58でご紹介した、日本経済新聞の石山修武先生の文章を、日経新聞様の許諾および、著者の許諾を得て、ご紹介させていただきます。

(日本経済新聞3月28日)32面より

※これは許諾を得ています。




世界一の港町――建築家石山修武氏


1980年代の終わり頃、宮城県気仙沼市に「世界一の港町をつくる会」なるものが生まれた。もともと市民活動の盛んな土地で、その中心になっていたのは遠洋マグロ漁業に携わる船主などである。

 港に遊歩道をつくろうか。講演会に呼ばれたのがきっかけで気仙沼の町づくりにかかわっていた私がそう提案すると、船主の一人、臼井賢志さんが言った。街路樹の苗木は自分たちで用意したい。そのために「世界一の貯金箱」が欲しい。

 波に踊るマグロにエビス様がまたがっているという、とんでもない意匠。全長7メートルにもなる貯金箱など出来っこないさ、とたかをくくっていたが、意気に感じた群馬県の左官職人がセメントで本当につくってしまった。

 巨大マグロを港に置いたその日から、大きく開けた魚の口に子供たちが小銭を投げ入れ、男たちがハンパでない額のお金を押し込むようになった。こうして出来上がった「海の道」は文字通り、気仙沼の宝になった。近所のおばあさんたちが冬の間、街路樹の木々にセーターを着せていたわった。港に据え置かれたマグロは、その後も長く港を出入りする漁船を見守ったのである。

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 太平洋に突き出た唐桑半島には「唐桑臨海劇場」をつくった。宮城県唐桑町(現・気仙沼市)の小鯖と呼ばれる小さな漁港を訪れた時、廃屋になっていた木造のカツオ節工場を見て、思った。これは劇場になる!

 町の歯科医、佐藤和則さんの呼びかけで、漁師の家にしまい込まれていた大漁旗が大量に集められた。好漁に沸いた年、沈没しかかった年――。漁船の長い歴史が記された80枚ほどの旗が体育館に敷き詰められ、女たちが総出で縫い合わせた。これを工場の脇に大看板のように掲げ、夏の盛りの3日間、祭りが繰り広げられた。

 最初の年にはプロの劇団が公演にやってきたが、翌年からは佐藤さんや実行委員に名乗り出た100人の若者が自ら劇に参加。手作りいかだレースや和太鼓コンサートなどをてきぱき企画し、準備した。「自分たちでできるから、石山さんは来なくていいよ」。そんな彼らの冗談に「まあ、そう言わないでくれよ」と返しながら、頼もしいなあと感じていた。

 半農半漁の町はにわかに活気づいたが、唐桑臨海劇場は資金難もあり6年で廃止。けれども、スピリットは確実に引き継がれた。佐藤さんは町づくりの団体を設立。日本のこの種の運動の先駆け的存在となり、後には唐桑町長に就任した。役場前にバリケードを築き、劇場廃止に反対する「なんでやめるんだ集会」を開いた小学生の多くは、やがて職を求めて町を去ったが、町のために居残って役所に勤めた子もいると聞いている。

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 東京生まれの岡山育ち、「陸(おか)の人間」である私にとって、気仙沼で見聞きするものは何もかもが目新しかった。東京―焼津間に近い150キロメートル以上のはえ縄を引き、アフリカのカナリア諸島や北米・南米の沖合まで出かけていく漁師たちは赤裸々で正直、「げた履きの国際人」である。世界中の海の民の暮らしぶりや経済感覚について、まるで自分の庭での出来事のように語るのを、酒を酌み交わしつつ何度聞いたことだろう。

 彼らは合理主義的なビジネスマンでもあった。海流や気候の変動、国際政治や金融情勢が生活と直結しているので、常に風向きを読み、最大の利益を生む漁場、水揚げをする港やマーケットを決める。そんな才能を持ち、世界にアンテナを張り巡らせたエース級の船頭が港を出ると、近隣諸国の船が急いで後を追ったそうだ。臼井さんがその「スーパー船主」の最後の世代の生き残りであったことを、私は最近になって初めて知った。

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 私が気仙沼と付き合ったおよそ四半世紀の年月は、漁業の衰退と軌を一にしていた。数え切れないほどの市民集会に加わり、のべ千人単位の住民と顔を合わせ、町づくりの方策をあれこれと考えたけれど、港の活気が失われていくのを止めることはできなかった。その大きな要因は、日本の政治の怠慢にあったと私はいま思っている。そして3月11日、弱体しきった町に大地震と津波が襲いかかった。

 私が設計した美術館は被災し、消失したものもある。しかし、それは今は後回しにすべきだろう。モノはいつか消える運命なのだから。最も重要なのは、町の長い歴史の記憶を宿し、これから、再び、あの共同体をつくり上げることができる「人材」なのである。

 臼井さん、佐藤さん、そして気仙沼で出会った老人や若者、子供たち――。「あのスピリットを思い起こそう。起(た)て、気仙沼! 起て、唐桑!」。いつも憎まれ口をきく彼らにそう言いたいけれど、とても無理だ。今はただ生きていてほしい。そう願う。


いしやま・おさむ 建築家。1944年生まれ。代表作に幻庵、伊豆の長八美術館(吉田五十八賞)、リアス・アーク美術館(日本建築学会賞)。著書に「生きのびるための建築」「建築がみる夢」など。早稲田大学教授。