『まじめはかっこ悪い、でも自分の損得に基づく自己主張をすることはかっこいい』
そんなことを考える人間急増中ではありませんか?
和田秀樹 著『まじめの崩壊』 ちくま新書 2009年1月10日
p.122 「アメやムチがなくても人々が行動するのは、いわばメランコ人間多数派社会の特徴です。
とくに昔の日本人は秩序と人間関係を大事にしていたので、その傾向は顕著でした。
人々が共同体に対する強い忠誠心や
『まわりに迷惑をかけない』という恥の意識をもって行動しており、
それがまじめさに結びついていたのです。」
今日の日本はこんな社会じゃないと筆者は主張しているのですが、このような『互助』や『協調』に私は未だに【日本人らしさ】を感じてしまいます。
p.24 「『メランコ人間』中心の社会から『シブソレ人間』中心の社会へのシフト」
が現代社会で起こっているそうです。
p.26 「メランコ人間の心の主役は『自分』」であり、出来事に対して自分に責任があると感じる人間で、
p.26「一方のシブソレ人間は、常に『まわりの世界』を主役に」しており、p.29「できないときはすぐ人を頼ってみたりというふうに、他力本願的な生き方がしみついて」いるそうです。
p.88 「今の日本人(シブソレ人間)は、昔に比べると明らかに恥知らずになっています。」
大変共感しました。
集団生活においてしなければならないこと、守らなければならないことを平気でしない、にも関わらず自らの損得に基づく集団に対する自己主張を立派にする人を認識したこともあります。
そういう人は意味も分からず政治に対してマスコミの言うとおりに批判します。
そして、大学の講義はつまらないから出ないと言い、生きづらさを全て社会の責任としているようです。
そして、なぜか自分に大きな誇りを持ち、立派にあらゆる共同体に物申します。
しかし、私の周りにはそこまで多くはいません。
共同体における互助、人間関係を大切にする秩序は維持されていると感じているからです。
だからメンバーにそのような人がいると、周りは秩序の維持形成に努めるため独裁政治のようになるのかも知れません。
どこでも、ヒューマンキャピタルという面で格差をものすごく感じます。
すごい人はスゴイ。
感服してしまう人には「まじめってかっこいいなぁ…」と思ってしまいます。