豊橋、スロータウン映画祭 懇親会にて
6月29日夜、豊橋のボレロ吾妻屋でスロータウン映画祭の報告・懇親会が開かれました。
一時期は10を数えた映画館も今では一つもない豊橋。この町に映画文化の灯を消してはならないと有志が作った映画祭です。映画ファンからの希望を募って、たくさんの名画を上映してきたこの映画祭も今年で10周年、その記念企画の発表の場にお邪魔させてもらいました。ボレロ吾妻屋はその昔、豊橋のサロンとして知らぬ人のない老舗の割烹旅館、若き日の中村正義もよく訪れたといいます。お店はフレンチレストランやバーとその姿を変えましたが、玄関ホールには今も中村正義の書が飾ってあります。
シェフが趣向を凝らしたスペインをイメージした料理とワインが懇親会に花を添えます。会場は映画のDVDが当たるクイズなどで大盛り上がり、楽しく豊橋の夜は更けていきます。
映画祭を支える人たちは多士済々、職業、年齢、経歴等様々ですが、地元の文化を盛り上げていこうとする熱意では一体です。そういえば豊橋では中村正義の絵を所蔵している人がたくさんいます。地元の文化を支え、育んでいくというのは三河の伝統なのかもしれません。
ゲストとして「父をめぐる旅」製作のお知らせに時間をとっていただきました。
この映画の製作への思い、会員システムによる製作資金の調達方法などを説明し、応援をお願いしました。
(監督 近藤正典)
中村正義の書
6月28日 豊橋にて 中村敏子さんと会う
談笑している中村敏子さん
名豊ギャラリーにて、新聞社の取材を受ける武重、近藤、両監督
6月28日
豊橋にて、中村敏子さんにお会いしました。
敏子さんは、画商として働いていた銀座三越で、昭和42年に正義と出会いました。
同郷ということもあり、すぐに親交が深まったそうです。
敏子さんの口から語られるエピソードはとても明確で、正義の一言一句が記憶に焼き付いているかのようでした。僕はもちろん生前の中村正義に会ったことはないですが、敏子さんの話を聞いているうちに、正義の事を昔から知っている人物のように感じていました。
彼と交流のあった人々の中には、未だに強く生きる中村正義を感じます。今回の取材でも“生”の中村正義に会えた、そんな気がしました。
(父をめぐる旅 制作担当・藤崎仁志)
ヤマサちくわの封筒に中村正義と父をめぐる旅が!
詩人で画家の水野 朝さん宅を訪ねました。
5月26日
武重邦夫、近藤正典の両監督、中村倫子さんの三人と共に、名古屋市内にある水野 朝さん宅を訪れました。
朝さんは、詩人であり、画家であり中村正義の教え子でもあります。
正義の存在が、彼女の人生に大きな影響を与えました。
14歳の時に出会ってから、正義が亡くなっても尚、彼女の中にカリスマとして生き続けています。
彼女のお宅にお邪魔すると、まず、ふすまに描かれた大きな富士山が圧倒的な存在感を持って出迎えてくれます。
富士山が出迎えます。心の休まる不思議な空間です
そして、次に目に入ってくるのが、朝さん手描きによる中村正義展のポスターです。
写真を元にした正義の姿が描かれていて、生前の雰囲気を感じる事の出来る素敵なポスターでした。
朝さんと倫子さんは古くからの友人でもあります。
二人の思い出話を、僕達は興味深く聞きました。
中村正義の弟子で、中村正義の意思を継いでいるとも言える、水野 朝さん。
この映画において彼女の存在は、より深く中村正義の世界に連れて行ってくれる「案内人」なのだと思いました。
帰り際に彼女の詩集を頂きました。本当に素敵な詩集です。
朝さんありがとうございます。「雨いいよね」です。
(制作担当・藤崎仁志)
5月20日 タウンニュースにて
こんにちわ、助監督の二宮です。
今回タウンニュースの麻生区版にて武重監督が取材を受けた記事が掲載されました。
日本の父親像遺したい
まさに今「父親像とはいったいなんぞや」という時代だと、僕自身(26歳)が感じております。
林恭三さんと中村正義の美術館へ
『父をめぐる旅』の応援団のひとりである
イラストレイターの重鎮、林恭三さんと美術館を訪れました。
林さんは図録や画集で正義さんの作品を見たことが
あるそうなのですが肉筆画を未だ見たことが無い
とのことで今回の初対面にいたりました。
今回の企画展は自画像だったのですが、
「凄まじい眼力」
「日展に逆らったほどのパワーの裏付け、力感が迫る」
「ここまで自分を見透かす覚悟はどこにあるのか」
林さんほどの大御所が感嘆の溜め息を
何度となくついていたことが印象的でした。
林さんの作品「ひげおじさん」です。
こちらで連載しています。
http://bit.ly/kuqA6J
林恭三さんと中村正義さんが過ごした
素敵な新緑の季節がありました。
(阿佐美善久)
豊橋で正義を探す旅
市庁舎より豊橋のまちをのぞむ(豊川に抱かれた水のまち)
豊橋では道のどまんなかを路面電車が威風堂々と走り抜ける
いよいよ『父をめぐる旅』も本格的な撮影がはじまりました。
今回は豊橋ロケのスタートです。
撮影のほかにも正義の作品や作品に描かれた風景、
正義の足跡を調査する、娘の倫子さんともに正義をめぐる旅がはじまりました。
まずは豊橋市内にある中村正義の生家を訪ねました。
こんにゃく屋「織九(おりく)」を訪れました。
織九は、慶応元年創業の老舗で、伝統的な味を守っている職人気質の工場で
ものつくりの逞しさを感じずにはいられない堂々とした風格が感じられます。
織九の店構え
整然と居並ぶ種々様々なこんにゃくの数々
お土産にいただきましたが、いままでのこんにゃくが
嘘のような絶品のこんにゃくでした。
【伝統のこんにゃくはここで買えます】
http://item.rakuten.co.jp/oriku/0036/
なんとここで、正義が絵を描き始めた頃の作品を発見。
若々しい質感に後生の正義の片鱗をすでに感じさせる、
ついつい引き込まれる名画との出合いがありました、
ここから正義は始まったのだと感慨深い想いがしました。
織久のご主人の話しに静かに耳を傾ける倫子さん
しっかり管理された工場での撮影
その後、中村正義が描いた一枚の風景画のロケーションを求め、
地元の方の情報を元に新城市の山奥の奥、鳳来寺へむかいました。
豊橋の画廊の方に倫子さんお気に入りの風景画のポイントを取材
豊川の源流に沿って数時間車を走らせました。
場所の特定には至らず、全く別の場所だろう、という結論に至りました。
残念です。がポジティブなスタッフや倫子さんは
「場所が違ったことが判明した発見の旅」と納得したのでした。
(4月18日記)
豊橋市内にある、絵画コレクターの内藤さん宅を訪れ、
愛蔵の正義の作品を見せていただきました。
所蔵作品を見ると、中村正義の画が年代によって変化して行く事を実感出来ます。
内藤さんは少年時代に中村正義と面識があり、
当時の思い出を懐かしげに話してくれました。
自分の知らない父の話を聞く倫子さんの表情はとても生き生きしており、
良いシーンが撮影できました。
(4月19日記)
中部ガスさんでも新たな作品を発見
追記
朝から晩までの調査に撮影皆様へのご挨拶で
スタッフも疲労困憊。
名古屋宿舎のご近所の方がおいしい大ご馳走を作ってくれました。
おかげさまでとっても活力が湧きました。ありがとうございました。
映画『だんらんにっぽん』に登場の皆様がおもてなし
『だんらんにっぽん』公式サイト
http://danran-nippon.main.jp/
(助監督/藤崎仁志)
3/18日 晴れ 昭和音楽大学 ひと語る第五回にて
お久しぶりです。助監督の二宮です。
3月11日の東日本大震災。そのちょうど1週間後、ひと語る第五回 トークライブ「父の足跡」天才画家・中村正義の生涯が行われました。
事前の打ち合わせ。右から、ふじたあさやさん、武重監督、中村倫子さん
撮影をする近藤監督
ふじたあさやさんをホストとして、中村倫子さんと武重監督が中村正義について語っていきました。
冒頭にふじたあさやさんが今回の地震で色々なイベントが中止になったが、私たちはあえて今回開催する趣旨を語っていました。確かにこんなときだからこそこういう会で、人と会って娯楽的文化的行動をすることは、生きていく中で必要なことかもしれないと思いました。
会場風景
倫子さんがトークライブ後半で、絵だけではなく、父がいた空間そのものが父だったという言葉は、なにか一つの問いを私たちに示したのかもしれません。
大盛況の中、トークライブは終了いたしました。