7月1日、水沢競馬場で「メイセイオペラ記念碑除幕セレモニー」が行われました。

 
小野寺明子オーナー、主戦騎手を務めた菅原勲調教師、担当厩務員の柴田洋行さん、パドックで柴田さんと共にオペラを曳いていた川嶋学さん。
そして高橋さゆりさん(生産者・高橋啓さんの奥様)と、佐々木由美子さん(故佐々木修一調教師、の奥様)らの手によって、記念碑がお披露目されました。
 
 
除幕後、柴田さんの手によって、オペラのたてがみが記念碑に納められました。
「水沢競馬場に、メイセイオペラが帰ってきました」と、司会の加藤久智アナウンサー。
県内外から駆け付けたファンから、あたたかい拍手が送られました。
 

記念碑の表面には、「水沢の英雄メイセイオペラ」という文字と共に、競馬ブックさんに提供していただいたフェブラリーステークスのゴール写真を、〝影彫り〟という技法で彫刻しました。
 

提供:競馬ブック

こちらは元の写真。とても忠実に彫り込まれています。
記念碑の制作は、小野忠石材店さんにお願いしました。
 
 
記念碑の裏面には、オペラの顔(森内智也さんが撮影した写真を元に彫刻)と血統表、35戦の競走成績を刻みました。
主な勝ち鞍に絞る案もあったのですが、敗戦を糧に強くなっていった過程を伝えようと、全成績を刻むことに。
それに伴って、記念碑のサイズは大きくなりました。
 
 
みんなで作った記念碑です。

そして小野寺オーナーから、フェブラリーSの優勝レイと、優勝時にメイセイオペラが装着していた蹄鉄が、岩手県競馬組合に貸与されました。
今後、優勝レイと蹄鉄は、盛岡競馬場で展示されます。
◆7月15、16、17日の3日間は、盛岡競馬場アトリウム2階で開催中の「メイセイオペラ特別展」で展示
◆7月22日以降は、盛岡競馬場1階の走路側特別展示ブースで展示
 
「記念碑建立のお礼に」と、大切な優勝レイと蹄鉄を、ファンがいつでも見られるようにしてくださった小野寺オーナー。
本当にありがとうございます!
 
 
除幕セレモニーの司会を担当していただいた、IBCの加藤久智アナウンサー。
セレモニーの内容や流れまで、考えていただきました。
加藤アナは岩手競馬のことを、ずっとあたたかく見守って来られた方です。
もちろん、メイセイオペラのことも。
 
こうして、みんなの想いが詰まった記念碑が、メイセイオペラの一周忌にあたる7月1日に、完成にたどりつきました。
ご協力いただいた皆様、活動をサポートしてくださった方々に、深く御礼申し上げます。
そしてメイセイオペラにも、感謝を伝えたいです。
名馬の力を、競馬を伝えることの意味を教えてくれて、ありがとう。
(事務局・井上)
 
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英雄の忘れ形見

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オペラに似てる。すごく似ている。
 
先月、韓国に行ってきました。
韓国競馬に精通する牛山基康さんに案内していただいて訪ねたのは、ソウル近郊の利川市にあるソンス牧場。
メイセイオペラが亡くなるまでの1年半を過ごした牧場です。
 

ソンス牧場には、たくさんのオペラ産駒がいます。
1歳馬12頭のうち9頭と、生まれたばかりの当歳馬3頭。
メイセイオペラは最後まで、種牡馬として生き抜きました。
 

今年4月11日に生まれた男馬。最後の最後のオペラっ仔です。
オペラの栗毛や流星を受け継いだ産駒ばかりで、オペラの遺伝力に驚きました。
なかでもこの仔はそっくりです。
 

左は当歳時のオペラ。やっぱりそっくりだー!
 

メイセイオペラが韓国に遺した子どもたちに関する記事が、「うまレター7月号」に掲載されています。
うまレターは競馬場や場外馬券売り場で配布されているフリーペーパーです。ぜひご覧ください。
 
「最後は日本で余生を送ってほしかった」という想いが、心の奥でずっと疼いていました。
だけどオペラによく似た子どもたちの姿を見て、霧が晴れたような気持ちになりました。
メイセイオペラは私たちに、忘れ形見のデビューという楽しみを遺してくれた。
異国で血を繋いだオペラに、感謝しかないです。
 

ありがとう。やすらかに。
 

どうかどうか、晴れますように。
7月1日(土)最終レース終了後の「メイセイオペラ記念碑除幕セレモニー」まで、あと1日!
(事務局・井上)
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オペラが教えてくれたこと

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メイセイオペラがフェブラリーステークスを制した1999年。
私は当時、中央競馬と地方競馬の違いを、まったく理解していませんでした。だから「岩手に競馬場があるんだな」と思ったくらいで、ちっともわかっていませんでした。
偉業の意味を知ったのは、ずっとあとのことです。
 

(撮影:森内智也さん)
 
地方の馬が初めて中央GIを勝つ興奮を味わいたかったなあ。私もイサオコールをしたかったなあ……と思いながら各地をめぐり、「いつかメイセイオペラのような馬を追いかけたい!」という願望を抱いて、馬券を買ったり取材したりしていました。
だけどオペラの功績がまぶしくて。
追いかけても追いかけても届かない、遠い存在でした。
 
2011年3月11日。東日本大震災が起こりました。
四国にいた私は、ただ呆然とテレビを見ていました。
 
地震発生から3週間後の4月3日。韓国から知らせが届きました。
釜山競馬場で、ミスターピンクこと内田利雄騎手が、ソスルッテムンという馬に騎乗して、韓国版皐月賞(KRAカップマイル)を制したというのです。
 

(撮影:KAR韓国馬事会)
 
ソスルッテムンはメイセイオペラの韓国における初年度産駒です。
東北が悲しみに包まれている今このとき、メイセイオペラの息子が、岩手で何度も短期騎乗した内田騎手を背に、韓国で初めて重賞を勝った……。
 
「韓国で初めて重賞を勝つことができました。感無量です。メイセイオペラの子供で勝てたことが、なにより嬉しい。厳しい調教に耐えてくれた馬に、感謝しています。岩手競馬のみなさんに、よろしくお伝えください」(内田騎手)
 
オペラが自分によく似た息子の背中を押して、東北の人々にエールを送ったような気がしてなりませんでした。
オペラ産駒の快挙を岩手の人に、東北の人に伝えようとすることで、無力感で身動きが取れなくなっていた私は、ずいぶん救われました。
 
 
2014年の春、菅原勲調教師と、韓国・済州島のプルン牧場を訪ねました。
すぐに心を通わせて、鼻面と頭をくっつけてじゃれあうふたり。
「元気に過ごしているオペラに会えて、本当に嬉しい。自分も元気をもらいました」
勲さんはそう言って、8年ぶりの再会を喜びました。
 

ソンス牧場にて(撮影:木村良明さん)
 
昨年7月、韓国の利川市にあるソンス牧場で、メイセイオペラは天に召されました。
2年前は、あんなに元気だったのに。
最後は日本でのんびり余生を送ってほしいという想いを、多くの人が抱いていたのに。
 
やりきれない気持ちで盛岡競馬場へ足を運ぶと、献花台にあふれるほどの花束が手向けられています。
遺髪を見つめて涙ぐむ人がいます。
オペラのレースVTRが流れるテレビの前に、人だかりができています。
みんな瞳を輝かせて、オペラの思い出を語っています。
 
秋田県のテレトラック横手で、トークショーに出演したときのこと。
トークが終わって馬券師たちとワイワイしていると、小柄なおじいさんが、そっと馬券を差し出しました。
万馬券でも当てたのかな? と思ってよく見ると、それは色あせたメイセイオペラの単勝馬券でした。

オペラはどれほどたくさんの人達に、夢や希望を与えてきたのでしょうか。
 
岩手競馬が存続の危機を乗り越えつつあるのは、メイセイオペラのおかげです。
私はそう思っています。
「メイセイオペラを送り出した岩手競馬を失うわけにはいかない」という想いを多くの人が持っているからこそ、ピンチの度にあちこちから救いの手が差し伸べられたのではないでしょうか。
 
 
昨年11月、ダービーグランプリデーの水沢競馬場で行われたお宝オークション。
勲さんが騎手時代に使用していたステッキを落札していただいたのは、中学生の娘さんを連れたお父さんでした。乗馬を習っている娘さんの「ほしい!」という願いに応えるために、頑張って競り合ったのだそうです。
「今日は娘の誕生日なんです」
親子はステッキを受け取り、とびきりの笑顔を浮かべて、家路につきました。
 
メイセイオペラの追悼特集を何気なく手に取った若者が、「こんなに凄い馬がいたんだ……」と呟いて、ポストカードを買っていきました。
小学生の男の子が、メイセイオペラのレース映像を、じっと見つめていました。
名馬の力を、競馬を語り継ぐ意味を、私はメイセイオペラに教わりました。
 

(撮影:森内智也さん)
 
楽天競馬の小原清治さんは、建立委員会が発足するとき、「やるなら徹底してやった方がよいです。色々な方の想いが詰まった名馬ですから」と、協力を快諾してくださいました。
そして全面的にバックアップ、というより、ブルドーザーのように引っ張っていただきました。
 
小原さんは記念碑の建立計画を聞いて、こう思ったそうです。
「震災で大切なものを失った方々に、メイセイオペラの記念碑を見てもらいたい」
東北の沿岸部には、競馬を愛する人、オペラを愛する人がたくさんいます。
それまで“誰か”を具体的に想定していなかった私は、小原さんの想いを知ってハッとしました。
 
7月1日(土)の除幕セレモニーで、メイセイオペラのたてがみが記念碑におさめられたとき。
みんなの想いが詰まった記念碑が、完成します。
メイセイオペラ記念碑除幕セレモニー」まで、あと2日!
(事務局・井上)
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