こんばんは、ココアこと田中貴子です。
先日相手の気持ちを想像しながら話すと、コミュニケーションが柔らかになるという話をしました。
そうはいっても、相手の顔色や態度をみて、ご機嫌うかがいをするという意味ではありません。
相手のやった行動に対して、率直に感じたまま、ねぎらい感謝する。
相手に任せたことは、(リスクも引き受けながらも)信じる。
一緒に行動を共にしているのなら、「頑張ったね。もう少しだね。」と、励まし合いながら、気持ちを共有していく。
すると自然と、相手から安心や信用を頂けるようになります。
気難しいタイプの人も、なぜかその人の前では、おおらかに認めてくれる。
そんな対応になっていくのを、父との会話でも痛感しました。
そうなると、いい意味で気が緩みます。
一昨日は、リハビリ病院に移動する母の付き添いで、父と共に行動。
あれこれ気遣いする場面が多々あり、我慢も疲れもピーク。
帰りの電車を待つホームで、とうとう私、キレちゃいました!
大人げなかったけれどね。
「私だって人間だから、もう無理!今は無理!」と言ってしまいました。
いつもなら大声で、父は「子どもが親にたてつくとは何事か!」と怒ったりするのに、昨日はぼそぼそ小声。
謝らない私。
謝る気など、さらさらなかった。
我ながら、驚くほど冷静でした。
こんな自分もいたんだーと感じただけ。
だって、やるだけ十分やったもの。
細かなことに、指図や文句を言われたくなかったのです。
お互い黙ったまま、電車を待ちました。
どんな1日を過ごしてきたのか事情の分からない、通りすがりの人は、娘らしき私を怖い人だと思ったかもしれません。
それすら、どうでもよかった。
ほんの少しクールダウンしたかった。
自分をただ尊重したかったのです。
電車利用も久々の父でしたが、2つある荷物をときどき手伝ってくれながら、実家まで、徒歩にてゴール。
行きはタクシー利用だったので、上出来。
声をかけ合ったことで、着いたときには不思議な達成感さえありました。
すでに18時40分を過ぎていたので、「もう帰るね」も自分の意思。
以前なら、お茶ぐらいと言われたら、少しだけねと残ったかもしれない。
それも無理しないで、今の気持ちに合わせる。
じゃあねと歩き出し、ふと後ろを振り返ると、ドアの前に父の姿がありました。
角を曲がるまでずっといたことも意外で、目頭もじんと熱くなりました。
私もありがとうをこめて、手をふる。
振りつづけて、ちゃんと嬉しさを表現してました。
それがあの瞬間の精一杯。
罪悪感もなく、これでいいのだと認めた自分に心境の変化をみました。
自分の意思で、ここまではする。
ここまではやらない、やりたくない。
この区別ができると、限界を超えない。
超えたら、尚のこと、一番に自分を大切にする。
そうしていくと、相手も私も素直になれる。
あなたはどうですか?
無理してしまう場面や苦手な人はいませんか?
気づきのヒントになりますように。
読んでくださって、ありがとう。
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