『助け合い』についてブログに書きます!

(偽善じゃなくて、みんなが元気になる助け合いってなんだと思いますか?)だそうで・・・。



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 「人助け」ってピンからキリまで本当にたくさんあると思います。

些細な事から大きなことまで、偽善かどうかは別として、とにかく「助け合う」という事はとても大切な事だと思っています。先日某TV番組で「人のもつある特性」について考えさせられるVTRがありました。

 とある病院の監視カメラ映像です。待合室には数人の人がいて、そこを行きかう人々の姿も見受けられます。すると一人の老女が突然苦しそうに床に倒れ込みました。でも監視カメラ映像の中にその老女を助ける人の姿は見当たりません。すぐ目の前で倒れたにもかかわらず人々は皆見て見ぬフリをしているのです。その後何人かの医師や看護士達もその老婆が倒れ込んでいる待合室の前を行きかいます。しかし誰一人として老婆に手を差し伸べてやる人はいませんでした。数時間後ようやく誰かが救いの手を差し伸べた時、彼女は既に亡くなっていいたそうです・・・。そういう映像をみました。

 人は自分以外の誰かが近くにいた時、責任感が薄れるらしいのです。「きっと他の人も見ていたんだからなにも自分がやらなくても・・・。」「面倒事には巻き込まれたくない。」そういう心境から目の前で起こっている惨劇に気づいていながらも「助ける」という行動を起こさないんだとか・・・。

 悲しい話ですよね。もっと早くに気づいてあげていたら、きっと老女は命を落とさずに済んだかもしれません。病院という場所で、しかも医師も看護士も数人の待合室の人々もいる中でこんなにも悲しい出来事が現実に起こっているのです。

 なにも大きな事をやれと言うわけではありません!病気を治せだとか、恵まれない子供に多額の寄付をしろだとか、そんなことよりももっと身近に自分自身が出来る「助け合い」があると思うんです!気づいてあげるだけでいい。声をかけてあげるだけでいい。そんな些細な事でも大切な命にかかわる時だってあります!苛められている子に話しかけてあげるとか、困っている人の相談にのるとか、転んで泣いている子供に手を差し伸べるだとか・・・。そんな小さなことすら出来ない人間はきっと自分が困ったとき誰も助けてはくれないだろう。私はそう思っています。

 「助け合い」。言葉の通りお互いに持ちつ持たれつなのです。誰かを助けてあげたれる人は。自分が困ったとき誰かに助けてもらえる。そういう事なんじゃないでしょうか?見て見ぬフリだとか、他の人がやればいいなどと他人に押し付ける。そんな人には誰も手を差し伸べてはくれません。自分がやった事は必ず自分に返ってきます!良いことも・・・悪い事も・・・・。

 

 テーマからずいぶんかけ離れた話になってしまったような気がしますが・・・、私が思う「助け合い」とは【すぐ目の前の誰かを気にかけてあげられる】そんな心をもっているかどうかだと思うんです。自分の利益を考えたり他人任せにするんじゃなく、ただ純粋に目の前で起こっている現実から目をそむけず果敢に立ち向かって欲しい!そんな気持ちをもっと多くの人々に持ってもらうことで、みんなが元気に幸せでいられるんじゃないか。そう思っています。


 長文駄文ですが最後までお読みいただき有難うございました!


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