4歳になった時には、


もう、諦めがありました。

母と暮らしたいと思っても、母は死んでしまったから。

毎日、寝る前に祈っていたのに。



15歳で家庭崩壊して、ホームレス。
高校を辞めて働き、1人で暮らしはじめました。

破産した父の借金残額が400万円もあったけど、

父は職を失っていたから

私の一人暮らしの家を探し出したヤミ金業者の方々と、

私が話をして、減額してもらい、

少しずつ、離れた父にも徴収しながら(笑)働き、返しました。


たくさんお金を貯めていた友人が貸してくれた資金でやっと借りたアパートで

もう出て行けなかったし、どこに行っても、

まともに住民票を移したら追いかけられます。



私が、義務もないのに父の借金を返すと言ったら、おとなしくなったから、そうしました。

追いかけられるなら、こっちから、と。


逃げることに疲れていたし、私が逃げたら親戚の家に来ると苦情がくるので諦めたんです。

今のように、法律で守られる制度もなくて、

悪質な取り立てに、自殺する方が続出していた時代でした。


保険証もなくて、どうやって作るのかも知らなくて、
病気の時は病院に行くために、
高校生の友人に貸して欲しいと言って、
その子の親御さんに断られたり、

いま考えると当たり前やのに、そんな常識もありませんでした。


昼夜働いて、20歳で返し終えて、高校に入りました。


この事実を話すと、すごいパワーだね、と言われたりしますが、

パワーなんてなくて。。。

ヤミ金への振込で、

朝起きては起きてしまったことに絶望感。バイトに行く電車賃しか残っていなくて、

洗うと虫の浮いてくるお米を大切に食べました。

なんのために働いているのか、生きてるのか、生まれたのか、

いつも意地悪な人はいるし、一度でもいいから安心したくて、

生きるだけでしんどくて、

でも死ぬのも怖くて。

本気で、もういややと思って、高いビル、屋上のフェンスを越えて、
さぁいま、と思った時の恐ろしさを今も覚えています。。

む、むりや。。。死ぬことも、諦めて。


今なら、10代、若くて未来もある、なんて思うけど

その時は、今現在のしんどさしかわからないですね。

死ぬと言っても、止めてくれたり、悲しむ人もいないと思っていたし。


家族の借金を返す立派な娘でもなく、

バブリーな時代でもあったから、

人には何も言わず、平気そうに、

お給料が入ったら月に一度だけ自棄になって友達とディスコに行ってみたり

年をごまかして働くため厚化粧をして・・・強がって・・・

恋愛に溺れたり、現実を見ないように、考えないように、逃げたりもしていました。

そんな風に、大人の真似事をしているかと思えば

些細な、

例えば‥毎日帰りに買うケンタッキーのアイスクリームを楽しみにしていたり、

まだ子供の部分もいっぱい残っていて‥‥


何もわからない。生きることが下手でした。

とりあえず、やるべきことをやって

淡々と生き延びている感じでした。


なんとか夜間の高校を卒業したら、人並みになった気がして、

ちゃんとした企業に就職し、仕事も頑張りました。


でも私は、身体も弱く、何もない、足りない、足りないってコンプレックスだらけ、

コミュニケーションも、よくわからなくて、

心理や仏教、マナーも、

あらゆる本を貪り読み、学んで学んで、欲しいものは努力で手に入れました。


30代では結婚もし、姑の借金がいっぱいあったから返し・・・出産もして、

バリバリ働き、ボランティア活動に朝昼晩、

これで良かった、と思っていたら

30代後半で、倒れてしまいました。


母が亡くなった年と同じ、37歳の頃‥

子供も、私と同じ4歳でした。

預けられる人もいない、私が死んだらこの子は施設に入るんだろうか、

母のように死にたくない。


寝たきりのままで、

このままでいいの・・・?って心から、思いました。


私、私に優しくしてないなぁ。

せっかく生まれてきたから、人生の喜びを内面で味わい尽くしたい。

生まれてきて良かったって思いたい。


でも、喜びってなんだろう‥‥感謝はわかるけど、喜び‥‥

べきばかりで、したいことが思いつかない。


思いついたとしても、

私にはきっと、何もできないし、

なんか、もう、誰かに好かれるために無理な笑顔を作ったりしたくない、嫌な人には会いたくない。心も体もしんどいのはイヤだ。。。

子供のためにも。私が幸せってなんやろう?の状態でいたくないな。


あーそうだ。

生きられて、心から幸せって思えたら、

それを1人でも多くの人と共有したいな。


人並みくらいには、なんでも出来るようにはなっていたけど

なんだか諦めていた世界を、もう一度信じると決めました。

そのための努力は、報われなくても、幸せだなって思いました。


そこから、徐々に回復し、いま、8年です。

私が最初に受けたセッションは、

キネシオロジー。

セラピストさんに『どうなりたいですか?イメージして下さい』

って言われて、

『人並みに愛され豊かに安心して育った人と

同じくらいのセルフイメージを持ちたいです』

と言ったのを覚えています。


戸惑われていました(笑)


それからも、自分を見つめて、

目の前の幸せに感謝して、

暗中模索、迷いながらも、それを望み続けて、たくさんの出会いを頂き、

思い込みや思いグセを解放していく学び、

セルフイメージを上げていく学びと出会い、

アタマだけでなく現実生活での積み重ねが大切だから、

矯正みたいな(笑)練習もしていました。


今は、

4歳の私や、10代のころの私が聞いたら、きっと信じられないような心で生きています。

昨年、自身を確かめるような気持ちで受けたセッションでは、奇しくも

『どうなりたいですか?』と聞いて頂きました。

『この、生きる喜びを、自分だけでなく、一人でも多くの人と共有してから死にたいです。

生を楽しみます』

と、変わっていました。

周りの人は素敵な人ばかりで、

きっと自分のセルフイメージが上がったから、

出会え、同じ場所にいられるんだ~って感じています。


いまは心の中が豊かだと言えるし、

喜び、幸せが、表面だけでなく解ります。

当たり前のことなのかな‥・?

生まれてきて、良かったなぁって。

世の中、良い人ばっかりや。って思います。



この道のり、長いでしょうか‥‥?遅すぎますか…?

私は全く、長かったと思っていません。

だって、いま、生きて喜んでいる。全部、必要でした。

やる気がでなくても、頭を打っても、失敗しても、

時には不幸を嘆いても、誰かを責めても、そんな時もあっても、拗ねても、クサっても、

恥じることなんてないんです。


でも、それに気付いて、

心の中にでも、現実に対してでも、もう、こんなんイヤや!って、

心底本気で、自分自身で闇を抜け出す気持ちがあるなら、

とりあえず、生きて。。。


過去はもう、実体がなくて

目の前には、いま、しかありません。

恥じはしないけど、ただ、私は、自分や他人、過去を

責めても嘆いても悔やんでも、何も良いことがありませんでした。

今の現状を受け入れて、認めて、やっていくしかない。

自分が、自分に、必死でも、寄り添って。愛を持って、育てなおす。。


この気持ちさえあれば、それは何にも負けない強さとなっていきます・・・

振り返れば、宇宙は、必ず、味方になってくれました。


たとえまた、辛い出来事があったとしても(イヤですけど 笑)

希望を忘れないで進む気持ちさえあれば、

嘆きながらも泣きながらも、

希望を忘れなかった人、感謝を見失わなかった人、

笑顔を大切にした人には

遅くても、

後で、今だから良かったと思える光が、必ず心に灯ります。

そんな人を、たくさん見させて頂きました。

うまく伝えられないけど、私は、それを確信しているから

こんな私ですが、それを、たった一人の人にでもいいから

私の姿から小さな希望でも伝われば・・・って、毎日、毎日、考えています。



今日、参観日に行き、学校での子供を見ました。

親友と買い物に行き、大笑いしました。

先日、年老いた父が私に、バッグをプレゼントしてくれました。

生きてて、良かったって、いつも、思います。





・幸福のための人間力を取り戻す。肯認学〜LOVABLE WORLD METHOD〜講座考案者

中谷凌子プロフィール



大阪生まれ
夫と大学生の息子、猫と京都に暮らす



4歳
母親を亡くし親類宅に預けられながら育つ


10歳
父親が再婚し義母と弟との家族が出来るが、
幼稚園や学校でも人と同じことができず、
要領が悪くいつも先生や親に体罰を受けていた


15歳
父の破産により、家族はバラバラに
高校を中退、父の借金返済のため働き始めたが、家が無くなりホームレスになる


16歳
友人や先輩に計10万円を借りてアパートを借りるも、
債権者に見つけられ
アルバイトで昼夜働きながら父と返済

ブログ記事↓



20歳
完済。
夜間高校入学
体が弱く、母の体質に似ているため、20歳まで生きられるかと言われたが、
なんとか生きていた

自暴自棄になったり、恋愛に溺れたり
いい加減に生きながらも
人生の辛さから読書に逃げていた

23歳
四年制夜間高校を、
単位取得特例で三年で卒業出来、人並みになれたような喜びでいっぱい

24歳〜
某化粧品メーカーの美容部員などをしながら
この頃から本格的に、

人間関係、恋愛、経済、
生い立ちや環境、人間の悲しみ等、
自身がうまくいかず、苦しみ続けたことから、

「心とはなにか」「幸福とはなにか」ということに
強く惹かれ関心を持ち、
10代から好きだった仏教、宗教哲学書など探究し続ける

結婚生活、育児をしながらもその情熱は衰えず、

あらゆる心理学、自己啓発、宗教、哲学、引き寄せの法則の学び、スピリチュアルの学びに多くの時間と金銭を投資するが、
心から尊敬でき得る師が見つからず、
裏が見えたり矛盾点や
効果に納得することが出来ず、
傷付き、流浪・疲弊する


37歳
母の亡くなった年齢と同じ歳、子供が4歳の時、
良い母、良い妻、良い社会人になろうと無理をし続けた過労により倒れ、適応障害に

原因不明の高熱に10日間苦しみ、免疫不全により身体中の炎症が出て寝たきりになる

命に危険を感じた時、
自分の本当の望みがわかる
「私が、私に生まれてきて良かったと一度で良いから思いたい」
「生きる喜びとは何か知ってから死にたい」
「ないのかもしれない、無理かもしれない、でもあるなら、私が本気で余生でその世界を作ろう
それを子供に残したい。それを誰かと共有したい。伝えたい」
想いが溢れてきた時から体が回復する

それまでの、
無理をして合わせていたしがらみや、利用され自分を大切に出来ない付き合い、

仮面をつけ、鎧を着たような自分の振る舞い、

など、一切をやめ、

一見認められ華やかで社交的な日常から、
一時的に寂しい環境に

ゆっくりと、自分を大切にしながら、
恐れからでなく自分への愛で、
少しずつ、セッションなどを受け始める


催眠療法、数々のセラピーを経験しながらも、同じくピンとくるものがないまま、
自分で考え抜いた自愛の方法を、自分自身に実践していくことを続ける


死へ導かれるような不安定な感情気質、
1ヵ月に1度は寝込む虚弱体質、
から、
健康になり人間関係、経済など、
物心ともに強運や豊かさ、幸せが感じられるようになる


・・・・・・・

平成25年
セルフイメージを上げられる、
ブロックを解除すると言う手法を習得し、夫の夢が奇跡的に叶ったことから効果を感じ、
提供し始める

が、同じ仲間との効果の違いなどに疑問を持ち、
手法やエネルギーワークで
効果や結果に違いをもたらすものについて考え、

自身が独自に考案し、
用い伝えてきた自愛の大切さに気付き、
従来の手法を提供しながら、セッション、講座などで
独自の考えを前面に出していく

クライアント、受講生の効果が著しく変化
再現性を確信

セッション感想↓

講座感想↓




平成28年
読了した書籍は一万冊を超え、
セッション数4000人の経験、
セッション予約半年待ちとなり、

その考え、在り方による、
独自手法を伝授してほしいと希望者が多数になり、
ラヴァブルワールドメソッド講座にまとめる
(理論のみにし、エネルギーワークについては、
科学的な根拠が追いついていないことから避けようとしたが、
時代が変わるため、どうしても伝授しなければいけないと確信として降りてくるという不思議な体験をする。その重要なアクセスポイントをラヴァブルと名付ける)

たくさんの賛同・共鳴の仲間と共に
自他への愛と
調和・安心・至福・強運の世界を見る

令和元年
肯認学として改編