世はクリスマス。

 

昨年(2022年)は、12/24が土曜日、12/25が日曜日。

今年(2023年)は、12/24が日曜日、(12/25は月曜日)

 

なんとも、「素敵にクリスマスの週末を過ごしてください」と言わんばかりの暦である。

 

昨年のクリスマスの私は、ちょうど、妊娠が発覚して1か月が経った頃くらいで

ひどい方ではなかったものの、軽いつわりに踊らされ、食欲があまりなく

クリスマスディナーなんか食べにいける元気と、時間的余裕がなかったため、

家でミカンを食べていた

 

今年こそは、子供もいる事だし、素敵なクリスマスにするぞー!なんて意気込んでいたのもつかの間

12月に入ってから、まぁ、家族みんな体調崩しまくる。

子供が風邪を引いたところから始まり、旦那→私→子供と順繰り風邪をうつしあっている状況が

かれこれ3週間くらい続いている。

 

12/20くらいに、やっとちょっと落ち着きかけたかと思いきや、12/22に旦那高熱。

そこからあれよあれよという間にクリスマスがやってきて、そしてあっという間にクリスマスが駆け抜けていった。

 

子どもはまだ、咳をしていて、本調子ではなさそうだし

旦那は熱は下がったものの、頭が痛いとベッドからなかなか起き上がってこないし

私も、四六時中鼻水が止まらない。もうクリスマスどころではなかった。

 

これがクリスマスでなければ、なんてことない体調不良一家の週末だったのだろうが

SNSを見たりなんかして、みんなの華やかで楽しそうなクリスマスの様子を見ていると

去年もあまりクリスマスを満喫できなかった、と思っていたこともあり、なんだか惨めな気持ちになる私なのだった。

 

でも、こういう事ってクリスマスに限らず、本当に沢山ある。

 

SNSを見て、人間って不幸になるんだなぁと、ぼんやり気が付いたのは、社会人になってからだった。

それまでも、ずっと、SNSとは付き合い続けていた人生だったけど、誰かの投稿や言葉に「うらやましい」とか劣等感みたいなものを覚える瞬間ってさほどなかった。それくらい、自分の人生を満喫していたり、満足している、という感覚があったから。

 

社会人になって、本当に人生最大の忙しさを経験して、そんな時友達の楽しそうな遊びの写真を見たりして「あ~しんど。」と思う事が増えていった

 

そして、そんな気持ちになる自分と対峙してから、早何年も経ったというのに、私は飽きもせず、同じ過ちを繰り返し続けている。それはなぜか。

 

ある種、これは自分の心への自傷行為というものだと私は思っている。

「私って今、恵まれてないよ」「楽しくないときを過ごしているよ」と、敢えて痛烈に感じさせることによって

自分の中の感情を動かしているのだ

悲しきかな、嬉しい感情やプラスな感情は長続きしないのに、悲しい感情やマイナスな感情は驚くほどに長続きする

感情があることを感じられる瞬間は、最高に「生」なのである。

 

その一方で、SNSといったものでは無い方法で、「生」を感じられる手段を常に探している。

それが旅行だったり、自然と戯れることだったり、子育てだったりするのかもしれない

でも、これらは「幸せ」な要素も多く含む「生」なので、どちらかというと私は「死」(有限性)を怖がってしまう

 

人間はちょっと不幸なくらいがちょうどよくて、その「ちょっとの不幸」を「手軽に摂取」できるのがSNSなのだ。

 

クリスマスのみんなの幸せそうな様子に、舌打ちしている君も、

実はそうやって、ちょっとの不幸をつまみ食いしているということを忘れてはいけない

 

そうやって得た、ちょっとの不幸を糧に、私たちは明日も生きるのだ。

 

なんでもないクリスマスよ、今年もありがとう