”産科医療のこれから”

http://obgy.typepad.jp/blog/2007/09/post_a824.html

で紹介されている小松先生の文章です。



婦人公論 2007年10月7日号
http://www.fujinkoron.jp/newest_issue/index.html

に掲載されております。






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「ミスはありえない」が医師たちを追いつめる

小松秀樹 虎の門病院泌尿器科部長 
(婦人公論 2007年10月号 P71-2)

 増え続ける医療裁判において、医師は「悪玉」として一方的に糾弾されがち。そういう風潮が医療を崩壊に遣い込んでいないか・・・。現場から、過酷な状況を訴える

死を受容しない現代の日本人

 医療は、どの時代においても、事故や合併症と隣り合わせで進歩してきました。100%の安全などはありえないのです。たとえば、戦後間もない時期、わが国の妊婦の死亡者数は1年で約4000人でした。現在では、40~80人です。世界的にも低い数字ですが、100%安全ではありません。でも現在、「出産が死につながることはあるのだ」と認識する人はいるのでしょうか。

 現代の日本人は、死を目の当たりにすることはめったになくなりました。多くの人は、生命は何よりも尊いものであり、死や障害はあってはならぬものと考えるようになった。死を受容することができず、誰かのせいにしたがる。医師にミスがあったのではないか、とその責任を負わせようとする。それに司法やマスコミが同調し、医師を犯罪者として追い込んでしまうことが増えてきました。

医療裁判の増加が現場に与えた影響

 1999年、救急診療を担当した医師が、遺族から訴えられ、刑事訴追されました。ところが、日本の救急医療は、救急専門医が不足しているため、救急医として十分な訓練を受けていない医師によって支えられてきました。この事件は、日本の救急医療体制に大きな影響を与えます。犯罪者として糾弾されるのを恐れた医師が、救急診療をいやがるようになったのです。多くの病院が、救急医療から撤退したため、一部の救命救急センターには、年間何万人もの患者が押し寄せ、ますます、医師を疲弊に遣い込んでいる。

 2002年12月、慈恵会医科大学青戸病院で、前立腺がんに対する腹腔鏡手術を受けた患者が、低酸素脳症で死亡するという事件が起こりました。翌年9月、同病院の医師3名が逮捕され、新聞、テレビ、雑誌で大々的に取り上げられました。事故報告書を読みますと、患者の死の直接原因は、輸血業務のミスでした。いわば、システム上のエラーです。にもかかわらず、マスコミは一方的に、逮捕された医師を極悪非道であるかのように責め立てたのです。

 私は慈恵医大青戸病院事件』を著し、「このままではリスクの高い医療を引き受ける医師がいなくなる」と警鐘を鳴らしました。しかし、一連の医師へのバッシングと司法の介入はやむことはありませんでした。

 06年には、福島県立大野病院で、帝王切開中の妊婦が大量出血死した事件によって、産婦人科医が業務上過失致死罪で逮捕されます。しかし、はたして非は医師の側にだけあるのか。そもそも、医療事故を司法で裁くことに問題はないのでしようか。

刑法で医療事故を裁けるか

 高度に複雑化された現代の医療行為において、人間が行う以上、ミスを100%防ぐのはまず不可能です。ヒューマン・ファクター工学では、人間はミスをするものであることを前提としたうえで、ミスが被害につながらないようにするために、いくつものチェックをシステムに組み込みます。

 一方、刑法は、社会の安全のため、個人をその責任の故に罰する体系です。すなわち、刑事司法は、システムの問題でも、当事者個人の責任を追求しようとする。しかも、司法の側は必ずしも医療現場の実態に通じているわけではありません。不十分な事実認識で、規範を押し付ける。

 何か事故が起こると、誰か悪い人間がいるはずだとして犯人を探し出し、罰を科そうとするのが、医療に限らず現在の日本の風潮です。寛容性のない神経症的な社会です。本来刑事罰を負うべきでない人間が、人柱として裁かれる。こういうあり方は正しいのでしょうか。

 問題は、社会との軋櫟が、多くの医師を追いつめ、萎縮させていることです。福島県立大野病院で事件が起こった頃、地元の医師と話をしたのですが、県内の複数の基幹病院の内科部長4人が突然辞職したそうです。また、同県のいわき市でいちばん大きな病院の産婦人科部長が辞職し、小さな病院で婦人科のみを診療しはじめた。私の勤務している病院でも、部長職にある医師が次々と定年前に辞めています。

 医師だけではありません。04年の調査では、その年に医療機関に就職した新人看護師のうち80%が辞めたいと考えており、集計時には実際に8.5%が離職していたのです。辞めたい理由のうち18%が「医療事故を起こさないか心配」ということでした。医師よりも患者と接する時間の長い看護師は、医療事故の当事者になる確率が高いのです。

国民皆保険制度という脆弱な公共財

 日本の医療は、ぎりぎりの低価格で運営されています。アメリカでは市場原理主義のため、医療費が法外に高い。医療保険も民間で行っているため、保険に加入していても、保険会社はなるべく理由をつけて支払い額を低く抑えようとする。毎年、医療費を払えずに自己破産する人が200万人もいるのです。いま、アメリカ型の医療制度を持ち込もうという動きがありますが、もしそうなれば、アメリカと同様の医療格差が生じるでしょう。

 国民皆保険制度に支えられた日本の医療体制は、脆弱な公共財です。もし、この公共財を守るのであれば、患者側にも節度が求められます。救急車は無料のタクシーではないのです。埼玉県や千葉県では、一つの救命救急センターに年間数万人の恩者が押し寄せていますが、その大半は来る必要のない人たちです。重篤な救急患者の診療の阻害要因になっていると思います。

 医療事故は、努力で多少減らせることはあっても、皆無にすることはまずできません。それを前提として、第三者による事故調査、公平な補償など、合理的な処理システムを構築して、医師と患者の軋櫟を防ぐことが必要です。

 医療崩壊は待ったなしのスピードで進んでいます。医療従事者だけではなく、行政や司法、一般の人々まで、それぞれ自分が立っている場で何ができるのか、考えていかなくてはならないでしょう。

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多くの立場の人々が、


”医療崩壊”を演出しています。





あるときは、国が。


あるときは、厚労省が。


また、


あるときは、検察が。


あるときは、司法が。

時に、


外資系の生命保険会社だったり、財務省だったり、トンデモ論者だったり…。



そして、医療崩壊を進めている中に、


一番恩恵をうけている国民が


いることを忘れないで下さい。





医療関係者は、


過重労働にあえいでいます。





24時間、365日の絶え間ない


待機状態にいる医師は信じられないほど


多いはずです。





国民の皆さんが、


”医療”に叩きつけるネガティブな感情は、


そのまま医療従事者に伝わります。


我々も人ですから。


そして、一人、


誰にも注目されないまま、


医療現場から人がいなくなります。




小松先生の文章をよく読んで見てください。


「あの時、こうしていれば良かったな…」


と思わないためにも、


いま、理解してください。


日本の医療の現状を。