こんばんは


 子どものころを振り返ると人騒がせないたずらばかりしていて

 迷惑せんばんだったようだ。 秋田ではこんな子どもを

 [さんぱちなおなご」 (手に負えない女の子)という。



 「そんなことを人様から指摘されると恥ずかしくて目から火が

 出ますわ」

 と反省めいた自責の念を表現すれば少しはかわいいところ

 もあるだろうが、私はちっとも火が出ない。 忘れていた悪さを

 思い出させてもらうとかえって自分が好きになり

 「なんておかしなやつなんだ!」

 とナルシスティックになるので、更に手に負えない。


 

 高校のとき、入道型の頭をした校長がいた。 全校朝礼の時の

 トピックは内助の功と体育館建築の二点だけだった。 少しは

 ましなこと言えよな、といつも思っていた。 たまには学ぶことの

 本当の意味とか、人生の意義とか、進路の考え方とかいろいろ

 あるだろうって。 



 赴任して以来、体育館の建設が目標というか責任というか、相当

 頭に上っていたことは分かったが、そんなことは生徒のわれらに

 は関係ない。 鉄骨やさんと大工さんがやってくれる。 




 クラス(全員女子ーーここは県立女子高)のみんなも同等の意

 見だった。 あるときみんなで直訴してはどうかと相談する。

 ちょうどわれらの教室が職員用のトイレのはす向かいにあったの

 で、トイレタイムに来た校長を引きとめ、教室に引きずり込む計画

 である。



 そのときは意外に早くやってきた。 トイレから出てハンカチで

 手を拭きながら歩き出したきた入道氏の行く手をバリケードで

 ふさぎわれらの教室に誘導した。 そしてクラスからの要望を

 ぶつけた。 手っ取り早く言えばつるしあげである。


 

 

 [お題目のように2800万円の体育館と言いますがこれは一回で

 十分です。くりかえすので耳にたこです」

 「勉強大好きと言うわけではありませんが、一応進学したいと思

 っていますので教科やコースの設定など、考えてください」

 「内助の功の話も繰り返す必要はありません」

 「入れ物としての建物よりも中身について考えてください」




 大体このような要望だった。 校長は予想外の出来事に若干

 たじろいで、しどろもどろしながら弁明をした。 もちろんこの人

 物から新しい教育論など聞けるはずもないことを百も承知で教

 室につれてきたのだから、それほどがっかりもしなかった。

 ともかく、あんたの話は実につまらんという点を伝えたかった

 のである。



 首謀者は私と数人の友人たちだったが、そのあと担任から

 絞られたりはしなかった。 よい時代だったと今思う。



 ところで秋田で言う「さんぱち」 ーーきかん坊、あばれもの、

 手に負えないーーは何からきているのかその語源は何なの

 だろうか? 秋田弁ウオッチングの姉にの資料てもこの語源

 については明らかにしていない。 [散髪」とは混乱させないで

 と言っているだけである。



 ここからは私の仮説である。 さんぱちは三八と書くのではな

 いか? これは日露戦争を戦っていた日本軍が30年式歩兵

 銃を改良した三八式歩兵銃を使用し、大いに戦意を高揚させ

 ていたことからこの三八が活発とかきかん坊に比ゆ的に使われ

 たのではないかと推測する。 銃の改良には陸軍少佐の南部麒

 次郎氏があたり、明治38年に使用がが制度化されたため三八

 銃と呼ばれたという。



 さんぱち娘とは銃のようにばしばし火を噴き、暴れまわる女

 ということになるか。 秋田では「さんぱち」は女の人にしか

 使わない形容詞である。



なぜ女に使われる形容詞になったかについては夫が口を出し

 た。 秋田から出征した兵士が多く、かつ旅順の103高地で

 戦死した。 その結果秋田には後家が大勢うまれ、女々しくな

 んて生きていられなくなったのだろうという仮説を立てとぃる。



 このさんぱち仮説、信憑性が高いような気がする。



 ではおやすみなさい。