動会です。昔は私も「こんな炎天下で無駄だ」とか思ったりもしたけど、それを観ていた未熟な親の忍耐力がこの六年間で育ちました。そして公立保育園の先生方は各学校を回って卒園児を応援してくれます。公務員でなければできない余裕なのかもしれませんが、有り難いとはこの事だと思い知るのが運動会です。

5年前、長男が一年生の時、運動会の鉢巻きを縫いつけた赤白帽や持ち物を、ハサミで誰かに壊され大騒ぎになりました。その時の運動会は緊張とストレスでよい思い出ではありませんでした。それは憶測が憶測を呼んで全校保護者説明会まで開かれる事態に発展しましたが、運動会の後にやった子どもが親御さんと一緒に名乗り出たので無事に解決しました。その頃の学校では高学年にイジメ事件が多数あったのですが、私が騒ぐまでそれは水面下で表に出すものではなかったようです。しがらみを感じない私やクラスのPTAのお母さん達の協力で他のイジメ事件も明るみに出ていきました。どうやら私はしばらくの間、保護者のミクシィではクレーマーとされたそうですが、本当に人つき合いをしない私は知らぬ顔を決め込んでいられたのです。うちの場合は、当事者の子どもどうしにそれをする「直接的な理由がなかった」事が大人の頭を混乱させました。やった方もやられた方も、その原因を考え続けて長く尾を引いたのです。今、理解できることは、誰しも成長の段階でアンバランスな時期が子どもにはあるということだけです。そして当時、過分なほどその親御さんに謝罪していただいたことで、私は次第に忘れてしまっていました。

 どちらかというと、その事件でのカウンセリングをきっかけに長男の軽度の発達障害の療育が始まり、二年ほど小児精神科や通級に通う事になったのが苦しい思い出でした。長男は著しくマイペースでしたが、担任の先生に恵まれ4年生を過ぎる頃から、一応、配慮もできるマイペースな人になりました。でもしょっちゅう道には迷うし、忘れ物は無くならないし単純記憶はからっきしダメです。でもまあ、道に迷ったら交番に駆け込むし、知らない人に話しかけるのが得意だし、担任にも愛されて何とかなるもんです。

 今年の運動会で当番の係をやりながらウロウロしていた時に、あるお母さんに呼び留められ、振り返って顔を見た瞬間、彼女は泣いていました。そして「御蔭様で六年生になれました。〇〇君は楽しく通えましたか?」と言うのです。彼女は自分の子どもがした事を気に病み、私に詫び続けて六年目の運動会を迎えたのです。びっくりして「そんな!もう全く本人は忘れていますよ」と言うと、お互い涙が出てきてしまいました。しばらく会話して別れましたが、子どものした事を背負って六年過ごし詫び続けた母親の誠実さに平伏しました。私には自分の子どもが何かした時にあそこまで謝り続けることはできないでしょう。やった本人の所為だとどこかで逃げるように思います。
私が忘れてしまえたのは彼女の御蔭だと思い当たりました。謝罪というものは尊い行為で、宗教だの道徳だの、そういうもののはるか上に謝罪があるのでしょうね。