チャールズ・レニー・マッキントッシュ(アール・ヌーヴォーの建築家-4) | モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。

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世の中のすべての製品には歴史があり、現在に至ります。
製品の歴史、変遷、デザインを辿りたいと思います。

モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。-チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh)チャールズ・レニー・マッキントッシュ( 1868-1928 Charles Rennie Mackintosh)は1868年、スコットランド最大の都市グラスゴーに、警察官の息子として生まれました。
小さい頃、よく風景画を描いており、16歳の頃、建築家を志し、修行を開始します。

1890年、ジョン・ハニマン&ケペー事務所で建築活動を開始します。

マッキントッシュは当時、社会情勢が著しく変化し、又、科学技術の急速な発展を背景とするイギリスで、時代に沿った運動、つまり、新古典主義アーツ&クラフツ運動アールヌーヴォー、それら全てを体験していました。


モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。-マッキントッシュハウス(Mackintosh House)1893年にハーバード・マクネイアー、マーガレットとフランシス・マクドナルド姉妹の4人でデザイナーグループ 『ザ・フォー(The Four)』 を結成します。

結成当初は、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動に強い刺激を受けますが、数年後には、離反していき、『スコティッシュ・アール・ヌーヴォー(Scotish Art Nouveau)』 、すなわち、ベルギーやフランスのように植物や動物をモチーフとした曲線ではなく、直線、幾何学文様で構成されるモチーフが特徴の別名 『グラスゴー・スタイル(Glasgow Style)』 を確立しました。


マッキントッシュの造形は白色、灰色、パステル色、そして正方形を中心とする幾何学文様で構成される事が多く、 『アール・デコ(Art Deco)』 に通ずる印象を受けます。


モダンデザイン・デザイナーズ家具・名作家具を考える。-ヒルハウス1(Hillhouse1)『ヒル・ハウス(1902 Hill house)』、そしてその空間に設置された家具『ヒル・ハウス1(1902 Hill house1)』 、さらには、 『ウィロー・ティールーム(1903 Willow Tearoom)』 、そして同空間に設置された家具 『ウィロー1(1904 Willow1)』 はマッキントッシュの造形理念を顕著に表しています。
これらは、建築空間、内装だけでなく、その空間を装飾する家具、小物まで総合的にデザインされ、それは 『建築はあらゆる美術の総合であり、全ての工芸の集合である。』 と考えるマッキントッシュの理念が明確に表現されています。


1899年にマクネイアーがフランシスと結婚し、ザ・フォーは解散し、その翌年には、マッキントッシュとマーガレットが結婚しました。


1900年、 『ウィーン分離派 ゼセッション(Secession)』 から第8回分離派展への招待を受けました。
展覧会では、マッキントッシュの作品が展示されました。

当時曲線を使うアール・ヌーヴォー様式の風合いが強かったウィーン分離派が、その後直線や幾何学的文様を多用する方向にシフトしていく事からも、マッキントッシュの影響は少なくなかったと言えます。

展覧会の後、ウィーン分離派のヨーゼフ・ホフマンたちとの深い親交関係は、国際的な運動の発展に繋がり、各国に影響を与えていきました。


第一次世界大戦の始まる1914年に、ロンドンのチェルシーに移り、新たに事務所を設立します。
アール・デコの 『バセット・ローク邸(1916)』 はこの時期の作品です。


1923年以後、身体の健康状態の問題なども原因で、建築の仕事からはなれ、南フランスで水彩画に専念しました。
1928年、ロンドンで亡くなりました。