アンドロギュノスと愛の起源 | Melo's Bar 面白記事ほぼ毎日配信中

Melo's Bar 面白記事ほぼ毎日配信中

ブログの説明を入力します。

ブラウザいっぱいに表示します


お互いに好きなのに別れなければならない切ない心情を歌い上げた navy & ivory の「恋人」は、聞くたびになんともやるせない想いに包まれてしまいます。


それにしても、人はなぜ、誰かに恋をするのでしょうか?


ひとつの恋が終わるとき、相手も自分も深く傷つき、もう二度とこんな想いはしたくないと切実に願うのだけれど、時が経つと、いつのまにかまた新しい恋をはじめずにはいられません。


もちろん恋をすれば人を愛するときめきや、人に愛される喜びには満たされます。
けれども、それ以上に再び傷つき、辛い思いを重ね、眠れない夜を過ごすことになることもわかっています。
それなのに、誰かを好きになる気持ちを、止めることができません。


人はなぜ、誰かを求めずにはいられないのでしょうか、その問いに、実はギリシャ神話が応えてます。



ギリシャ神話が伝える愛の起源

アンドロギュノス

太古の昔、人間は今とは違う姿をしていたそうです。


人の姿は球形で、四本の手と四本の足をもち、互いに反対側を向くふたつの顔の上に、ひとつの頭がのっていました。

耳は4つ、性器はふたつでした。


性も3種類に分かれていました。

男と男がくっついた種族、女と女がくっついた種族、そして男と女がくっつき両性を備えた種族の三つです。


この両性を備えた種族のことを「アンドロギュノス」と呼びます。


男の種族は太陽、女の種族は大地、両生を備えた種族は月に由来していました。


この三種類の人間たちは、力も強く態度も傲慢で、たびたび神々に反乱を企てるため、神々は困っていました。


人間を滅ぼすことは簡単でしたが、そうなると捧げ物が届かなくなるため、神々にも都合が悪かったんですね。


そこで最高神のゼウスは、人間の力を弱めるため、人間を一人残らず真っ二つに切断することにしました。


ちなみにギリシャ神話に出てくるゼウスという神様は、とんでもなく横暴で、わがままなんですね。


人の女房だろうと自分の娘だろうと少年だろうと、片っ端から関係を強要するという、どうしようもなくデタラメな神様なんです。


欲しいものは力ずくで、誰かが泣こうがわめこうが知ったことかと奪いとり、気に入らないものは完膚なきまでに叩き潰す神様ですから、勝手に成敗される人間たちは、たまったものではありません。


ゼウスの降らせた激しいイナズマが、すべての人間の身体をふたつに切り裂きました。


するとどうなったでしょうか?



「さて人間の原形がかく両断せられてこのかた、いずれの半身も他の半身にあこがれて、ふたたびこれと一緒になろうとした。そこで彼らはふたたび体を一にする欲望に燃えつつ、腕をからみ合って互いに相抱いた」



『饗宴』 プラトン著 久保 勉著 岩波文庫80項より引用

これまで二つの身体が合体していた人間は、もうそれだけで完全な存在でした。

自分一人で、陰も陽もプラスもマイナスも、すべてが完結していただけに、誰かを求める意識そのものがなかったんですね。


だから「愛する誰かを求める意識」なんてものも、なかったわけです。


つまり「愛」が生まれる前の世界です。


ところが、真っ二つに切り離されたことで、人は誰もが不完全な存在になってしまいました。


それ以来、すべてが満たされていて幸せだった元の姿に戻りたくて、人は切り離されてしまった自分のカタワレを求め、さまようことになります。


これが「愛の起源」なのだと、プラトンがエロスについて書きあらわした「饗宴」のなかで綴られています。


四本の手足と二つの顔をもっていたときの人間は、「愛」という観念を知らなかったわけですね。


でも、切り離されたことで、人は誰もが、もう一人の自分のカタワレを探してはさまよい、「愛しい」という気持ちをはじめて知ることになります。


元がアンドロギュノスだった人は、異性のなかにいる片割れを求め、男と男・女と女がくっついていた人は、それぞれ同性のなかにいるカタワレを探し求めることになります。


ヘドウィグと怒りの1インチ


これらアンドロギュノスをめぐる物語を、そのまま歌詞にした歌があります。


アメリカで記録的な大ヒットとなった舞台劇が映画化された「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のなかで、使われている名曲です。


ブラウザいっぱいに表示します


歌詞の一部を引用してみましょう。


Origin of Love (愛の起源)


転がる樽のように 人は地を這ってた

腕が2組脚も2組 大きな頭に顔が2つで


周囲がぐるりと見渡せた

読みながら話もできたけど

愛は知らなかった

まだ愛が生まれる 前のこと・・・


人には3つの性があった

男と男が背中合わせ その名は「太陽の子」

それと似た形の 「地球の子」は 女と女が背中合わせ

そして「月の子」は フォーク・スプーン(男の女の組み合わせ)

太陽と地球 娘と息子の中間・・・



しかし、力をつけた人々を神は恐れ・・・

地上に稲妻が放たれた

ナイフの刃のように

それは体を引き裂いた

以来 自分の失った「カタワレ」を求めてさまよい、

そして 出会ったときに 芽生える感情
それが「愛」



出会った2人は

どうにか 元どおりに ひとつになれないかと

けんめいに 抱き合い 愛を交わした

それがセックス メイクラブ



昔々の冷たく 暗い夜のこと

天の支配者の手によって

人は寂しい 2本足の生き物に・・・



それは悲しい物語

愛の起源の物語

愛の起源


ロックなんだけれども、ドラマチックなメロディラインとあいまって、不思議な世界観に引き込まれる曲ですよね。


ギリシャ神話を元に、身体が真っ二つに切り裂かれたことで、はじめて愛が生まれ、互いを求めてさまようになった様子が、ドラマチックに語られています。


「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」は、オフ・ブロードウェイで上演されるやロングランを記録し、マドンナが劇中歌の権利使用を申し入れたり、デヴィッド・ボウイがグラミー賞授賞式をすっぽかして観劇に出かけたりと数々の伝説を残し、一大ブームを引き起こしました。


日本でも2012年に森山未来を主演に迎え、大根仁の脚本で公演されました。


「アングリーインチ」とは、ヘドウィグが性転換手術を受けた際に、見事に失敗してしまい、股間に残ってしまった「怒りの1インチ」のことを指しています。


ヘドウィグ少年は、アメリカの軍人と恋に落ち、アメリカに渡るものの、あっさりと捨てられ、絶望のなか昔からの憧れだったロック歌手を夢見てバンドを結成します。


そして、17歳の少年トミーに恋をし、今度こそ自分のカタワレに巡り会えたと喜ぶのですが、元は男だったことがばれ、またしても捨てられます。


しかも、ヘドウィグの作った曲を持ち逃げしたトミーは、その曲でロックスターへと瞬く間に登り詰め、ヘドウィグは傷つくばかり。


それでもヘドウィグは信じ続けます。


自分のもう一人のカタワレがどこかにいて、きっと自分を待っているに違いないと・・・。



私やあなたが一人でいることが淋しく、誰かを求めずにいられないのは、遠い昔に失われたもう一人の自分を探しているからなのでしょうね。


この人はと想い飛び込んではみたけれど、残念ながら別れてしまうこともあります。


でもそれは、その人が自分のカタワレではなかっただけのことです。


この世界にただ一人、あなたのカタワレである誰かが、どこかにいます。


その運命の人に巡り会うために、私たちは長い旅を続けているのかもしれません。


あなたは自分のカタワレに、もう出逢えたでしょうか?